2018/06/16 | ぶんむぎ わさしち もろ〃日記

ぶんむぎ わさしち もろ〃日記

地味ぃーに色々ありまして。ときどき予約更新デス。

お久しぶりです。

とても長くて文章が乱れていると思うので

今、気持ちが健康なかただけ、よろしければ読んでください。

 

今日は我が家の長男文蔵の誕生日です。

ですが、
実は、文蔵の居ない2回目の誕生日です。
昨年、2017年の2月27日、犬生に幕を下ろしました。
どうしてもすぐに報告が出来ませんでした。
なんで?どうして?と聞かれても答えられないと思いました。
私がまだなんで?って信じられない思いのままで、診断にも納得出来てなくて、
自分を許せないからかも知れません。
「ありがとう」なんてとても言えなくて
ごめんねばかり。
もっときっと何か出来たんじゃないかと思っています。
診察室に飛び込んだ時、まだゆっくり心臓が動いていましたなんて聞いたせいかも知れません。
どんな慰めも励ましも、聞くのは地獄だと思ってしまいました。
それはやっぱり病気にしてしまった、苦しませて死なせてしまった、後悔や罪悪感
もっと走れば間に合ったのか?
あの時もっと不安を言葉にできていたら?
もっともっと前かもしれない
そんなはずはない、文蔵は寿命じゃなかったはずだと思ってしまうから
どこに遡ってやり直せば、今も文蔵は生きていられるんだろうかと
そればかり考えてしまいました。
文蔵の居ない初めての季節を迎えるたび涙が止まらなくて、
気づいたら1年以上泣いて過ごしてしまいました。
とても愛くるしかったはずなのに、
その姿を思い出したいのに
最期の苦しい姿や息遣い腕の中の感触とぬくもり、
酸素マスク心臓マッサージ繰り返される先生のどこか遠くで響いているような「もう戻らないと思います」「止めていいですか」の言葉、耳鳴りと止まらない震え
動かなくなった文蔵を起こそうとする麦やわさびの姿が、まだ昨日のことのように思い出されて
スマホの画像もひらけなくなったまま
何度か、親しくしていただいてた方たちに、報告しようと思いましたが、その度に息が苦しくなってしまいました。
 
きっと悔いのない別れなんてそうそうあるものじゃなくて
辛くない別れなんて絶対ないのに
大事なペットを亡くして色々な思いを抱えていても、みんなちゃんと前を向いて必死に生きているのに、
なんで私はこんなにダメなんだろう
なにをしても文蔵の不在が強く感じられてしまって
天国も虹の国も信じられなくなってしまって
こんなことでは周りの人まで苦しませてしまうと思いました。
 
文蔵が亡くなって
麦が急に弱ってしまいました。
咳や逆クシャミが長く頻発しました。
すぐに心電図検査をし、心不全にプラスが出ました。
貧血になり体力が落ち、感染症になりました。
なんとか元気になったと思っていたら
急にそれまでと違う咳き込みをし、
気管虚脱の診断が出ました。
文蔵とは違う病気だけど
文蔵に続いて、麦にまで苦しい思いをさせるかもしれないと思うと目の前が真っ暗で、
とても見届けられる自信がないと思いました。
そんな姿を見るなら自分が先に終わってしまいたいと思いました。
最期まで寄り添うのが飼い主の当然の姿だと信じて疑わなかったのに
無理かもしれないと思ってしまった自分がいました。
 
だけど、ほんのちょっと入院する機会ができて
なんの準備もないまま
一時帰宅も許されなくて
麦やわさびたちのことが心配でたまらなかったです。
何も出来なくても苦しくても
そばにいられることは幸せなことなんだなと思いました。
当たり前のようでも、それが出来ない時だってあるから
一緒に居られる時間をちゃんと大事に過ごさないといけないなと思いました。
 
苦しくて先延ばしにしてしまったことで
良いタイミングというのがわからなくなって辛くなってしまった
私が今まで出来なかったこと
 
いつでも誰かの
悲しい日かもしれなくて
嬉しい日かもしれなくて
辛い日かもしれないから
私がつい感情移入して苦しくなったりしたように
誰かを苦しくさせたらごめんなさい。
 
子供のような存在だったのに
助けてあげられなかったから
まだ立ち直れなくて
ちゃんと思い出してあげられないけど
1年以上が過ぎて
涙は出るけど、誕生日は悲しい日じゃないって思うことが出来ました。
今日は悲しい日じゃないから
ほんの少し、前を向くために
文蔵から勇気をもらって
遅くなりましたが
報告でした。