なぜだろう。
ここのところ毎日、寝る前に聴くのはハンク・ウィリアムスの歌だ。
かといって朝や昼には聴く気にはならない。
今日試しに朝の電車で聴いてみたら、すぐに寝てしまった。
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私が毎晩泣きたいほど淋しいわけではない。
私は毎日おいしくご飯をいただき、連れや猫とケラケラと日々をエンジョイしており、むしろ俺は淋しくなんかないと声を大にして言いたい気分である。
そもそもハンク・ウィリアムスの歌は悲しいように聞こえて能天気で、能天気なようでいてえらく淋しい。でも泡盛古酒のようにアルコール度が激高で解毒作用も格別である。
ロンサムでブルーな俺のハイウェイは果てしなく続き、お前はいつまでたってもアントゥルーな言葉しか投げかけてくれないが、しかし、悲しいだの淋しいだのいう湿り気はナッシュヴィルの風と土ですっかりカラカラで、あとは精一杯お腹の下の方から声出してブルーヨーデルをうなるのみ、てなもんだ。
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思えばハンク・ウィリアムスのことを初めて意識したのはレナード・コーエンの「タワー・オブ・ソング」の歌詞を読んだときだ。
私はハンク・ウィリアムスに聞いた
「どのくらい淋しくなるものなんだい?」
ハンク・ウィリアムスはまだ答えてくれない
けれど私には一晩中彼の咳の音が聞こえる
歌の塔の100階上のフロアから
ここで彼がいう「歌の塔」とは歌の求道者が住まう宿命マンションのようなもので歌い手としての格が上がるほど高層階に住むことになるという因果な塔である。そこでレナード・コーエンの100階上に住むのだから、ハンク何某という人は相当な歌を歌うのだろうと昔の私は思ったわけである。
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斉藤由貴の歌に「悲しみにこんにちは」というのがあったと思うが、ハンク・ウィリアムスの歌は毎朝悲しみにこんにちはを言ってるうちに、挨拶も「ちーす」とか「うぃっす」化し、そのうち眉毛や口元をピクリとするだけで済むようになってしまったような、そんな感じです。