大学受験の世界史のフォーラム ― 東大・一橋・外語大・早慶など大学入試の世界史のために ―

東大・一橋・外語大・早慶など難関校を中心とする大学受験の世界史の対策・学習を支援するためのサイトです。

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この「大学受験の世界史のフォーラム」は,大学受験世界史の学習に利用できる教材や情報を提供することで,受験生・高校生を支援するためのブログです。古代ローマにおける「フォーラム」(広場)のように,有意義な交流ができる場にできればと思っています。

管理人である東大世界史講師は,東京大学文科一類に入学して東京大学法学部を卒業し,現在,東京・神奈川の大学受験指導機関で,東大を中心とした大学入試対策の世界史を指導している者です。

このブログは,営業ではなく個人的な活動として行っています。(※指導・添削のサービスにご関心をお持ちの方は,「世界史の指導・添削サービスについての情報」をご覧ください。)

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カパック・ニャン

<カパック・ニャン(インカの道)>

カパック・ニャン 地図

<カパック・ニャンの主要なルート>


カパック・ニャン」(インカの王道)は,南米のインカ帝国で築かれた道路網である。

インカ帝国の国土

15世紀に南米で成立したインカ帝国は,征服により急速に領土を拡大して,北はコロンビアから南はチリにまでいたる広い領域を支配下に置いた。

インカ帝国はその国土を「タワンティン・スーユ」(4つの地方)と呼んで大きく4つに分けながら統治を行い,領内の人間や物を掌握することにつとめた。

カパック・ニャン(王の道)

インカ帝国では,その広大な領土の実効的な支配のために,「カパック・ニャン」(「王の道」の意味)と呼ばれる大規模かつ高度な道路網が築かれた。

帝国内には高い石造建築の技術によってつくられた全長数万kmにも及ぶ道路が張りめぐらされ,アンデス山脈と太平洋沿岸のそれぞれに沿って走る主要な幹線道路とそこから分かれ出る多数の支道によって帝国中が覆われた。また,道路とともに駅伝制の仕組みも整備され,一定距離ごとに宿駅が設置され,情報伝達を担う飛脚も用意されていた。

このような道路と駅伝制によって,広大な国土は首都クスコを中枢として結びつけられ,帝国内における人や情報の円滑な移動が可能になった。こうして,インカ帝国は道路を利用することで帝国の統合と統治を実現した。

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キープをもつインカ帝国の役人

<キープをもつインカ帝国の役人>

キープ

<キープ>


キープ結縄)は,南アメリカのインカ帝国などで使用された,縄の結び目や色によって,物の数量や種類を記録する情報記録システムである。

インカ帝国

南アメリカ大陸のアンデス山脈の周辺では,紀元前からさまざまな文明が興隆していったが,15世紀には強大なインカ帝国が成立して繁栄した。インカ帝国は中央アンデスのクスコを中心として征服により領土を拡大し,現在のコロンビアからチリにまでいたるアンデス一帯を支配下に置いた。

こうして,インカ帝国はアンデス地帯の多様な地域や民族をその支配下に入れたが,それらを統治するために高度に整備された行政制度を導入して実施した。

キープ

このような広大な領土を円滑に支配するには,帝国内の人や物についての膨大な情報を記録して伝達する必要があったが,アンデス文明においては文字が使用されていなかった。しかし,そのかわりに,インカ帝国ではキープ結縄)と呼ばれる縄を使用したユニークな情報記録システムが存在していた。

このキープは,獣毛でできた縄(あるいは紐)を使用して,結び目の個数や位置によって数量を,また色によって種類などを記録するというものである。作成や解読は,技術を身につけた専門の役人が存在しており,彼らによって行われた。この方法によって,人口や生産物・家畜数などの情報が記録されて伝達され,徴兵や徴税など国家の行政において利用された。

このように,アンデス文明において独特な記録媒体として発達したキープは,情報の記録や伝達を可能にし,インカ帝国の統治を支えることになった。

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地図 スワヒリ都市

<スワヒリ都市>


スワヒリ都市は,アフリカ大陸の東岸,ソマリアからモザンビークにかけての沿岸部で形成された,海港都市の総称である。

スワヒリ

スワヒリとは,アフリカ大陸の東岸,現在のソマリア・ケニア・タンザニア・モザンビークにあたる地域のうち,インド洋に面した海岸地帯やそこで形成された都市・文化などを指す言葉である。「スワヒリ」という語は,アラビア語で「縁」や「海岸」を意味する「サワーヒル」が現地のバントゥー語風になまって生まれたもので,この地帯がアフリカ大陸の東の縁,すなわち海岸に位置していたことからこのように呼ばれることになった。

このスワヒリ地域は,アフリカ内陸部とインド洋の間に位置することから,アフリカのバントゥー語系の民族とアラビアやイランなどの海外の人々との交流が行われる舞台となり,その影響を受けながら独特の海港都市や文化が形成されることになった。

スワヒリ都市

このスワヒリ地域では,海外との交流を背景として,独特な性格を持つ海港都市が形成されることになった。

西暦1世紀以降にユーラシア・アフリカの東西を結ぶ海の道が開けて海上交易が活発化すると,その西端に位置するアフリカ東岸部では海外から来航した商人との間で交易が行われるようになった。さらに,7世紀頃からアラブ人ペルシア人(イラン人)などのムスリム商人の活動によって海上交易が発展すると,アフリカとアラビアやイランを結ぶ交易がさかんになり,アフリカ東岸部では海上交易を行う都市が成長していく。そして,11世紀から13世紀頃にはインド洋西部を中心に海上交易がいっそう発展し,そのなかでアフリカ東岸部の海港都市はインド洋交易の西の拠点となって発達していった。

このように,インド洋を通じた海外との交易のなかで,アフリカ東岸部ではマリンディモンバサザンジバルキルワなどの海港都市が発達した。これらのアフリカ東岸部に形成された海港都市はスワヒリ都市と呼ばれる。

交易・文化交流

スワヒリ地域では,海上交易によって海外との濃密な交流が展開され,そのなかで人・物・文化の移動や相互作用が起こった。

スワヒリ都市では,インド洋を通じて,アラビアやイランなどの商人との間で,アフリカ内陸部と海外とを結ぶ交易がさかんに行われた。この交易により,スワヒリ都市からは奴隷象牙などが輸出され,逆にスワヒリ都市にはインドの綿織物や中国の陶磁器などの商品が輸入された。

また,このような交流のなかで,現地のバントゥー語系民族の文化を基礎として,そこに外来のアラビアやイランなどのムスリムの文化が融合した独特の文化が形成された。この文化は,イスラームの信仰とスワヒリ語を核心として,アフリカ・アラビア・イランなどの多民族・多文化が共存・融合して形成されたもので,スワヒリ文化と呼ばれている。

こうして,スワヒリ都市を中核としたスワヒリ地域では,国際的・融合的な性格を特徴とする,特有の経済・社会・文化をもった世界が形成されることになった。

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