星垂れて平野闊く 月湧いて大江流る

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最近、書類などの性別を書く欄で、そういう表記になっているのを時々見ます。

「多様な性」についての認識が進んできたようで、大変喜ばしいことでありまして、わたくしも、「その他」が選択できる場合には「その他」を選択しております。

 自分自身、「男性も女性も、その他の性の人も」という言い方をすることがあります。
 

でも、改めてよく考えてみると、なんかちょっとおかしい気もします。
 「性別:その他」「その他の性の人」って具体的にどういう人のことを言っているんでしょう?

 

おさらいしますと、性別というのは生まれ持った肉体の性別だけでなく、

・性自認(心の性)

・性的指向(好きになる性)

・性表現(社会的な性)

と、大きく分けて四つくらいのカテゴリがあるわけですね。

それぞれ全く別々のもので、組み合わせも色々です。

よ~く知られている所だと、元々の肉体の性が男性で性自認が女性、という人をMTF、逆をFTM、このように、程度の差はともかく、肉体の性と性自認が一致しない人をトランスジェンダー、といいますね。
 

「性別二元論」というものがあります。「人間には男らしい男と女らしい女しかいない。いてはならない」というファシズム的思想です。

あたしがこういう性別二元論者、特に精神医療従事者から長きに亘って苦しめられてきたことは何度も書いてきた通りでして、そういうこともあって大変この思想を憎んでいるのですが、といっても、「基本的に」性別は「男」と「女」のどちらかしかないのです。
 ちょっと理解が難しいですが、違いがわかりますかね?

 

勿論、インターセックス(肉体の性がどちらでもない、はっきりしない)とか、あたしのようなXジェンダー(性自認がどちらでもない、はっきりしない)というのもありますが、少なくとも、性表現(社会的な性)に関しては今の所、男・女のどちらかしか認められてはいません。つまり、誰もが(表向きは)どちらかとして生きていかざるを得ないのです。

「『化粧は女の身だしなみ』という社会規範はおかしい。ブチコワセ(o´)」という主張はできても、また、女性が好きだから女性と結婚式を挙げますと宣言して実行したとしても、「女性として社会生活をしている/していく」ということに変わりはないわけです。「その他」なんて生き方はないわけです。

(TPOに応じて「男」と「女」を使い分ける、というのはあると思います。例えば、昼間は男性として生活しているが、夜は女性としてクラブで働いている、という人もいますね)


 で、「性別:男 女 その他」表記のお話に戻りますと、恐らく、本当のニュアンスは「性別:シスヘテ男性 シスヘテ女性 その他」ってことなんでしょう。

【「シスヘテ」の意味がわからない人はいるかな?ちょっと俗には「ストレート」ともいいますが、「シスジェンダー、ヘテロセクシャル」のことです。シスジェンダーはトランスジェンダーに対して、肉体の性と性自認が一致している人、ヘテロセクシャルは異性愛者のことです。要するに性的マジョリティ、俗に言う「ノンケ男女」のことですな】
 

一見親切なようにも思えますが、でも、特に自分はゲイ(または既に男性として社会生活をしているFTM)だとか開示する必要がない、したくない場で、「自分はゲイ(FTM)だから『その他』」と選択する人なんてそんなにいるでしょうか?
 普通、「男」にしないでしょうか?わざわざ奇異な目、好奇の目で見られたくもないでしょう。

 却って、「『その他』にすれば自分は『普通の男』じゃない、『本当の男』じゃない、と認めるような気持ちになるから嫌だ」と思う人もあると思います。

 まあ、個々人の思想、解釈、選択に委ねますってことなんでしょうね。
 「女()」と答えたくない人、どうしても「その他」と答えたい人、つまりあたしのような人はどうぞ答えて下さいという、選択肢の拡大です。
 あと、人々の意識(性別二元論や、世の中にはシスヘテ男女しかいないという思いこみ)を変えることや、LGBT・性的マイノリティに「理解されている、存在を認識され、受容されている」という安心感を与えることが真の狙いなのかも知れません。>「その他」表記

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 といっても今の所、あたし一人でやっているんですが。

 とりあえず、七月初旬までにビラを一万枚、刷り上げる予定です。

 

 オフライン中心で活動するにしろ、オンライン中心にしろ、そちらの方に本腰を入れたいので、ここの更新頻度が更に低くなるかも知れません。

 

 キャッチコピーは「#『化粧は女の身だしなみ』っておかしいと思います」です。

 

 「化粧は女の身だしなみ」「化粧くらいしないと社会人として失礼だ」って本当でしょうか?なぜ女性が公共の場で素顔のままでいることがいけないことなんでしょうか?

 また逆に、なんで男性はお化粧しなくていいんでしょうか?したらおかしいと思われるんでしょうか?

 

 女でも男でもその他の性の人でも、どんな場であっても、お化粧は「したい」人が楽しくすればいいものだと思います。

 「(本当は)したくない」人までが、「マナー」だの「エチケット」だのの美名の下に、何らかの社会的圧力を加えられて「(嫌々)しなければならない」ものではない、あってはならないと思います。したくないならしなくていい!しなくていい社会にしたい!

 

 そんな思いを込めて、このキャンペーンを展開しようと思った次第です。

 趣旨にご賛同頂けて、関わってもよいと思う方は是非、メッセージフォームからご連絡を!

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 です。あたしはお化粧をしない、流行のファッションに全く興味がないもので、友だちからのメールで初めて知ったのですが。
 「だったらべつに『ほんとにノーメイク』でもいいんじゃない?」というのが彼女の疑問です。
 
 わたくしほんとに化粧しないもんで全く事情がわからないのですが、「素顔に見えるメイク」ってメイクの意味ないですよね・・・・。
 そんなに素顔に見せたいのでしょうか?また素顔に見えても何の問題も発生しないのでしょうか?
 じゃ余計なことしなくても素顔でいりゃいいじゃないですか。誰もおかしいと思わないのでしょうか。
 「素顔にも見えるほどのナチュラルメイク」だったらまだわかるんですが。
 
 昔、友だちから化粧品についてのアドバイスを求められて、「化粧しないんでわかりません」と答えた所、「化粧してないの。気が付かなかった」と言われたことがあります。
 べつに器量自慢、美肌自慢を垂れようってんじゃありませんが、「何だ、そんなもんなのか」「してるのかしてないのかわからないんだったら意味ないな」って思いました。
 肌が弱かったり化粧下手だったりすると、塗っても却ってみっともなくなったりもするし、当然お化粧が楽しいとは思えなくなったりします。
 それでも無理をしてしないといけないようなものだとはあたしにはどうしても思えません。
 
 ブラックうどん屋の化粧恫喝の話はもう読者の皆さんもいい加減聞き飽きたでしょうから省略しますが、もし、「いや、すっぴんに見えますけどね、これ、薄くメイクしてるんですよ」って主張してたらどうなってたんでしょうか?
 「じゃあいいよ」と言われてたんでしょうか?
 それとも、「してるかしてないかわからないんだったら意味がない。わかるように化粧しろ」と言われてたんでしょうか?
 
 つくづく、「化粧ってつまり何の為?誰の為?」かわからなくなります(-_-;)
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 差別、偏見、ラベリング、ステレオタイプに関する雑談をもうちょっとしましょう。

 

 自分は一人っ子なんですが、高校の時の現代社会の資料集に、「兄弟構成による性格判断」みたいなのが載ってて、それが今で言ったら差別、ヘイト以外の何ものでもないような書き方ですごく嫌でしたね。
 兄とか姉とかいう立場の人は褒めちぎられてるのに、一人っ子はボロクソにこき下ろされてるんですから本当にひどいです。
 星占い、血液型占いと変わらないくらい根拠のない決めつけだとまでは言いませんが(過去記事「四面楚歌でありえす」の精神科医が言ったように、「傾向」ってものはあるかも知れず)、少なくとも、全ての項目で長所と短所と両方ずつ挙げるべきではないでしょうか。

 「こんなひどいこと書かれてる」と家族に訴えたら、「でも、当たってるやんww」と笑われて更に傷つきました。あたしが一人っ子なのはあたしのせいではなく親のせいなのに。

 果たしてあの資料集は、学校の教材として作られたものだったんでしょうか。
 ちょっと極端な所のある変わった先生でしたから、おもしろいと思って選んだのかも知れません。

 
 「(こいつは)一人っ子に決まってるだろ。見ればわかるww」
 みたいに他人に振られたことはありますが、今にして思えばあれって立派な差別ですよね。
 まあ学生の時ですが。
 
 似たようなシーンだと、合コンの席での、「必ず当ててみせよう。君はAB型だ!」っていうのがありましたけど、なぜかその時はあまり不快に感じませんでした。
 やはり、「侮蔑的ニュアンス」「否定的なトーン」というのが含まれるかどうかは重要なことのようです。
 その席での同じ人の応対だと、寧ろ、「合コンにすっぴんで来るなんて」という指摘の方が不快でした。悪いか。

 家庭環境の話に戻ると、ついでに母子家庭なんですが、「おまえみたいな母子家庭育ちの奴は」「両親が円満で愛されて育った子はおまえなんかよりずっと素晴らしい」と面と向かって(メールですが)言ってきた奴は一人だけです。
 自分も相手ももう大人でしたので、傷つくより怒るより、いい年してそんなこと言う人あるんだって唖然としました。
 結構いい所の育ちみたいで、学歴も教養もある人だったのですが。
 

 身体障害者が、「生まれた時からこの体で生きてて、この体しか知らないから、自分の体が『特殊』だと意識したことはない」とか言うのを時々聞きますが、それと似たようなことなのか、子どもの時やごく若い時は、自分の家庭環境が「特殊」だと意識したことはありませんでした。

 乙武洋匡さんが、「健常者でも近眼なら眼鏡を掛けるし、怪我をしたら杖をつくでしょ。その程度のことです」と言っていましたが、「おじいちゃんおばあちゃんが同居してる家もあれば、してない家もあるでしょ。その程度のことです」って感じでした(ちなみにうちは祖父母同居でした)。

 上記の差別発言をした奴が初対面の時からやたらそこにばかり拘って、しかもこっちを憐れむような口ぶりだったので、そうか、母子家庭ってそんなに特別なことなのか、って初めて思ったくらいです。
 でもべつにそんなに珍しくなくないでしょうか? >シングルペアレント家庭

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 昔、合コンの会費が男女で違っているのは差別じゃないかって言っている男性がいました。
 それも、男性をじゃなくて女性を差別してるんじゃないか、って言いたかったんだと思います。

 そしたらその場にいたアンチ・フェミニストを自負する別の男性が、「差別じゃなくて区別!」「なぜなら(ryとえらい高飛車に講釈していました。

 細かいことはもう忘れましたが、食べる量云々じゃなくて、合コンは男が女を引っ掛ける為にあるもので、つまり女は「来てもらう」対象だから安くなってるんだとかそんなこと言ってた気がします。つまり悪い言い方をすりゃ、「餌食になる女をおびき寄せる為に」お得な価格で飲食できます、ってことになってるんだって言いたいわけですね。

 今となっては、「んなこたーない」「仮にそうだとしても、それって『区別』か?」と思いますが、論考するのめんどくさいからやめた。

 今もそうなのかどうかは知りませんが、東京の大学の合コンだと、「男性」と「女性」との間に「ワセジョ(早稲田女子)」という値段設定があると聞きました。
 それこそ差別的だと真剣に怒るようなヤツは、大学のカラーの差を表現したユーモアのわからないヤツだ、って言われるんでしょうね。

 実際、どこまでが差別でどこまでがブラックジョークかっていうのは難しい所があります。

 
 もし自分がワセジョだったら、おまえはワセジョだから他大学のお淑やかな女の子より多く払え、って言われたらめちゃくちゃ怒ったんじゃないでしょうかね。
 女は少食じゃないといけないのか!?他大学の女だってあたしより元気があってよく飲み喰いするヤツも、実家が金持ちでたっぷり小遣い貰ってるヤツもいるじゃん!って口論になってたんじゃないでしょうか。
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 先日、「差別」をテーマにした討論会に集う機会がありました。

 それを契機に、自分も「差別」についてもう一回、ごく簡単にまとめておいてもいいかなという気になりました。今までに書いてきたことと重複する内容が殆どなんですが、ホンマ、あたしの過去の文章をマメに読んでる人なんて少ないと思うので、ここら辺りでもう一回やってもいいかと思った次第です。この間の「四面楚歌でありえす」の記事と併せて読んでもらってもなかなか興味深いかも知れません。

 ベースは、以前、「俺が韓国人差別をするのは根拠がはっきりしていることだ」とネットの掲示板に書いておられた方にお答えした時のやり取りです。

 

 実際このように、「差別の何が悪いのか」「差別は必要だし、人間には差別をする権利がある」「私は大いに差別をする」という言説もよく耳にするんですね。

 で、恐らくこういう人たちはそもそも、「差別」とは何なのか、ということがわかっていらっしゃらないんです。「区別」と混同しておられるパターンが多いです。

 でも、それに対して反論する側も、実は「差別」とは何なのかがよくわかっていなかったりする。

 「差別」とは何なのか、実体がはっきりしなければなぜ悪いのかの説明もできませんし、いつも言っていますように、言葉の定義をちゃんとして、共有しないまま議論をしても議論にはならないんです。

 

 お話を戻しましょう。

根拠がはっきりしていて、尚且つ侮蔑の念の込められていないカテゴライズは「差別」ではなくて「区別」です。

「××さんは韓国人だ」「名倉は日本人だ」「名倉は女だ」「名倉は母子家庭出身だ」だけでは差別になりません。客観的な事実を言っているだけです。

 逆に言うと、根拠のない偏見や、侮蔑の念の込められたカテゴライズを「差別」といいます。
 偏見とは何かというと、本来ABという別々の概念を、「AだからBだ」と結びつけたり持ち出したり、「AはみんなBだ」と決めつけたりすることをいいます。

この例でいうと、「韓国人はみんなバカだ」「韓国人だからバカだ」これが偏見、「韓国人のくせに」「チョン公が!」これが侮蔑ですね。
 

 みんなよく勘違いするんですが、「いい差別」「正しい差別」「残しておいた方がいい差別」なんてものは存在しません。
 差別はそれ自体が悪いものであり、なくすように努力しないといけないものです。
 これ戦争と入れ替えても同じですね。

 

 ちょっと視点を変えましょうか。

 

A「なんであたしがサークルのリーダーをさせてもらえないんでしょうか」

B「そりゃ君が女性だからだ。女は感情的で、論理的にものを考えられないし冷静な判断ができない。生理周期ってものがあるから余計にそうだ。肉体的にもアンバランスだし、体力もない。行事で帰るのが遅くなったりしても危険だ」

A「それって差別って言いませんかね?あたし個人に素質がないというなら、そう言ってもらえれば諦めますが、性別を持ち出したり、性別に結びつけたりするのはおかしい。平等に判断して下さい。人間は平等でしょ」

B「人間は平等じゃないよ」

A「え!?

B「平等じゃないから、平等にする為に政治があるんだよ」

A「いや、それってなんかおかしいですよ」

B「おかしくないよ。五体満足な君と身体障害者は平等か?同じように働けるか?そうじゃないから福祉があるんだと思わないか?」

A「いや、それはやっぱりおかしいです。だって、身体障害者は身体障害者に生まれたくて生まれたんじゃない。たまたまです。

あたしだって健常者に生まれたのはたまたまです。それでよかったとは思いますが、でも、例えばですけど、『身体障害者ならみんなから親切にされて、働かなくても生活していけるから、あたしも障害者だったらよかった』と思ったとしても、健常者にしか生まれることができなかった。それって平等じゃないですか?」

 このAというのはあたしです。これはあたしが昔、大学の上級生としたやり取りです。
 結局、Bに適当なことを言われて黙らされてしまいました。

 でも、今から思ったら随分といい所まで追いつめていたと思います。
 「健常者に生まれるか障害者に生まれるか、男に生まれるか女に生まれるか、日本人に生まれるか韓国人に生まれるか、裕福な家に生まれるか貧乏な家に生まれるか、誰も自分で決めることはできない」というのが本質的平等の意味、またはその根拠です。
 それに対し、「どこにどんな風に生まれても差別的な扱い、不利益、不当、不公平な扱いを受けない」のが社会的平等です。
 本質的平等があるが故に、社会的平等は(できるだけ)守られねばならず、目指されなければなりません。

 
 人間社会を陸上競技に譬えてみましょうか。
 陸上競技ならスタートラインはみんな同じですが、人間社会の場合、残念ながら、スタートラインはみんな同じではありません(社会的不平等。Bの言でいうと「人間は平等じゃない」というのがこれに当たります)。
 でも、少しでもフェアなレース(社会的平等)になるように、人間社会全体で常に調整していく必要があります。これがBくん言う所の「政治」とか「福祉」とか言われる働きに当たりますね。
 なぜなら、「どのスタートラインに立つか」は誰一人として、自分では選べないからなんです。正にこのことを指して「本質的平等」というのだ、と最近は思っています。
 
 Bは「本質的平等」と「社会的平等」を恐らく意図的に混乱させて、 逆に本質的平等を尊重せず、社会的不平等(即ち差別)を助長しようとした自分の態度を巧みに正当化したわけです。

 

 すると、こんなご意見があります。

 

 「尊厳が認められるかどうかが肝心な点で、それさえなんとかなるなら能力や身体的な違いによる仕事への制限はあっても問題にならないと思う。つまり、仕事ややってることの内容によって(またはやってないことによって)人の尊厳にまで差異があると考えること自体が問題の核だ」

 

 賢明な読者様は既にご明察のことでしょう。おおよそ正論なのですが、問題はここですね。

 

 「能力や身体的な違いによる仕事への制限はあっても問題にならないと思う」

 

 それに対するあたしの答えはこうです。

 

 「『君は能力がないから指導的な立場に就かせない』『君は男性だから子どもを妊娠して産むことはできない』『君は肢体不自由だから野球選手にはなれない』じゃなくて、『女だから指導的な立場に就かせない』っていうのは不当だと思いませんか?
 ではあなたが男性だとして、『男は攻撃的で乱暴で人の話が聞けないし、性欲の塊で射精を我慢できない。行事で帰るのが遅くなったり酒が入ったりしたらレイプ事件を起こす危険があるから指導的な立場に就かせない』って言われたら不当だって思いませんか?」

 

くどいようですがもう一回言いますと、差別とは、
 

・偏見と侮蔑の念の込められたカテゴライズ
・それによって一方が社会的不利益(精神的苦痛も含む)を蒙っているもの

 でしょうね。
 で、偏見とは何かというと、前述の通りです。
 ものごとのごく一部、一側面しか見ていないのにそれで全体を判断しようとすることです。読んで字の如くですね。

 昔、またまたネットで、「二十過ぎて性的な経験のない奴はやっぱりどこかおかしい」と言っている人があったので、「そりゃ偏見だ」と言った所、「自分の周りの人を見て言ってるんだから全然偏見じゃないし」と返ってきました。

 それを偏見っつーんですが

 

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 でも暇だからちょっとだけカウンター記事書いてみよ。

 
 「一見尤もなような理屈を並べて納得させようとし」ている最終盤を引用してみましょう。
 
>若い時に、一生懸命は働くことは大切なことだし、それを否定してはいけない。
>限界まで働くことで身につくこともある。
 
 「一生懸命働くことは大切なこと」とは、それ自体としてはかなり真理かも知れません。
 でも、限界(を超えて)まで働いて若くして死んでしまっては元も子もないのではないでしょうか。
 
>人には個性があるのだから、画一的な仕組みに落とし込むのは難しい。

>モチベーションがある中での長時間労働なら苦にならないだろう。

 
 「人には個性があ」って、「画一的な仕組みに落とし込むのは難しい」と言っときながら、自分の感覚や経験だけを根拠に、「モチベーションがある中での長時間労働なら苦にならないだろう」と十把一絡げに決めつけてますわね。
 左様。人にはそれぞれ個性があるのです。モチベーションがあろうがなかろうが、月百時間も残業するなんて絶対に嫌だ、死んでしまう、という人も沢山いると思うのですが。
 そもそも、「モチベーション」って何よ。給料ですか。それとも筆者の言うように、新しい世界観とか人格的成長とか漲る自信とか、そういう抽象的なものですか。それだって各人様々じゃないですかねえ。
 最悪なのは、「モチベーションすらない長時間労働」でしょう。
 
>なんでも規制をするのではなく、自分でコントロールできる仕組み、働き方を選べる仕組み、などは考えられないだろうか。
 
 全文を読めばわかることなんですが、この人、どうも、「起業家・経営者としての働き方」と「被雇用者・労働者としての働き方」とをごっちゃにしているみたいなんですね。前にもそういう人見たことあります。
 自分の裁量の利く経営者や個人事業主ならともかく、被雇用者・労働者という立場では働き方に関するコントロールや選択権が限られるからこそ、「経営者は一日何時間、週何十時間以上、労働者を働かせてはいけない」と法律で細かく規制する必要があって、勿論企業はその法律をきっちり守る義務があるんですよ。
 【筆者の論調ですと、労働者側が自分の自由意志(とされるもの)で「長時間労働をする権利」は強調していても、「長時間労働をしない権利」「短時間労働をする権利」には全く言及してないですよね】
 やたら、「日本は」「日本は」「規制が厳しすぎる」「それでは国際競争に負けてしまう」を連発してますが、そんなもん先進国ならどこの国でもそうしてます。日本よりずっと厳格に守ってますよ。
 そうでなければ、「karoshi」(過労死)なんて縁起でもない言葉が国際語になる筈はありません。NOVAの講師は終業時間が来ると、採点の途中でも席を立って帰ってしまう、と日本人に驚かれる筈がありません。
 
 「長時間働く」ことが悪いのではないんです。楽しいなら勝手にして下さい。
 問題視されているのは、「長時間働かせる」「働かされる」ことなんです。
 
>海外を見渡すと、高所得者のエリートはおしなべて長時間労働者だ。

>日本だけが規制に縛っては、世界で戦えない。

 
 ふーんそうなのか。
 フランスだと七時間労働が実現されていてみんな四時に帰ってプライベートを充実させているし、年に一~二ヶ月くらいのバカンスもあると聞いてますが。
 これは例えばの話ですけど、フランス人が七時間でできる仕事を日本人は十四時間かけないとできないとしたら、恐らく世界で通用しないのは日本人の方ではないでしょうか。
 
>「24時間戦えますか」も「モーレツ社員」も僕は嫌いじゃない。
 
 あたしは嫌いです。そんな生き方、働き方真っ平ごめんです。
 たとえ、

 

>そのおかげで、今の日本があるのだ

 
 としても、知ったこっちゃないです。
 
 戦争で大勢の人が亡くなったおかげで今の平和で民主的な日本があって、その尊い犠牲に感謝と哀悼の意は捧げても、じゃあ自分も国の為に戦争で死にたいかって言われたら絶対に嫌ですからね。
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あたしのブログに新しく読者登録してくれた人なのですが(何故)、あまりにビックリするようなことをお書きになっていたので思わず全文をここにコピペしてしまいました。

ブラック経営者の頭の中ってこうなってるんですね。あな恐ろしや(((((( ;゚Д))))))

現在バリ島で悠々自適の生活を送っておられるようですが、二度と日本に帰って来ないでほしい、いえ地球から出て行ってほしいです。

 

 

 

 

長時間労働は、悪いことなのか!?

2017-05-03 00:05:22
テーマ:プライベートな話

 先日、久しぶりに20年来のつき合いがある社長(投資家)の会社に行った。

 社長が上機嫌だったからか、事業を息子に引き継いで暇だったからか、いつになく長居してしまった。

 18時30分になり、社長室を出たところ、社内は真っ暗。

 「あれっ、社長の会社、こんなに早かったですっけ?」

 「いや、最近、いろいろとウルサイだろ。残業させないようにしたんだ」

 この会社は以前まで、20時くらいまでは普通に仕事をしていて、それから僕らは飲みに行っていた。

 「ワタミの女性社員の過労死」からブラック企業という言葉が使われだし、「電通の新入社員の過労死」を機に、長時間勤務や過剰な残業に対する風当たりが強くなった。

 そうした社会の風潮からか、多くの会社が労働環境に対して過敏になっている。

 それについて、僕は疑問を感じている。

 規制に縛られすぎていないか。

 弱者を守ることに偏りすぎていないか。

 そんことで世界で戦えるのか。

 亡くなられた方、ご遺族は、お気の毒だと思うし、そこまで追い詰める環境には問題があっただろう。

 しかし、若い時に長時間労働をすることで得られることもあるし、そのお陰で身につくこともある。

 僕が新卒で入社した会社は、あの野村證券。

 昔からキツいことで有名な会社で覚悟して入社したが、聞きしに勝るキツさだった。

 新入社員の出社時間は、6時40分。

 5~10分おきに2年目、3年目、、、課長、支店長が出社してきて、7時30分から営業会議である。

 会議の後に、新聞の読み合わせというのがあり、その日の日経新聞を読んきているかチェックされる。

 慣れない日経新聞を読むのは大変で、最低でも1時間はかかる。

 となると、朝は5時に起きることになる。

 僕が入社した当時は超過残業は厳しくなっていたから、夜は19時30分には退社していたが、連日飲みに連れて行かれ、寮に帰るのは0時頃だ。

 そこで寝られるわけじゃない。

 野村證券には、手紙3通のノルマというのがあって、毎日3通の手紙を書くのだ。

 その手紙というのがクセモノで、和紙の巻紙に筆(筆ペン)で書かなくてはいけない。

 1字でも間違えたら書き直しだし、内容も翌日チェックされる。

 となると、どんなに頑張っても1時間はかかる。

 さらに、証券外務員、ファイナンシャルプランナー、簿記などの試験を受けるためその勉強もしなくてはならなかった。

 ノルマと言えば、毎週金曜日の合コンというのもあった。

 合コンのセッティングというのは新人の役目で、営業中に女性に声をかけてストックを増やした。

 知り合いがいる東京ならばラクなのだが、僕の場合は九州の長崎支店。

 全寮制ということもあって、最初の配属は原則として縁のない場所になるのだ。

 その中での毎週のセッティングは、大変だった。

 土日に手紙を書き貯めたり、勉強したりもできるが、20代前半といえば遊びたい盛りで、土日は彼女とも遊ぶし、お客さんとのつき合いで野球、バーベキュー、釣り、麻雀などもあり、どうやって生活をしていたのか不思議なくらいだ。

 野村證券時代の話をするとキリがないからこのくらいにするが、機会があったら書きたい。

 起業してからも、朝7時には会社に行き、22時くらいまで通常の仕事をしてから、夜中に契約書を作ったり、広告を考えたり、夜中にチラシをまいたり、という感じだった。

 僕がなんとかやって来れたのは、体力があったからだろうし、高校や大学の運動部で理不尽さに慣れていたからでもある。

 さて、長時間労働のメリットだが、一番は付加価値が高い仕事をやる時間が作れることだと思う。

 仕事は、なんだかんだ言っても、一定の単純作業がある。

 特に若いうちは単純作業が多い。

 定時というのは、他の会社やお客さんとも接触が許される時間でその時間に仕事を終えると、「考える」という付加価値が高い仕事ができなくなる。

 また、単純作業に思えることでも、量をこなすことで見えることもある。

 賢い人は短時間でもこなせるのかもしれないが、僕の場合は、ある程度厳しい環境でやらさせる中で身についた。

 そういう意味では、ムチャクチャ辛かったけど、野村證券という会社には感謝しているし、愛着もある。

 「仕事ってこんなものかな」っていう基準は、あの時の経験が大きい。

 あの仕組みに全員が馴染むわけではないし、実際、同期は2人自殺した。

 だからすべてを肯定することはできないが、全否定することでもないと思う。

 若い時に、一生懸命は働くことは大切なことだし、それを否定してはいけない。

 限界まで働くことで身につくこともある。

 日々刺激があり、自分の成長が分かり、新しい世界を見るワクワク感は限界を超えていく中でより得られるのではないか。

 その中で達成する楽しさも自信もある。

 強制的な環境で過労死する人を出してはいけないが、頑張ることを否定してもいけない。

 人には個性があるのだから、画一的な仕組みに落とし込むのは難しい。

 モチベーションがある中での長時間労働なら苦にならないだろう。

 なんでも規制をするのではなく、自分でコントロールできる仕組み、働き方を選べる仕組み、などは考えられないだろうか。

 海外を見渡すと、高所得者のエリートはおしなべて長時間労働者だ。

 日本だけが規制に縛っては、世界で戦えない。

 「24時間戦えますか」も「モーレツ社員」も僕は嫌いじゃない。

 そのおかげで、今の日本があるのだから。

 

 

 

 

 ああ何度読み返してもイライラするう(-_-#)

 ツッコみたい所が少なくとも十ヶ所くらいあるんですが、一つ一つ検証する気力もありません。疑問を持った賢明な読者様各自で反論したり調べたりして下さい。

 

 一点だけ言うならば、同期の社員が二人も殺されているのに、「全否定することでもないと思う」ってさらっと言えちゃうのはすごいですね。

 「全肯定もできない」と前置きしたり、その後に一見尤もなような理屈を並べて納得させようとしたりする所がまたあざといです。

 同期二人も殺されてまだその会社を愛してるとかサイコパスか、少なくともイネイブラーですね。「仕事ってこんなものかな」ってもうカルトによる洗脳ですね。

 

 あたしなら、同志とか同僚とか仲間とか呼べる存在が一人でも殺されたりしたら、その体制を全身全霊で、一生かけても許さないですが。  

 思いっきり邪推するならば、もしかしてこういうマインドの持ち主は、寧ろ競争相手がいなくなってよかった、という発想をするのかも知れません。

 

  早速このステキな記事を印刷して、日本最強とも謳われるウチの労働組合の事務所に晒しちゃおーっと☆(≧▽≦)

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 昔掛かっていた精神科医が、
 「やっぱりB型の人というのはちょっと変わっている所がありますから」
 と言ったことがありました。

マミ「先生は医師なのに血液型占いを信じるんですか」

先生「いや、頭から信じるわけではないですが、傾向ってものはあるかも知れないじゃないですか。例えばぼくなんかは家族で一人だけB型なんですけど、やっぱり浮いてますからね」

マミ「先生がB型だということと、先生が風変わりで家族の中でもユニークな存在だということに因果関係があるかどうかはわからないじゃないですか」

先生「う、まあそうです」
 
 
 
 
 ここから先は西洋占星術に関心のない人は読み飛ばして頂いて結構です。どうせ大したことが書いてあるわけではありません。
 
 この間初めて気が付いたんですが、西洋占星術でいうとうちの実家の家族全員不動宮で(母と亡くなった祖母:蠍座、叔母:水瓶座、叔母の夫:牡牛座、従妹:獅子座。何と水風地火のフルセット)、あたし一人だけが活動宮(牡羊座)なんですよねえ(-.-;)
 
 そりゃ居心地悪い筈だわ、「動きたくても動けねえ」筈だわ、と思い当たると同時に、そういえば昔精神科の先生とそんなやり取りしたなあ、と思い出しました(^_^;)
 
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 今までに何回も書いてる話なんですが、あたしの過去の文章をマメに読んでる人ばかりじゃないと思いますので一応言いますと、あたしは化粧品にアレルギーがあるわけではありません。

 「化粧したくてもできない」んじゃなく、「したくないからしない」だけです。

 

 でも、話題に挙げているアルバイト先では「メイク必須」という就業規則があったんです。

 (注:勤め始めてだいぶ経ってから知った。直属の上司が交代するまでは注意もされなかったので)

 

 「したくないからしない」じゃ通用しなさそうなんで、アレルギー体質で・・・・って嘘を言ったら、

 

店長「じゃあここでは働けないってことですよね」

直属の上司「(前述につき省略)」

 

 ひどい、おかしい、変なのは就業規則の方だ、こいつらの頭の方だ、って思うのはあたしだけかな。

 一体全体、なんでそこまでして女性従業員に化粧させたがるんでしょうか。ただの田舎町のパチンコ屋ですよ。軽食堂ですよ。女性店員のかわいさを売っているお店でもないし、所謂エグゼクティブやらセレブやらVIPやらがしょっちゅう来店する場所でもないのです。

 

 結局その件がきっかけで険悪になって辞め(させられ)ましたし、他にも色々とブラックすぎましたし、「闘ってまで残らないといけないような職場じゃないですよ」と言われましたけど、今にして思えば、もっと闘っておけばよかったな~と。

 

 例えば、そこまで言うなら化粧品代寄越せと要求してみるとかです。これは実際、法的根拠もないことはないので強ち無茶な要求ではありません。

 

 実際、辞めてからこの職場に、不払いになっていた割増賃金分を五千円、支払わせたのですが、それを当時通っていた教会の牧師に言ったら、

 「えーたった五千円ww」

 みたいに笑われました。

 

 額の大小じゃなくて、こっちが正当に貰う権利のあるものを向こうが不当に支払っていなかった、それを正当に要求して正当に支払わせた、ということに意義があるんですが。

 

 公民権運動時代のアメリカにおいて、白人専用のカウンターで黒人の若者たちがコーヒーとドーナツを求めて座りこみをしましたが、「たかがコーヒーとドーナツww」って問題じゃないのと同じです。

 

 

 蛇足ながら・・・・。

 

 件のパチンコ店では、「化粧が濃すぎる」と店長♂に注意されて、改めなかった為に解雇された女性従業員もいたそうです。

 どれだけ程度の低い職場か知れるってものですねf^_^;

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