おはようございます。今から27年前の1979年の今日、あの「江川卓」が阪神タイガースに入団し、翌日、「小林繁」とのトレードで読売ジャイアンツに移籍しました。彼は作新学園時代に、抜群の実績を上げながらも、1977年クラウンライターライオンズのドラフト1位指名を「拒否」し、翌年のドラフト会議前日(空白の一日)にジャイアンツと電撃契約するという「暴挙」にでて、世間から「大ひんしゅく」を買いました。この契約を無効としたセリーグ事務局に抗議したジャイアンツが、ドラフト会議をボイコットしたことで、1位指名したタイガースとの「江川問題」はこじれにこじれた結果、コミッショナーの「強い要望」で、一旦、タイガースに入団した上で、トレードでジャイアンツに移籍するという「異例」の事態に発展したのです。


 思えば、最近、「目的」のためには「手段」を選ばない「輩」が目立ちます。この場合、「江川卓」と「読売ジャイアンツ」の両者ですが、その「傍若無人」ぶりには「閉口」してしまいます。「江川卓」に関しては、抜群の「才能」に恵まれてはいるものの、いつもどこか「飄々と」して「斜に構えた」ところがあり、スポーツマンらしくなく、人を小バカにしたような「おっさん臭さ」が大嫌いでした。


 「才能」があるにもかかわらず「勝ち急ぐ」と、というより、「我」を通し過ぎると、ろくなことがないようです。評論家として、イメージチェンジを計ろうにも、「人徳」がないのか再びジャイアンツのユニフォームを着ることは、かなり難しい気がします。最近の一連の「困った輩」同様、昔から、「おるところにはおる」という悲しいお話です。




No.243:未来の旅先案内人


 戦略的洞察力とマーケティングの観点から、プランニング、ブランド開発、デザイン開発などのサービスをトータルに提供し、「ユニクロ」「GAP(ギャップ)」「Nike(ナイキ)」など大規模なブランドの成長を多数手掛けることでも有名な、シーユー・チェン氏の著作「成功請負人 インプレサリオ」をご紹介します。


チェン シー・ユー
インプレサリオ―成功請負人



 シー・ユーさんとは、以前、ある「プロジェクト」でご一緒したことがあるのですが、スタイリッシュで、知的なイメージが漂う、関西ではあまり見受けないタイプ(?)の大人の雰囲気をお持ちの方でした。


 どんな「プロジェクト」でも、その目的やゴール、言い換えれば、「完成予想図」がないようでは、メンバー同士のコンセンサスが取れるわけがありません。シー・ユーさんは、それをはっきりとお持ちで、それを「実現」するために、さまざまな人材をチームに招きいれて「プロジェクト」を推進されていきます。まさしく「未来の旅先案内人」といった感じの人でした。


 この「インプレサリオ(オペラのプロデューサー・興行師の意)」は、シー・ユーさんの「自伝」とも言える内容で、生い立ちから、現在に至るまでを「回想」してまとめられたもの。


 「脚注」や「写真」など、補足資料があるので、「当時」を知らない世代にもイメージしやすい編集になっていますが、「実物(成果物)」を観たら、驚くこと請け合いだと思います。特に、「バブル」前の「作品」は・・・。



 私が特に印象に残ったのは、シー・ユーさんが心がけているという3つの事柄です。


1. 常に自分より能力が上の人たちと仕事をすること。

2. イエスマンではなく、自分と違った視点で、物ごとが見られるスタッフと仕事をすること。

3. 何ごとも誠実な態度でポジティブに向かうこと。


・・・この3つを努力すれば、必ず道は開けてくるというのです。この3つを避けている人がいかに多いかということを、わたしは知っています。



 また、かかわる企業の側の取り組み方にも言及しており、成功する企業の要因として・・・


 ・・・インボルヴメント(involvement)、篤い情熱を持っています。この部分が重要です。いくら僕たちが真剣になっても、クライアント・サイドのほうが高い問題意識を持って「本当にやるぞ」という参加意識がないと成功はおぼつかないのです。取締役会がリスクを取って行動する気があるか、中間管理職とトップとのコンセンサスが取れているか、というのは大切です。これができないと、プランは空回りします。


まさしく、「当たり前」のこととはいえ、こうやって言及すること自体、どこか「人に物を頼んでおいて、実際は無関心・非協力的・無責任」なクライアント(企業経営者)が多いことの裏返しではないでしょうか。妙に納得させられる「指摘」だと読みながらうなずいていました。



 影響を受けたという「仲小路彰」氏の著作「未来学原論」(1968年刊行)からの抜粋は、いまの時代でも「新鮮」なことに驚きます。


 「人間は常に未来にのみ生存するものであり、現実とは未来に向かって発展を続けつつある、実態のはるかに遅れた姿に過ぎない。」


 「人間はそれ自ら一つの宇宙を持っている。それは、定められたものであると同時に、定められざるものである。人間は一つの無限な力の源である。未来の進化は世の善人の中に存在する。」


 「いま包括的な全体認識が求められており、ある専門分野の特殊技術に通じたことによって、それがあたかもすべてのことに精通するかのような錯覚に陥りやすい。西洋科学思想の限界から、分析以前の統一性を捉えようとする東洋的な学問体系を新しく形成する時期になりつつある。救われようとして、かえって救いがたい断崖に立たされているのが現代人である。」



 本来、企業経営とは、「あるべき姿」や「なりたい姿」に向かって、社員だけでなく関係者をも巻き込んで行き、商品やサービスにおいて、お客様の共感や共鳴を獲得し、社会に貢献するという「創造的な活動」であると思います。であるなら、経営者こそ「未来の旅先案内人(船長)」でなければならず、「完成予想図(航海図)」といった「ビジョン」も「理念」も「目的地」もないようでは、先が思いやられるどころか、「経営(航海)」自体無理というものでしょう。



 最近、目に付く、「野望」に貪欲になりすぎて、「ルール」を逸脱するような経営者はもってのほかですが、「夢も希望もない経営者」では、「みっともない」し「資格がない」と言わざるを得ませんよね。



PS.

どんな会社にしたいのか?・・・経営者である以上、まずは、そこをハッキリ示すべきだろう。「行き先」も書かれていない上、「船長」が「目隠し」で舵取りをしている「船」に、誰が乗りたいと思うだろうか?