三好達治と2・26事件 (5) 西田税の手記 | 柔ら雨(やーらあみ)よ 欲(ぷ)さよ

柔ら雨(忘年会酔っぱらいモード)「うちのしごとをする上では、最低の最低ラインとして、月に1冊は岩波新書を読まないとね。それも、本屋の棚から目をつぶって任意に抜き取ったやつを、好き嫌い関係なしに片っ端から読んでいく」

職場の新人「あのぅ、柔ら雨さん、岩波新書って何ですか?」

柔ら雨「……。と、とにかく、かたい本を少しずつでも読みつづける習慣をつけていこうな」





 先日、神田神保町の田村書店で三好達治全集を入手しました。この古書店は、詩・小説の初版本や文学全集がよくそろっています。倉庫から出してくるのでしばらく待っててくれと言われ、なにげなく書架を見ていたら、とんでもない本を発見。

堀 真清『西田税と日本ファシズム運動』(2007年 岩波書店)

 即決で買いました。800ページの大作で、幸いなことに人名索引が巻末についており、まずは三好達治が出てくるページだけ読んでみました。
 す、すごい! 文学者の書いた三好論には決して登場しない士官学校時代の三好像が、疑いようのない迫真のリアリティーで描かれています。なにしろ、著者の堀先生は西田税の手記をお使いになって三好像を描いています。西田手記が士官学校時代の三好をかんがえる際の第1級の資料であることは論をまちません。

 今回は、三好の詩のリーディングは1回お休みして、堀先生のご著書に描かれた三好達治像についてかんがえてみます。
 まずは次の文章をお読みください。


 三好達治は西田税が「偉大なる魂の所有者」と呼んでいた無二の同志である。三好は、のちに陸軍士官学校を中退、文学の道に進み、国民詩人とうたわれたが、工兵を志し、日米戦争にさいしてはパナマ運河を爆破すると称していた人物である。三好自身、「身を鴻毛の軽きに比して、理想のために殉じるという人間」を「最も好きなタイプ」と語っていたが、西田税とはじつに気があった。
 西田税の手記によれば、三好は、行動的「日蓮主義者」であった。ヒューマンな将軍として名を残した今村均の例にもみられるように、当時も、それ以前にも堅忍不抜の勇気を獲得するために、軍人は競って日蓮を師表と仰いだり、禅をこころみている。西田税らもこうした傾向に同調していたのであろうが、これには彼らが高山樗牛を愛読していたことも手伝っていたようである。
(142p)



 この記述には、石原八束氏の三好伝にも記されていない重要事実が詰め込まれています。
 まず、士官学校時代の三好は、工兵を志していて、日米戦争が起こったら自分がパナマ運河を爆破するのだと、西田ら学友に公言していたという事実。三好が士官学校に在学していた大正9~10年当時、果たして日米戦争が将来不可避であると見ていたかどうかまではわかりませんが、この時点において日米戦争の可能性を真剣にかんがえ、その戦争を肯定していたところまでは、上の記述から確認できます。
 昭和16年12月8日の日米開戦に呼応して、三好がやつぎばやに戦争詩を発表していった背景として、この事実は軽いものではないと言えます。

 つぎに、西田税の手記によれば、三好は行動的「日蓮主義者」だったという指摘。文学者の書いた三好論には日蓮のニの字も出てきませんので、これには大きなショックを受けます。
 昭和期の日蓮主義思想の位置づけについて、不勉強な私は明確なイメージを持っていませんが、三好もまた高山樗牛を経由して日蓮主義の空気を吸っていたのだとすると、熱心な法華経の読者だった西田税との思想的なつながりは一層深いものになってきます。ちなみに、後年の三好はニーチェを読み続けていると告白していますが、三好のニーチェとの出会いも、高山樗牛の著作を通してという可能性が強まります。

 軍人の視点から日米開戦を大正10年時点で肯定的にとらえる国際政治観、そして、それを思想的に支える日蓮主義、この2つの要素は、それから10年後の第1詩集『測量船』(昭和5年)にはおよそ読み取ることのできないものです。しかし、その10年の間に、三好の思想が大きな変質を遂げたことを示す事績は見当たりません。前者のような軍人精神と背馳しない形でフランス文学が志向され、かつ、萩原朔太郎への心酔も生じたと見るべきでしょう。両者は三好において背反し合わない共存状態にあったのです。

 萩原朔太郎が自分の直系の詩人を伊東静雄に見て、直弟子の三好達治に見てとらなかったのは有名な話ですが、朔太郎は三好に潜在している軍人精神に対して、自分とは異質なものを感じ取っていたのでしょう。実際、朔太郎と三好とはずいぶんと異質な詩人ですし、むしろ、三好が朔太郎をあれほど評価するに至った背景の方が、わたしにはよくわかりません。
 三好の感受性の振幅の大きさ、深さは、ちょっと並大抵のものではないように感じます。軍人精神と朔太郎とは、ふつうなら二律背反の関係にあって相互に否定し合うはずですが、三好の中では両者が仲よく共存していたのですから、これはちょっとただごとではありません。

 三好の軍人精神をよく示すものとして、堀先生が引用されている西田の手記の記述も強烈な光を放っています。今回はもう一つこれも読んで、問題点をピックアップしておくことにしましょう。
 以下は西田の手記そのもので(丸括弧内は柔ら雨の補足)、三好が士官学校を脱走して退学処分を受けた際の、西田とのやりとりです。


 彼(三好)が出奔した(陸軍士官学校を脱走した)のは、或る月のない月曜の晩だった。その前の日も二人(三好と西田)は煙草を呑んで語らうた。いつになく彼は泌々(ひつひつ)と(しぼりだすように)人生を論じた。突然、彼は言うた。「たとえどうならうとも、必ず目的を達しやう。だが俺は貴様といつまでもこうしてはおらぬかもしれぬ。目的を貫徹した上でなければ、もし別れても、音信すまい。」余は首肯(うなず)いた。出奔の決意を知る由もなかつた。
 がしかし、そのころ彼には男色に関する忌はしい噂が立つていた。それは余らの旧区隊で、彼とともに(朝鮮の)会寧の工兵隊に行つた渡辺(重治)のことであつた。……で、時々は、二人にそれとなく言つては慎重の言動を要(もとめ)ていた。彼(三好)はそのときも、一言のもとに風評を否定した。そして「いつか知れる」と呟いた。余もまた彼を信じて疑はなかつた。
 火曜の朝、起床とともに福永と平野とが三好の出奔を知らせてきた。……全校にはますます忌はしい風評・流言が伝へられた。……その後、北海道に奔(はし)つていた三好は連れ帰られて2カ月を獄裏に送つた。そして彼は飄然と東京を去つた。7年着馴れた戎衣(じゅうい=軍服)を脱ぎすてたまま。
(161p)



 当時、士官学校を退学するためには、生徒側から自主退学の手だてはなく、学校側からの放校処分を受けるのが唯一の道で、そのため、退学を希望する生徒たちは脱走の道を選んだのだそうです。三好もそれに倣って、東京の士官学校から北海道まで脱走し、2カ月間の獄舎暮らしの後、退校処分になったわけです。
 上の西田の手記は、脱走前夜に西田と語り合った三好の姿を伝えてくれます。

 「目的を貫徹した上でなければ、もし別れても、音信すまい。」この一文はどう読んだらよいのでしょうか?
 この夜、三好は西田に対して、自分が脱走する腹を固めていることを告げていません。告げてしまったら西田から引きとめられて、自分の決意がにぶることを恐れたのでしょうか。
 「目的を貫徹する」とは、おそらく、三好が退校処分を受け、晴れて民間人になることでしょう。そのためには、見事な形で脱走する必要があります。わざわざ遠く北海道まで行ったのは、放校処分を受けるという「目的を貫徹する」ためだったのでしょう。

 しかし、「目的」とは単に退学処分だけだったのでしょうか? 退学した上で何か事を起こそうとしていたのでしょうか?
 その点まではわかりません。ただ、「音信」に言及している以上、たとえ自分が退学処分を受けても、三好と西田の同志的結合がそこで途切れることはないのだと、西田に対して念を押していることが確認されます。三好の退校は、ふたりの友情にひびを入れるものではなかったのです。
 その点で、この西田の手記は、2・26事件による西田の刑死を三好が我が事のように重く受けとめたという、ここまで私が主張してきた説を補強してくれる資料のひとつであると言えます。

 西田が手記で語っている三好の男色のうわさは、三好本人の否認の言に疑わしき点は何らありません。
 この男色のエピソードが語っているのは、士官学校内における三好と他の士官候補生との激しい対立関係です。これは明白に、校内の主流派と三好との妥協の余地なき敵対関係が恒常化していたことを物語るものです。
 私はこれまでの記事で、士官候補生の三好を、軍の主流派の愚劣さや堕落に反抗するところの軍人精神の持ち主と規定してきましたが、その傍証となるのがこの男色のエピソードです。

 このような三好という人間の地金は、第1詩集の『測量船』ではまったくあらわれず、以後の3冊の4行詩の詩集にもあらわれず、詩集『艸千里』(昭和14年)において初めて明確な姿を見せることになります。
 いわば2人の三好達治がいるのであって、ひとりは、フランス文学に傾倒し、朔太郎に師事し、梶井基次郎を友とする『測量船』の三好です。そしてもうひとりは、西田税を友とし、軍の主流派を批判しながらも軍人精神を堅持し、後年の戦争詩の出発点となる『艸千里』においてようやく姿をあらわすところの三好です。

 これまでの三好達治論は『測量船』の詩人ばかりを取り上げる傾向が強かったと思いますが、私は、それと同格の重みを持つ存在として、『艸千里』の詩人を重視すべきであるとの立場をとりたいと思います。そして、このもうひとりの三好達治を取り巻くキーワードは、西田税、2・26事件、日蓮主義、そして戦争です。

 私も、全集を手に入れて、ようやく3冊の戦争詩集が読めるようになりましたので、今後は、『艸千里』からの連続性の相のもとに三好の戦争詩を読んでいきたいと思います。
 それとともに、堀先生の大著『西田税と日本ファシズム運動』を早く読んで、これについての感想も記したいと思います。





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