パティシエもどきの大冒険 -3ページ目

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見えるものがある。

もっと集中しなくてはいけない。

もっと繊細にならなくてはならない。

もっと柔軟にならなくてはならない。

もっと多くを捨てなくてはならない。

もっとシンプルに。

プレビュー公演を終えて

世田谷シルク「ブラック・サバンナ」
2日間のプレビュー、3ステージを終えました。

周りの変化に呼応して、自分も変わると同時に、作品の繊細な部分に多く触れることが出来たプレビュー公演でした。

もっと多くの方々にご覧頂きたい。

14日まで休演日なしで、小竹向原のアトリエ春風舎にて上演しております。

是非お時間ございましたら足をお運び下さい。

(チケット予約はこちらからどうぞ)
http://ticket.corich.jp/stage/admin/login.php?id=43165

谷くんのブログに触発されて。

谷賢一という男がいる。

劇団「DULL-COLORED POP」の主宰であり、作家・演出家・翻訳家。たまーに役者をやる男。

その谷くんが書いたブログで気になっていたのがこれ。
http://www.playnote.net/archives/002592.html


以前、谷くんと二度、現場でご一緒させて頂いたことがある。
その谷くんがこういうことを書いていて、別現場であと一週間くらいで初日を迎える身としては勇気が湧いてくる。

以前、「日本の問題」というショーケース公演にお互い別団体だったが参加していて、劇場外に置いてある灰皿の前でタバコを吸っていた時、彼から「何故そこまでして舞台に立つのか?」と聞かれたことがある。

俺は「責任があるから」と答えた。

役者は台本があり、演出と芝居の域まで作品を創り、スタッフの音や美術、照明の中で作品の世界を生きる。

最後にバトンタッチされるのは役者だ。
だから役者には舞台やカメラの前にいる以上、責任がある。

血ヘド吐こうが、生きなければならない。

そこで自意識と闘い、屈伏させて作品の世界を肉体を通して伝える。
それが役者の仕事。

演劇、舞台の場合、色んな特色を持った演技体がある。
前を向いてお客様を常に意識した演技、逆に相手と向き合う演技、血の熱さを全面に出す演技、日常のように喋る演技。

様々だが、中心にあるのはベーシックに相手とやり合う真実だと思っている。
見せ方の違いは正直、演出家の価値観・芸術感の違い、それだけだ。

言葉の通り、生身で相手とぶつかるのが芝居であり、そこから産まれるものがお客様に何かを残すと思っている。


実はこの記事を書く前、今日の通し稽古での自分の出来が良くなかった。
理由は分かっている、その上で谷くんのブログを読めて良かった。


しっかり寝ながら色々と今の作品のことを考えて明日の稽古に備えようと思う。
おやすみなさい。