2012年衆院選 | 柔ら雨(やーらあみ)よ 欲(ぷ)さよ
 自公合わせて325議席ですかぁ。ヒエーッ!
 単純過半数240に対して、325議席といったら、衆議院の全委員会に過半数の与党委員が所属し、全委員長ポストを与党が押さえるだけでなく、衆院が送付した可決法案を参議院が否決したとき、3分の2の多数で再可決できてしまいます。つまり、数の上だけからいったら、何でもやりたい放題ですねぇ。実際には、数だけでは動かないからこそ政治なのですが……。





 今回、自民党は、2005年の小泉郵政解散選挙で大勝したときと同じ勢力になったわけです。他方、実態はよく知らないのですが、民主党は野田派を中心とする主流派に純化され、他派では選挙に強い実力者だけが残ったのでしょう。

 戦後日本の政党史から見ますと、いわゆる自社55年体制における諸政党は「イデオロギー政党」でした。そこでは政治イデオロギーに立脚して政党が結成されましたが、冷戦構造の終焉により、イデオロギー政党もその生命を失うに至りました。
 以後、もはやイデオロギーの対立ではない、政策の差異によって政党を根拠づけようとする動きが生まれ、2009年のマニフェスト選挙における民主党の大勝と政権交代は、「イデオロギー政党」から「政策政党」への政党の史的変容を物語るものでした。

 ところが、民主党がいざ政権をとると、その政策遂行能力の欠如が次々と明らかになり、「政策政党」は名ばかりのものにすぎなかったという認識と幻滅が国民に共有されるに至りました。したがって、今回の解散・総選挙は、民主党が政権から下野することはあらかじめ前提視されており、自公および第3極勢力が、民主党の遺産ともいうべき「政策政党」の理念も横目に見ながら、どのような政権の構図をとるのかが焦点になっていました。

 ところが、昨日の国民の審判は、第3極勢力にさほどの力を与えず、絶対多数による自公政権に再び国家運営をゆだねるものでした。多岐にわたる政策上の争点(デフレ対策・震災復興・原発・消費税・TPP・医療福祉・在日米軍・領土問題などなど)は、どちらかといえば背景に退いてしまい、ひとことで言えば、民主党政権をつぶす、ただそのためだけの選挙になりました。

 しかし、民主党のマニフェスト政治の空洞化は、旧来の自民党の諸政策への回帰や屈服という形で進んだものです。解散直前の民主党は、政策的には第2自民党と化していました。ですから、今回の選挙は、政策の転換を求めたものというより、政策遂行者を取りかえることを求めたものです。
 新しい政策を選択しようとした有権者は民主党から第3極勢力に流れましたが、それは大きな流れを生むところまでは至りませんでした。主権者国民の主流は、今回の総選挙で、投票行動を通じて政策選択の主体になることを回避し、強力で安定した政権が生まれることだけを選択し、個別具体の政策遂行については政権党の意思にゆだねたのです。

 今回の選挙結果は、政党史の上から見るかぎり、もはや「イデオロギー政党」であり続けることはできないにしろ、「政策政党」になり切ることもできない自民党と、それとパラレルをなす国民の政治意識とがシンクロしたものだと言えそうです。具体の政策の主張にかえて、自民党首脳部が好んで口にしたのは、改憲やら、国防の強化やらのナショナリズム言説でした。
 自民党が、冷戦下のソ連にかえて、中国や韓国を仮想敵とみなすことで、日米軍事同盟の強化とナショナリズムの純化という過去のイデオロギーにしがみついたのは、それによって、自分がみんなの党のような政策政党ではないことを隠蔽し、それを政策の代理物とみなすためでした。

 安倍・石破体制の自民党の右傾化は、第一義的には、自民党がイデオロギー政党と政策政党とのあいまいな中間形態にあることを粉飾するためのものであるように感じます。だからといって、それは決して見せかけだけの虚勢にすぎないと言って済ませられるものではありませんが、かれらの言説は決して《政策》と呼べる代物ではなく、かといって《イデオロギー》でももはやない、両者の奇妙なアマルガムをなしている点は押さえておきたいとおもいます。

 ワン・イシュー・パーティーにとっては政策選択選挙こそ望むところですが、国民の側は、今回、投票行動と政策選択を直接結びつけることにいや気して、政策選択を政権党に一任する態度をとりました。
 国民が国家の政策に関して政策選択の意思をかならず持つべきかどうかは議論の余地のあるところでしょう。国民は、そのような形式(政策の次元)で国家と関係を結ぶべき義務があるのかどうか? ないと私は思っています。

 政策選択選挙が成り立つためには、政治家の側が努力して、国民に対して政策のわかりやすいメニューを提示する義務があります。今回の自民党は、そうした努力をするかわりにイデオロギーへ回帰してしまいましたから、政策はその陰に隠れて、争点化されにくくなってしまいました。
 ただ、解散する前に沖縄で米軍ヘリ・オスプレイが墜落したら、野田内閣は即日総辞職せざるを得ないところでしたが、こうして政権与党がかわってしまうと、責任の所在は一体どうなってしまうのでしょう?

 今回の政権交代は、一言で言えば(民主より自民の方が)「よりまし」という論理構成しか持っておらず、これはしかし、基地県・沖縄にとっては、意味もなく逆風が強まることでしかありません。
 日本と沖縄をともに生かす《政策選択》の可能性は那辺にあるのか、さらに思いを凝らしていきたいとおもっています。





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