MARS ~空からの訪問者~ (後編) | 空白の瞬間

MARS ~空からの訪問者~ (後編)

LAST VISUALIVEに向けてのおさらい記事その3いきます。
まだの方は先にこちらに目を通して下さいね。

【1】ソロ始動に繋がるマリスのストーリーおさらい
http://ameblo.jp/xxxxasukaxxxx/entry-12098655456.html

【2】MARS~空からの訪問者~(前編)
http://ameblo.jp/xxxxasukaxxxx/entry-12104129073.html



bule

『Mirror』のカップリングとして収録されているピアノソロ曲。
この曲はツアーDVDには収録されていませんが他で解説する機会がないのでここで。

青というタイトルは漠然としているので色んな意味が考えられます。
血の赤に反する人間らしくない色であることから死体や死を意味するだとか
Mana様のテーマカラー、ブルーな気分、信号の進め…というのも浮かびましたが
悩んだ末に私が有力視しているのはルシエルを意味する「天空」です。

青を調べると必ず行き着くのがラピスラズリで
『Mizerable』に収録されている『Lapis~Prologue~』が浮かびます。
ラピス自体は石という意味ですが、ラピスラズリが正式名称で
ラズリは天空・青という意味。

『Mirror』は「この大空の」というサビが印象的で
カップリングなら何かしら関連付けられた意図もありそう。
『Ares』の歌詞にも「この蒼い世界」と出てくるので
blueは場所を示すものであると読み説くのが自然かなーと。

この曲はピアノごと宙に浮く演出でした。
地面から離れるのは空へ向かおうとしている行動だと解釈出来ます。
歌詞がないので明確な想いは想像の域を超えませんが
空からの訪問者が、空を恋しがっているのだと思います。

ラピスラズリのパワーストーンとしての意味は
人間関係のトラブルなどコミュニケーションの改善。
不仲に苛まれていたこの当時にピッタリな気がします。



OASIS

目まぐるしい勢いで違う世界へ移ることを宣告しながら「君」の手を取ろうとする曲。

この映像に入る前のナレーションは
「僕の我儘に付き合ってくれて、僕を信じてついてきてくれた」というスタッフへの感謝の言葉。
当時は雑誌でも「全て失った時に側にあるもの」を噛み締める発言が多く
「何もかも失うまで」という歌詞は
今まで「MALICE MIZERのGackt」だったから手にしていたものがなくなったことを意味する
現実的なGacktさんの環境の描写だと思います。



この衣装を見た第一印象は「浮浪者」でした。
お金も人も住む家も、何もかもを失ってしまった人が
身体に合った服を調達出来ず、あり合わせの布を纏って地面を引きずっている姿。
正面には大きな染みもついていて、とても小奇麗な格好とは言えません。

『鶺鴒』のPVで着ているコートの元ネタである雑誌では服について語っていて
「ボロボロでも自分らしくあればいい」という発言があります。
「マリスがマリスである為にと思って耐えていた(SHOXX発言)」世界を飛び出して
僕が僕である為の自由を求めたGacktさん。
ボロボロでも自分らしく、何もかもを失った状態、そんな自身の姿かと。

お話は『Mizerable』のPVでカーゴを降りた煌びやかな王子様のその後の展開。
「永遠に幻に抱かれるより一時でも自由を選ぶ」とあるので
自らの意思でカーゴを降り、砂漠を彷徨ってオアシスを探すと決断したということです。
マリス側は失踪したGacktさんの帰りを待っていたので追い出したわけではありませんが
待っていたのが平穏な環境ならば「幻」とは表現されなかったと思います。

「つばさを広げ空へ舞い上がれ 焼かれる前に太陽になれ」という歌詞は
『N.p.s N.g.s~No pains No gains~』の以下の歌詞に似ています。
「太陽になりたくて月の上で僕は胸にknifeを突き刺して遊んでいる
 羽を広げ空へ舞い上がる僕は火に抱かれ歓喜の声を張り叫ぶ」

ナプスは闇の世界でしか生きていけない吸血鬼が太陽に憧れ
不老不死でも死ぬという心臓への杭打ちを実行(=自殺)の光景を描いたもの。
「Die game」は勇敢に死ねという意味で
望まぬ生き方をするくらいなら死を選んで正義を貫けというメッセージです。
「永遠に幻に抱かれるより一時でも自由を選ぶ」を言い換えたような同じ主張ですね。


そして腕には機械が取り付けられ、曲中も機械的な動きの演出があり
『鶺鴒』で死んだ後、サイボーグとして蘇ったことが分かります。
曲の始まりも機械音で始まっていて「再生」を感じます。



天空にいた「魂の誘導者」が地上に転落して「人間」になり更に「サイボーグ」となる急展開。
天空=マリス、転落=脱退、再生=ソロ始動、というニュアンスでしょうか。
弱い心を殺して戦う意思を強く持つという意味で人間とサイボーグには違いがあります。


「遠い過去に生きつづけるうつろげな君がいる いつまでも動かないのなら切りさかれればいい」
というフレーズは、マリスでの王子様キャラに引き戻そうとするミゼラーへの攻撃文句だと感じ
当時の私はこの言葉に傷付き、Gacktさんに怒りと憎しみを抱き始めました。
好き勝手進んで皆を振り回した揚句、マリスを求めるファンを批判するの?
でもGacktさんからしたらその環境を望んで壊したわけではなく
飛び立つ必要性を感じたから勇敢に死んだ、というところでしょうか。

この曲の1番のメッセージはきっとここだと思います。
「差し伸べるこの腕をつかめるならひとりきりでも君はまだ笑える」

これと同じシーンがカップリング曲『uncertain memory』に描かれています。
マリスメンバーに過去を否定されて記憶の不確かさに困惑したGacktさんが
「伸ばしたこの腕の先に君が見える」とファンの存在に救いを求める光景。
反して『OASIS』は嘆くファンを救う立場にGacktさんがいますが
どちらも「両者が腕をつかめば救われる」というお話です。

手を繋ぐのではなく腕をつかむというのは、深く強く握り合うことを意味していて
高所から落ちそうな人をつかむ手を想像すると
緊急事態を乗り越える為にはそのくらいの力が必要なんだなと納得。
だからこそGacktさんは怒りさえもストレートにぶつけて
表面的な体裁だけではない、本気の繋がりを求めてきたんですね。



Mirror

曲が始まる前と、曲の途中で中断して声を出し合う煽りタイムがあります。
「もっと声を聞かせろよオイ!」に対して「Gacktー!」と名前を叫ぶ客席。
魅せるステージングの一部から、客席がエネルギーを放出する時間へ変わる二部。
「君の声が火をつけてくれたから」とはこの光景のことで
困難に躓いて過去を恋しがってる場合じゃないと
自分を求める人たちの想いに応える意欲を持ち直せたことを意味するのだと思います。

煽り文句の中に「かかってこいよオイ!」って言葉も時々あるんですが
私にとっては憧れのレスパスの1シーンで、これを生で体験出来た時は物凄い嬉しくて。
『ILLUMINATI』のイントロで叫ぶ大好きなシーン。
会いたかったMALICE MIZERのGacktさんと同じなんだと強く感じた瞬間でした。
「魂の回収」はきっとこうやってされていたのだと思います。




この頃は既にFCがkiss markからDearsへ移行済みですが
このツアー直前にソロ始動時の事務所の武陣(kiss mark時代)と揉めて再び失踪騒ぎがありました。
その行き先がフランスだったんじゃないかと思ってますが。
生放送ラジオの曲紹介時に初めて読む台本で自分のミックスCDがリリースされることを知り
そんな話は聞いてないと言ったこともあったし
FCからゲリラライブの告知がされるも出演せず映像を流すだけだったりして
事務所とうまくいってないことはファンの目にも明らかでした。

彼は自分の名前が勝手に使われてることを「クローンGacktの一人歩き」だと言いました。
それはファンとGacktさんが互いに抱くイメージに対しても同様で
「君の目に映っている僕」はクローンだったんじゃないか?と歌っているのが『Mirror』です。

鏡=本物に見えても実物ではない

「目新しいモノばかり追いかけていて
 「古き良き時代は何処に行ったの!!」そんな口癖は君に嘆く資格はない」
今まで誰もやったことがない斬新なマリスを支持していたファンが
新しく進むソロ活動に難色を示した当時の状況に対するGacktさんからの逆ギレ。

ファンは「なんで変わっちゃったの!裏切りだ!」って言うけど
Gacktさんからしたら「全部が大好きとか一生ついていきますって言ってたじゃん!」だろうし
お互いに理想だったイメージが現実とズレ始め
自分に都合のいいクローンを愛でていたことに気付くのです。

ソロ始動直後のGacktさんは初めての金髪、ピアス、脱王子様のラフな服装…と
ビジュアルに大きな変化がありましたが「僕は何も変わってない」と繰り返し言いました。
そう言われると自然と変わった点と変わってない点を探すようになります。
何が変わったら「私の思うGacktさん」じゃなくなるのか
何が変わらなければ「Gacktさんが思う自分らしさ」が保たれるのか。

以来「これがGacktだ!」というメッセージを頻繁に提示するようになりました。
最新版の自分を誤解なく理解して貰う為に。
「クローンGacktの一人歩き」を止めようとしたのです。





U+K

Kamiくんの別名「神村右狂」のイニシャルに由来した曲名なので追悼曲と言われていますが
故人へのメッセージや思い出を語るものではなく
Kamiくんを失ったことを同じように悲しむファンを励ます内容になっています。

Kamiくんの訃報を受けて間もなくのラジオで
当時まだ有名ではなかった『千の風』を涙をこらえながら朗読したことがありました。(29:20から)
ファンに対してGacktさんが求めているのは
悲しみの共有ではなく「泣かないで」だったのだと思います。

ちなみにこのラジオでKamiくんのことを語った後に『Brise』(=そよ風)を選曲したのは
以前から『千の風』に影響を受けて
死者は風になって側にいるという発想で作られた曲だからだと思います。
この曲は幼少期に入れられた精神病棟の思い出を描いていて
曲が出来てから当時の患者仲間に聴かせに行ったら皆涙したというもの。
『~de merveilles』に唯一最初から最後まで入っているキーワードになる音というのも
風の音なんじゃないかなと思ってます。
後にリリースされる『ANOTHER WORLD』『12月のLove song』のMVを収録したビデオの
『微風』というタイトルもそこに由来している筈です。


ライヴではネコの着ぐるみと一緒に踊るにぎやかなステージ。
MARSツアーでは白鳥コスプレのおじさんたちが出てくる余興のような演出もあり
何でもいいからとにかく笑顔になれる空気作りがテーマになっているようです。



後にリリースされる『君のためにできること』の
「僕が君のピエロになるから」という、おどけて楽しませる光景そのもの。
2004年のGIFTツアーの特典映像(当選者がダンサーとしてステージに上がる企画)の中では
「着ぐるみを見たら皆無条件に可愛いって笑顔で寄ってくるものだから」
という発言もありました。

この頃はファンからのメールに「笑顔の写真を添付ファイルで送って」なんて言ってて
ファンの悲しみを笑顔に変えたいと願うと共に
Gacktさんもその笑顔に癒され励まされていた笑顔の連鎖も起きていました。

曲の始まりに「にゃーにゃっ」という声を入れたり
間奏に『猫踏んじゃった』がアレンジされていたり
猫の要素がとても強いのはKoziさんの影響なんじゃないかと思ったりします。
猫の習性や神話とかあらゆる観点で長年調べて考察してましたが
猫はそもそも家庭用のペットで聖書や神話には出てこないのです。

Koziさんのファンって猫キャラアイテムを身にまとう人がとにかく多くて
可愛い=ネコの方程式が根強く存在してることを実感するんですよね。
Koziさんも猫の前では普段あまり見せないデレデレになってるの側で見てただろうし
Gacktさんの身近にあった「人はこれで癒される」という発想だったんじゃないかと。
自分は犬を飼ってたものの、Koziさんの猫溺愛っぷりが強烈だったんだろうなと(笑)。

「月の魔法はshalle a le rilla」という謎の呪文が並べられていますが
シャラルララは流れ星の効果音だと思います。
『claire~月の調べ~』が同じく流れ星に願いを込めている曲で
月の見える夜空の下で「魔法の言葉を繰り返す」歌詞になっています。
『claire』での魔法の言葉は「amas d'etoiles couleur sepia」というフランス語で
輝くセピア色の星々に「いなくなってしまった彼女を探して」というようなニュアンスかな。

『U+K』も同様に再会を願っていますが『claire』に比べるとポジティブで
哀しんでいる人を笑顔にしたいという願いも同じくらい強く感じます。



Vanilla

この歌詞は「君」「キミ」「僕」「ボク」という表記の使い分けがありますが
漢字が現実でカタカナはクローンと捉えて意訳してみました。


君がなぞっていたのはクローンの「ボク」だった
(君は誠実なmoralist 綺麗な指でボクをなぞる)

僕は勝手な解釈で「キミ」の期待に応えてるつもりで新しい世界を提示してきた
(僕は純粋なterrorist キミの想うがままに革命が起きる)

それなのに理想と違うと言って「ボク」を批判する
(恋に縛られたspecialist 長い爪を立てられたボク)

表面しか見てない「キミ」ともっと分かち合いたいのに、本性を見せると「君」は嫌がる
(愛を確かめたいegoist キミの奥までたどりつきたい 君の顔が遠ざかる)

批判してくる冷たい「君」
(「…ナンテ気取りすぎ」そんなcoolな君はplastic)

「君」は嫌がっている
(歪んでいく君の顔が)

理想を壊さないでいるべきなんだろうか
(ボクがボクでいられますように)

通じ合ってると思ってたのが存在しない「キミ」だったなんて悔しい
(悔しいくらいに キミにハマってるのに)

批判してもいいから正直な気持ちをぶつけてきてよ、本当の「君」を理解したい
(あるがままでいいよ もっと 君を)

「君」は理想に反する「ボク」を受け入れない
(君は…ボクの…番人だ)

この曲は言葉遊びが多く、歌詞通りに歌ってない箇所がいくつかありますが
「あるがままでいいよ」が「あるがままでいや」(あるがままでは嫌?)とか
「愛してもいいかい?」が「愛してもう一回」とも聞こえます。
歌詞通りだと「君を受け入れる」という内容ですが
その聞こえ方だと「僕を受け入れて」というメッセージが隠されてるように思います。


ステージではGackt JOBのメンバーたちとのお色気的な絡みの後に
「イクーッ」のところで絶頂を表現したかのように弾けたお札が降ってくる演出。
お札にはGacktさんをはじめ、メンバーたち、主要スタッフまで印刷されていました。
これは歴史に名を残す偉人であるという意味なのかな。



お札ばら撒きのニュースは世界中で見かけますが、その心理に共通するのは
人間がお金へ執着することを知っているけど自分はその価値観がないという点でしょうか。

実はこのツアーは裁判を経ての成立でした。
DearsのHPにも、個人メールでも2000年の5月8日に
「明日発売の週刊誌に載るけど心配しないでね」とGacktさんからの事前告知があり
FLASHにソロ始動時の事務所の武陣との裁判の結果等が報じられました。
裁判中は活動停止を言い渡され、これ以上ファンを待たせたくなかったGacktさんは
億単位の借金を背負う代わりに「コンサートやらせてくれ」と懇願したとのこと。

このお札をばら撒く演出には
「それで自由が得られるなら金なんてくれてやる!もっと大事なことがあるんだ!」という
ファンの前に立ちたいという熱意の表れだったのだと思います。



Dears

はしゃぐ客席の様子がスローモーションで映し出され
まるでGacktさんの視界に映る「愛おしいもの」のような光景のなぞり方。
大金と引き換えにしたその熱意がGacktさんの口から語られます。

「長い間皆を待たせてしまって
 それでも僕を信じてついてきてくれて…
 そんな皆に僕が出来ることはこうやって「おかえり」って言うことで
 僕にとっての大切な家族だから、皆の気持ちに応えたかったんだ
 for my dears」

『絵夢~for my dear~』とは違う複数形で
このコメントからもファンに向けた曲であることが分かります。
このDVDには収録されていませんが
『Mirror』が終わるとMCタイムになり、その始まりは「おかえり」「ただいま」のやりとり。

『Mizerable』のインストアイベントで脱退後初めてファンの前に姿を見せた時に
自然発生したファンからの「おかえり!」の声に「ただいま」と応えたのが始まりなのかな。
その感動を「僕にはまだ帰れる場所があったんだ」と喜びを語っていたGacktさんが
逆に「おかえり」とファンを迎える場所として用意したライヴという空間。
帰りを待って1つの場所に集まる存在を「親愛なる家族」と感じたことを曲にしてくれました。

イントロで両腕を上下させて羽ばたくような仕草をしているのは
「皆の気持ちに応えるためにここへ来たよ」という空からの訪問者の姿。
歌詞に「ファン」という単語はありませんが
お客さんの様子が映し出されているのが何よりの「君たちへ向けて歌っているよ」という訴え。

皆を傷つけた自覚、今ある悲しみや苦しさの認識を踏まえた上で
未来は見えないけど「進むしかない」と強く確信したことを歌った詞です。



ここで、どの公演でも必ずあったGacktさんの最後の発言。

「いつも人は、失ってから気付く大切なものの大きさや重さがいっぱいあって
 大切なものや大切な人はいっぱいあるのに
 いつも失ってから気付くことが殆どで…
 今!君たちの側にいる大切な人を
 もっともっと優しく、もっともっと大事に出来る筈、君たちなら出来る筈」

MALICE MIZERというおうち、それを取り囲むスタッフ…マリスだったから側にいた人たち。
そして自分の脱退で壊してしまったマリスを好きだった人たちのかつての笑顔。
そんな中で追い討ちをかけたKamiくんの死。
進むしかないとは思えど、そこには強い後悔があることが伺えます。
もしやり直すことが出来ても脱退の決断は変わらなかったかもしれませんが
もっと側にいた人に優しく接して大切だと伝えれば良かったと痛切に感じている様子。
ポジティブな発言は必要だったけど、後悔があることを知れるのは正直嬉しかったです。
悔やんでくれなきゃ癒されない心もあるのです。



この誰もいない部屋で

曲名と繋がる歌詞は、からだが震える理由と涙がこぼれる理由の疑問文。
孤独に震えて悲しんでいる様子であることが分かりますが
「目が覚めれば涙の理由を時間をかけて話すから」と説明には少し時間を欲しがっています。

目が覚めるというのは、夢心地だった「幻」から酷な現実を見ることに対する比喩。
「自分が信じていたのはクローンだった」と気付くことが目覚めになるのだと思います。
話はそれを受け止めることが出来てからだ、と。

歌詞前半は、いつも側にいて穏やかに時間を過ごしてきた描写。
しかし、幸せだと感じてきた時間は本音を見せなかったから成り立っていたもので
そこに絆を作る程のやりとりはなく、多少疑問を感じても黙って微笑んでいた様子です。
それまでのGacktさんとファンたちの関係そのものですね。

歌う前にこんな前置きがありました。
「ここに集まった大切な仲間へ、ここに集まった大切な家族へ、最後にこの曲を皆へ捧げます」
涙の理由を話した後でGacktさんが願っているのは最後の1フレーズ
「もう一度抱きしめさせて…」になるのだと思います。
『Vanilla』の「愛してもう一回」に通ずる、やり直したいという想い。

これはmerveilles~終焉と帰趨~ツアーの最後と繋がっているように思います。
同じように贈るという前置きで「あなたを抱きしめ眠りたい」と歌った『au revoir』。
それは間違いなく、あの日のステージに立ったGacktさんと同じGacktさんでした。



最後はナレーションで締めくくり。

あなたにGacktの魂の叫びは届いただろうか
そして魂の交流は実現しただろうか
「dears」
親愛なるファンを彼はこう呼ぶ

そしてGacktさんからDearsへの言葉として紹介されたのが
「If you put your mind to it, you can accomplish anything.」でした。
映画『バック・トゥー・ザ・フューチャー』で発明者ドクの口癖として何度も出てくるもので
やれば出来る、その気になれば何でも出来る、為せば成る、という意味。

「1人1人が着実に生きていく後押しが少しでも出来ればきっとGacktは報われる筈だ」
という文末は、彼にとって勇気と努力を振り絞る報酬なのだと感じました。
悲しみに暮れたままではなく、前を向いて欲しいのだと。
その為にGacktさんは活動するのだと思いました。