今月のテーマ:返答に困ったら、おっぱいを思え

おっぱい

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2006-08-28 13:46:06

I'm a woman

テーマ:おおむね私の戯言

MM


いうまでもなくオレ好みの女、マリア・マルダー。
体型・歌唱ともにアブラの乗り切った時期のプロモと思しき映像発見。


I'm A Woman(’74)
http://www.youtube.com/watch?v=L1VwPj6NLAo


出産・離婚を経て三十路に突入してるのに、

入浴・水泳(?)等サービスショット満載。
男心のアヤを知り尽くしたタイトな仕事っぷりである。


音楽はというと、歌唱はいわずもがなだが、

間奏でポール・バタフィールドにソロを促す際の

「かも~んポール」が最高にいやらしい。
ストイックなブルーズ求道で知られるバタフィールド氏も

鼻の下が伸びきって、いつになくファンキーな演奏だ。


女性読者は是非これを見て、オレ好みの機微をつかんで欲しいものだ。

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2006-06-22 00:34:28

I am the blues

テーマ:おおむねアルバムについて

業務終了間際になってグダグダのクレーム対応。

げっそりして帰路についたものの、何となくいたたまれず御茶ノ水のユニオンへ。


気力なく棚をたぐっていたところ、マストアイテムではあるものの、タイミングを逸して聞き逃していた下記発掘ライブを中古で発掘。とはいえ気力がないので、結構迷って購入。1050円也。


ロラライブ

Laura Nyro /Spread Your Wings and Fly: Live at the Fillmore East May 30, 1971


絶頂期71年の弾き語りフィルモア・ライブ。黄色い総武線各停に揺られ聴き進むにつれ、どうしたらいいか分からなくなったあげく、この人はやはり私の生き別れの姉なのだと確信を得る。


特にスタジオ盤では76年の"smile"に入ってる”I am the blues”。

この時点ではまだレコード化されていないため、多くの聴衆は初めて聴く歌だったはずだ。


Who?…Who am I?

I am the blues.


ワンコーラスめの結び、上記のフレーズをローラ・ニーロが歌いきった瞬間、とまどったような驚いたような拍手がおこる。


現象としては、見得を切った歌舞伎役者に観客が掛け声を飛ばすようなものかもしれないが、「私はブルーズだ」と歌う、その息の深さには名人芸とかとは別次元の決意と説得力がある。


歌は終始張り詰めているが、同時に官能と寛容が感じられる。ただおっぱいがでかいのではなく、形而上的なおっぱいのでかさというか、やはり姉である。


豆知識ではあるが、この時の対バンはジャック・ディジョネット擁立期のマイルス・デイヴィス・グループであったようだ。しかも出順はマイルスが先。この時フィルモアイーストに居合わせなかったことをむしろ良かったと思う。


ローラ
2006-03-28 04:18:46

Sea Song

テーマ:おおむね曲について


わたしのひげもここまで伸ばすにはどのくらいかかるのだろう。

などと思っていたら、今日友だちがいいのを教えてくれた。


もう何も言うまい。下記をご覧あれ。

http://www.youtube.com/watch?v=wQ89NDpp9LI&search=robert%20wyatt%20sea%20song%20bbc

2006-03-24 23:25:19

テーマ:飲酒後につき駄文 申し訳ありません

”I was born by the river ”と言えばサム・クックの”A Change is gonna come”の冒頭の句であるが、私も何を隠そう隅田川の川っぷちの生まれである。


男と女の間にあるのも川ならば、その橋を渡る時は振り向いちゃあいけねえのも川であり、とかく人は人生を川になぞらえられて歌を作るもので、自分が川沿いの生まれであればなおのこと川をめぐる人生のドラマを歌に仕立てねばならぬ、ような気がするかというと、決してそんなことはない。


そんなとりとめのない私ではあるが、先日NHKを眺めていると、そろそろお花見の季節ですよ的な番組で、月並みに隅田公園の桜の景色が映し出され、そこに例の曲がかかったのであった。


(武島羽衣作詞 滝廉太郎作曲)


春のうらゝのすみた河

上り下りのふな人か

かいのしつくも花とちる

眺めをなにゝたとふへき


見すやあけほの露あひて
われにものいふさくら木を
みすやゆふくれ手をのへて
われさしまねくあを柳を


錦おりなす長堤に
暮るれば昇るおほろ月
けに一刻も千金の
なかめをなにゝたとふへき


音楽は当然歌抜きだったのだが、テロップで流れた上記の歌詞を、私ははじめの一行しか知らなかった。同世代(前後10年)のほとんどの人はそうなのではないだろうか。


どこが地元との意識もなく、生まれた時から首都圏近郊をふらふら移り住んできた私といえども、この歌はいわばご当地ソングの最たるもののはずである。これを諳んじられないのは、両国出身者の名折れ。酔っ払った勢いで、私はこの歌詞を近日中に暗記し、花見の席ではアカペラで歌うことを同居人に誓ったのであった。うたいませんが。


はな




2006-02-14 23:53:46

泣きたいほどの淋しさだ

テーマ:飲酒後につき駄文 申し訳ありません

はんく


なぜだろう。

ここのところ毎日、寝る前に聴くのはハンク・ウィリアムスの歌だ。

かといって朝や昼には聴く気にはならない。

今日試しに朝の電車で聴いてみたら、すぐに寝てしまった。


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私が毎晩泣きたいほど淋しいわけではない。

私は毎日おいしくご飯をいただき、連れや猫とケラケラと日々をエンジョイしており、むしろ俺は淋しくなんかないと声を大にして言いたい気分である。


そもそもハンク・ウィリアムスの歌は悲しいように聞こえて能天気で、能天気なようでいてえらく淋しい。でも泡盛古酒のようにアルコール度が激高で解毒作用も格別である。


ロンサムでブルーな俺のハイウェイは果てしなく続き、お前はいつまでたってもアントゥルーな言葉しか投げかけてくれないが、しかし、悲しいだの淋しいだのいう湿り気はナッシュヴィルの風と土ですっかりカラカラで、あとは精一杯お腹の下の方から声出してブルーヨーデルをうなるのみ、てなもんだ。


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思えばハンク・ウィリアムスのことを初めて意識したのはレナード・コーエンの「タワー・オブ・ソング」の歌詞を読んだときだ。


私はハンク・ウィリアムスに聞いた

「どのくらい淋しくなるものなんだい?」

ハンク・ウィリアムスはまだ答えてくれない

けれど私には一晩中彼の咳の音が聞こえる

歌の塔の100階上のフロアから


ここで彼がいう「歌の塔」とは歌の求道者が住まう宿命マンションのようなもので歌い手としての格が上がるほど高層階に住むことになるという因果な塔である。そこでレナード・コーエンの100階上に住むのだから、ハンク何某という人は相当な歌を歌うのだろうと昔の私は思ったわけである。


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斉藤由貴の歌に「悲しみにこんにちは」というのがあったと思うが、ハンク・ウィリアムスの歌は毎朝悲しみにこんにちはを言ってるうちに、挨拶も「ちーす」とか「うぃっす」化し、そのうち眉毛や口元をピクリとするだけで済むようになってしまったような、そんな感じです。

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