時として時の流れに身を任せながら、
うどんにするか、ラーメンにするか、 これもまた贅沢な悩みなのでしょう。
また更にソーメンがあったりすると、
めいろの食事は実に簡単ですから。
オイラとしては、
悩みまする。。。。が、
恵まれていない時のなんと喜ばしい普段。
己の域内では何がどう転び、どうなっても、
人。。。。人々。。。。人と人々。。。。世。
ことばに見えない苦しみや悲しみがあり、
てのひらに乗ってしまうかのような心でも、
従って、見ることも触れることもできない。
できることは“推し測る”ことでしかない。 “推し測る”ために用いる「目」や「耳」は、
そもそも、
関心の新味か。
情愛の親身か。
厳然の真味か。
築地市場、豊洲移転、東京五輪に関わり、
目論見違いの「がっかり」で汚れた溜め息。
マスコミでは都政、都庁に縁の専門家や、
今頃になって、今更ながら、
専門会議だの技術会議だのメンバーだの、
つぎ込んだ膨大な金のことだけに雁字搦め。
連携にされてしまった五輪の事業も並行さ。
都民や国民の閉口など知ったこっちゃない。 (アホさ加減の具体は後述に)
ゼネコンを排除すれば「事」は簡単に進む。
「がっかりなんかしない、するもんか!」
福岡高裁那覇支部裁判の傍聴記から。
沖縄の空も目蓋を閉じるかのように、
天知る、地知る、ことからの涙でしょう。
人も知り、やがて天罰は永田にくだる。
オイラなんか、もう疾っくの5年半前に、
「がっかり」はホンの一瞬で「やはり」です。
まあ、我が日常のこまごまの駒々には、
政治や行政のがっかり策には負けられん。
国民、大衆、庶民を「がっかりさせたい」
そのうち、
全国的に雨模様ですか
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