小沢裁判での田代検事の偽証問題にしろ、
大阪での郵便不正事件での元検事たちの判決にしろ
一個人の問題というより、検察組織の問題、
とりわけ特捜の組織的犯罪としてとらえなければならない。
裁判所もそう考えているようにみえる。
(ただ、小沢裁判は微罪だけど有罪の可能性もあり、
予断を許さないところがある)
司法改革はいまを逃しては大きな改革はできないでしょう。
検察も検事総長は腹をくくって、そう言っています。
裁判所もいままでのように検察べったりの姿勢を変えようとしている。
弁護士も変な妥協的な態度を改めてほしい。
警察もそうです。
なによりも事実がどうであったのかを主軸におかなければならない。
いままでは事実そっちのけで自分たちの主張が絶対だった。
特に検察がそうだった。自分の思い描いたストーリーを
最後まで押し通そうとした。そのやり方のためには被疑者を
拷問ともとれるような取調べを行なった。
その捻じ曲げられた取調べ調書によって判決が下された。
裁判所も証拠よりも取り調べ調書のほうを重視した。
なにかおかしいなとは思っても、まあ検察のいうことに
従うのが慣例になってるからいいか。
そんな安易な判決が多かった。
弁護士もそうだろう。
たまに出てくる弁護士は真実を語り、検察の横暴を
訴えているようにみえるけど、そういうのは1部。
大抵の弁護士は真実よりも検察に勝つのを
あきらめ、量刑を少なくすることが出来る弁護士とされている。
もう一度、法の精神というものに立ち返る必要があるだろう。
いまがチャンスです。