だれが言ったか、どこに行ったか、
事有り、事起こるたびに思い、
そして、思わされます。


命よりも高価なものは存在しません

と。




なぜ私たちはこの場所、広島を訪れるのでしょうか


冒頭直後に、この表現で語り始められた所感。

「HIBAKUSHA」の語句を加えたオバマの演説。

「ヒバクシャ」が涙する琴線の響きのようでもあり、
「核無き世界」への悲願の出発点と捉えるべきか、
などの疑念はこの日に限り、さて置くことにします。


17分に及んだというホワイトハウス的戦略の演説。




世界一貧乏な国の嘗ての大統領:ホセムヒカ


彼が発信した一言一句の重みを噛み締めれば、
部分部分にフィーリングの引用が感じられます。


これが人類の運命なのかと思い出す
の綴りにムヒカ氏演説を書き起こしました。


私たちの本音は何なのでしょうか
どこまでが仲間で、
どこまでがライバルなのですか
なぜ、私たちは、
このような社会を作ってしまったのですか


発展は幸福を阻害するものであってはいけない。
発展は人類に幸福を齎すものでなくてはならない。

と、ムヒカ氏は2012年6月の演説で述べています。



オバマ大統領は昨日の所感に表わしました。

「物質的進歩や社会的革新は真実を見えなくさせるのでしょうか」
「どれだけたやすく暴力を正当化してきたのでしょうか」

と。


夜のニュースに目を遣り、つくづく感じました。


滔々と語るオバマの僅か1メートルの傍らに安倍


何故いつもいつも、この安倍晋三という「物体」は、
四方、周囲にそよぐ風を読むことができないのか。


控えることを悟る知能神経が全く無いのです。

だから世界中の首脳からは決して相手にされない


生で中継を見なくてよかった、と勝手に安堵しました。


心無い安倍晋三の姿が、せっかくの広島演説に、
ただただ虚しさの暗雲を棚引かせたことでしょう。



常々の思いがムックリと頭を擡(もた)げるのは、
「核兵器廃絶」に「勇気」など要るものかです。


、70年の節目の「序で」に、ひとまず抑えます。


オバマの演説後、こともあろうに間も置かずに安倍。

所感の悉くを台無しにするような文言を並べただけ。


安倍晋三が述べた所感の全文に滲む不快な虚しさ

この中の一部だけを文字にしますと、
「核兵器のない世界を必ず実現する。その道のりが、いかに長く、いかに困難なものであろうとも、絶え間なく努力を積み重ねていくことが、今を生きる私たちの責任だ」


安倍晋三という「物体」から「必ず」の音が出れば、
決意も覚悟も責任も「言葉の上だけ」になります。

「道のり」を途方もなく長くし困難にすることだけを、
安倍晋三自ら過去20年の悲願にしてきています。

必ず、人々の願いは可ならず方向に向かいます。


実はこの所感の冒頭に、子供さえ笑ってしまう、
「私が私が」の下品な自慢ごとの文言があります。


つまり日本を無視した「安保の約束」の米国訪問。

「私が国賓として」行った先の議会でのスピーチ。


ま、バカバカしくもアホらしいので、触れません


確実に言えることは、
安倍晋三がオバマの所感を認識することはない
ということです。


とにもかくにも、世界には「お役御免」の安倍が、
日本の国内に振り撒いたNHK産の偽装成果で、
ここ当分の間は「お厄に立つ」ことになるでしょう。


手枷足枷になってこそのマスコミが、哀しいかな、
揃って安倍の提灯持ちになっているのですから。


国民の手足を縛る鎖づくりの政治・経済・マスコミ。


世界のメディアは、福島、沖縄、熊本・大分など、
安倍晋三による非道の実態を見抜いています。



新世界第4楽章 Dvorak Symphony No.9 Final
https://youtu.be/qlhqFgb7gkc

【めいろの:待たれるジャーナリズムの上陸】2016.5.28