「中国の歴史は5000年」だと、中国人はことある毎に言います。
学生と話をしていても、文化や歴史の話になれば必ず上記のフレーズが出てきます。
「だから中国は凄いんです」と。
しかし、中国人が「歴史」「歴史」という割には、現代の中国には伝統的な文化と言うものはほとんど残っていません。
「文化大革命で文物が破壊された」とか、「故宮の貴重な文物は台北にある」とか、そういったレベルの低い話ではありません。
中国人には長い歴史があるにもかかわらず、受け継いできた「伝統」と言うものがないのです。
思想・精神的な文化については、昨日の記事に書いたとおりです。
中国に来て中国人を見ても、「東洋学」で語られる中国人の姿というのは一切見ることが出来ません。
今日はそれ以外の「文化」において、伝統のない中国の姿を書きたいと思います。
歴史の浅い代表的文化
「チャイナドレス」というと、日本人にとっては中国の代表的な民族衣装と思われるでしょう。
実際に現代中国においても「正装」として捉えられてきました。
しかし、この「チャイナドレス」というのは、清朝時代の服装であり、清朝時代の支配者層である「満州族」の服装です。
中国の大多数の「漢族」の伝統的な服装でないだけでなく、その歴史もせいぜい数百年しかないのです。
「京劇」と言えば、中国の代表的な歌舞演劇です。
しかしながら、これも清朝時代に発祥したもので、300年ほどの伝統しかありません。
日本人が好きな『三国志(演義)』や『西遊記』にしても、話の題材は三国時代や唐代にさかのぼるわけですが、こうした小説が「講談」として民間に広く広まるのは明代の事になります。
中国人が誇る中華料理もその最高の料理は「満漢全席」であり、その名の通り「満」つまり満州族と漢族の料理を合わせたものなのです。
清朝時代以降の伝統であることは言うまでもありません。
伝統を守ってこなかった
中国の歴史は「被侵略」の歴史であり、その度に破壊と殺戮が繰り返されました。
(ただし、中国では歴史上の侵略者は現在「中華民族」なので問題にならない。歴史上中国を支配してしまった民族は「中華民族」としなければ、「中国」の正統性につじつまが合わなくなるため。)
しかしながら、王朝交替毎に破壊があったにせよ、そもそも中国人には「伝統を守る」という思想がほとんど感じられない。
「歴史書」やその他の「書籍」を歴代王朝が保管したりして来たこともありますが、その保存状態が悪く、劣悪な保管状況で受け継いできたことは有名な話です。
徳富蘇峰も「奉天では清朝廷室の宝物蔵の文溯閣を見物し、膨大な古今の貴重な文物に接しながら、その数の多さと保存状態の悪さに閉口し」(徳富蘇峰『世界紀行文学全集』修道社、昭和46年。参考:樋泉克夫のコラム【知道中国 875】http://melma.com/backnumber_45206_5780893/ )と記しています。
ですから、書籍は破損、欠落、さらには散逸し、歴史学者はその散逸、欠落した文章の収集に追われたりします。
挙げ句の果てに「偽書」が出回り、すでにどれが真書でどれが偽書なのかわからない書物も多く存在します。
現在「真書」として歴史的価値のある書籍は、そのほとんどが日本にあり、中国人が書籍の真偽を確かめるために日本の版本を確認するというのは何とも皮肉な事実です。
技術を教え伝えない
「伝統を守る」思想のない中国のおいては、工芸・芸術の方面でも伝統を受け継ぐことが出来ませんでした。
日本が弟子にその技術の全てを教えて、後世に技術を伝え残すのと対照的に、中国では「技術を残す」ということがなされません。
これは中国人の思考が「ゼロサム」思考であるが故のことです。
自分の技術を弟子に教えてしまえば、弟子がその技術で独立して自分が損をすることを恐れてしまうのです。
企業で中国人と関わった事のある人ならご経験があるでしょうが、中国人は部下に仕事を一切教えません。
ただ「命令する」だけです。
企業だけでなく、料理人の世界でもそうです。
腕のいい料理人が店を開いても、そこで働く下働きには技術を教えません。
で、最初は味がいいと評判になり大きな収入を得ると、オーナーシェフはもう料理を作らず遊んでしまいます。
しかし、技術を教えていないものだから、当然味が落ち、結局客足が遠のくというのをよく見かけます。
これは料理のみならず、あらゆる「職人」の世界で見られる現象です。
農村の伝統行事
たまに学生の故郷に呼ばれて、農村だったりすると、いろいろな伝統行事も見ることが出来ます。
日本の各地の祭りのように何か特徴があるかと、最初の頃は非常に楽しみにしてあちこちうかがっていたのですが、ほとんどが結局がっかりさせられることになります。
きちんと教え伝えていないのでやっている事のクオリティーが低すぎるのです。
「とりあえずやっています」的な。
例えばチャイナタウンで見られるような竜の踊りもある村でみました。
竜の人形を、人が持つたくさんの棒で支えて、あたかも竜が動き回っているように見えるあれです。
しかし、その村での竜の踊りは、なんとなく安物の衣裳を着た若い人達が、竜を支える棒を持って、村の中をうろうろするだけでした。
躍動感や、何か伝統を感じるようなものではなく、ただ村の各家の玄関をめぐってくればそれで終わりという。
非常に期待はずれだったことを思い出します。
少数民族の伝統行事なんかを見ると、漢族の行事との差は歴然です。
「漢服」を復興
最近は「日本の和服は中国の唐代の『漢服』が元になっている」などというのを広めているようです。
日本の和服への憧れとともに、「あれは中国の文化がもとになっている」という優越感よって満足を得ているようです。
しかしながら、「漢服が元になっている」と言ってみたところで、現代の社会にその「漢服」が一切無く、中国の衣裳と言えば「チャイナドレス」になってしまっていることに危機感は感じているようです。
そこで、今は「漢服」を「伝統衣裳にしよう」という活動が、国の主導のものに随分と熱心に行われているようです。
しかしながら、既に500年以上もすっかりと忘れ去られていた文化であり、「伝統のないもの」を「伝統文化にしよう」としてもそう簡単ではありません。
その結果は「日中合同成人式、「着物の方が断然キレイ」と不満の声が殺到―中国版ツイッター 」の記事を見てもらえればわかります。
小手先だけの「伝統」を叫んでみたところで、本当の「伝統」が無ければ、全くの安物になってしまうのは一目瞭然です。
また、「中国の「漢服」知らぬ“愛国者”、和服と間違え罵倒の嵐 」なんてこともありました。
こんな事件も発生するぐらいですから、「伝統」など失われているのは一目瞭然です。
「伝統を守らない」のが「中国の伝統文化」
日本のみならず、世界各地の伝統は、伝統のために「犠牲」を払う個人の存在によって守られているという側面があると思います。
今もお金のために破壊と建設を行い、お金のためにしか動けない中国人に、今後も伝統が守られるとは考えにくいと思います。
中国人自身がまず、「伝統を守らない」のが「中国の伝統文化」だと気付かないといけませんね。
小手先だけのやり方では、「教育」と同じく、いつまでたっても価値ある文化が作られないでしょう。
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