アショーカ王 | 大学受験の世界史のフォーラム ― 東大・一橋・外語大・早慶など大学入試の世界史のために ―

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アショーカ王阿育王)(前3世紀)は,古代インドのマウリヤ朝の第3代の王である。


古代インドでは前4世紀末にマガダ国マウリヤ朝が成立したが,アショーカは前3世紀前半頃にこの王朝の第2代王の王子の一人として誕生した。若い時代には父から冷遇されて地方の太守などに任じられていたが,父の死が迫ると都へ戻り,兄弟との王位継承争いを制して第3代の王に即位したとみられている。

王となったアショーカは,マウリヤ朝成立以来の領土拡大政策を継続して,征服活動を展開した。そして,即位から8年後には,インド南東部の強国カリンガを激戦の末に破り,これによって南端部を除いてインドのほぼ全域を支配下に入れて,広大な帝国を築き上げた。


ところが,この頃から,アショーカの心に大きな変化が生じ,それにしたがって彼の政治にも劇的な転換が起こる。アショーカは,カリンガとの戦争のなかで兵士と非戦闘員とを問わず膨大な犠牲が出たことを目の当たりにして,深く悔いたという。そして彼は,正しい理法を意味する「ダルマ」こそが国家と人々が従うべき規範であると信じて,それにもとづく統治を行うことを決意し推進するようになった。また彼はこの頃に仏教に深く帰依して,その影響も強く受けることになった。

アショーカは,ダルマによる統治を知らせるとともに協力を呼びかけるために,各地へ巡行し,また詔勅を刻み込んだ磨崖碑石柱碑をつくらせて,平和,生命の尊重,思いやりなどを訴えた。自身も熱心に正しい統治に励み,治療院の設立や井戸の建設を行うなど,人民の幸福のために社会事業を実施している。

またアショーカは厚い宗教心を持つようになって各種の宗教を尊重したが,なかでも仏教に深く帰依してこれを保護した。彼はストゥーパ(仏塔)を各地に建立したほか,教義の整理のために第3回仏典結集を実施し,またスリランカなどの辺境の地への積極的な伝道を実施した。

アショーカ王の建設した石柱碑の柱頭

<アショーカ王の建設した石柱碑の柱頭>


晩年のアショーカは仏教教団への寄進活動に傾倒したが,そのために王室の財産が失われることを危惧した大臣や王子によって実権を奪われ,その後は残された自分の財産を寄付し続けた末に病気と衰弱によって死去したと言われている。そして,彼の死後の帝国は,地方勢力の自立や異民族の侵入のために急速に衰退し崩壊へ向かっていった。

アショーカは,平和や慈愛などの民族や階級を超えた普遍的な理念を掲げて唱えた点で,世界の歴史のなかでも稀有な進んだ精神に目覚めた君主であった。彼の理想は厳しい現実の前にはかなく崩れ去ったように見えたが,それは完全に消滅したわけではなかった。現代のインド共和国では,アショーカの石柱碑の柱頭の獅子像が国章に,また法輪が国旗に使用されるなど,彼の理想が国家の理念として採用されている。こうしてアショーカの理念は,2000年以上の時を越えて,国家と人々が目指すべき崇高な理想として現在にまで生き続けることになった。