大学受験の世界史のフォーラム ― 東大・一橋・外語大・早慶など大学入試の世界史のために ―

東大・一橋・外語大・早慶など難関校を中心とする大学受験の世界史の対策・学習を支援するためのサイトです。

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このブログについて

この「大学受験の世界史のフォーラム」は,大学受験世界史の学習に利用できる教材や情報を提供することで,受験生・高校生を支援するためのブログです。古代ローマにおける「フォーラム」(広場)のように,有意義な交流ができる場にできればと思っています。

管理人である東大世界史講師は,東京大学文科一類に入学して東京大学法学部を卒業し,現在,東京・神奈川の大学受験指導機関で,東大を中心とした大学入試対策の世界史を指導している者です。

このブログは,営業ではなく個人的な活動として行っています。(※指導・添削のサービスにご関心をお持ちの方は,「世界史の指導・添削サービスについての情報」をご覧ください。)

姉妹サイト「世界の文化史のミュージアム」もありますので,よろしければそちらもご覧ください。

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アッシジのフランチェスコ

<アッシジのフランチェスコ>


アッシジのフランチェスコは,12世紀末から13世紀前半に生きた,イタリアの修道士・聖人である。

生い立ち

フランチェスコは,中世後期の1182年頃,イタリア中部のアッシジで豊かな商人の家に生まれた。少年時代は派手で華やかな生活を送り,街で仲間とともに遊んでまわり,近隣の都市との戦争に参加したりもした。

しかし,20歳の頃,戦争で捕虜となったことから一年余り獄中生活を送り,つづいて大病を経験すると,これをきっかけに彼の心と人生に変化が起こり始める。この頃から彼はそれまでの生き方に疑問をいだくようになり,そして25歳の頃にキリストから霊感を受けたことを感じて回心し,神に全てを捧げることを決意した。彼は全ての持ち物を放棄し,怒って引き止めようとする父と絶縁して修道生活に入った。

父親と絶縁して出家するフランチェスコ

<父親と絶縁して出家するフランチェスコ>

活動

以後,フランチェスコは清貧と愛を信条として,キリストの教えを実践しつつ伝道する活動を開始した。彼は財産を一切持たずに托鉢で慎ましい暮らしをしながら各地をまわり歩き,民衆に平易な言葉を通じて教えを説き,また貧しい人や病人の世話を献身的に行った。

そのようなフランチェスコを多くの人々は嘲笑したが,彼の活動と言葉に心を動かされて弟子として活動をともにしたいという者も現れ,これによって彼と弟子たちによる小さな同胞団が形成された。そして1209年,フランチェスコと12人の弟子はローマを訪ねて教皇に活動の許可を願い出て,その結果,教皇インノケンティウス3世から認可を与えられた。こうして誕生したのがフランチェスコ修道会である。

その後,フランチェスコや弟子たちは,イタリアをはじめとしてフランスやスペインなどヨーロッパの各地,さらにはアジアへと伝道を精力的に展開していく。フランチェスコに従う人々は増え続け,修道会は拡大し,教会からは正式に認められ,人々から尊敬を集めるようになった。

教皇から認可を受けるフランチェスコ

<教皇から認可を受けるフランチェスコたち>

その後

1224年,今や一大組織に発展した修道会のなかで方針をめぐる対立が起こるなか,フランチェスコは修道会の運営からはなれて孤独な隠棲生活に入ることを決め,一人で山や森のなかで暮らすようになった。彼は自然のなかで修行や祈りに励み,その合間に小鳥などの動物たちに語りかけて教えを説いて,日々を過ごした。

小鳥たちに教えを説くフランチェスコ

<小鳥たちに教えを説くフランチェスコ>


そうして過ごしていたある日のこと,彼は空から天使が十字架を抱いて自分の方へ舞い降りてくるのを見て,その途端に無上の恍惚感で満たされるという神秘的な体験をした。そして気づくと,彼の両手・両足・脇腹にあわせて5つの傷跡ができていたという。これは,十字架にかけられたキリストが負った傷が体に現れる「聖痕」と呼ばれる現象で,フランチェスコがキリストを模範として聖なる生き方を真摯に追求し続けたがゆえに起こった奇蹟だと考えられている。

天使から聖痕を授けられるフランチェスコ

<天使から聖痕を授けられるフランチェスコ>


もともと体の弱かったフランチェスコは,かつて布教のなかで病気にかかっていたが,その病状は悪化していった。そして1226年,自身の死期が迫っていることを悟ると,故郷のアッシジへと帰り,そこで弟子たちに見守られながら死去した。こうして,フランチェスコは神に全てを捧げ続けて,この世での務めを終えた。死後まもなく彼は教会から列聖され,今にいたるまでイタリアや世界で聖人として尊敬され続けている。

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聖十字架

<聖十字架>

聖槍

<聖槍>

聖骸布

<聖骸布>

聖杯

<聖杯>

聖遺物は,主にキリスト教の世界で信仰された,聖人の遺品や遺体などの聖人が残した聖なる力をもつと信じられた物である。

聖遺物とその信仰

聖遺物とは,キリスト教において,イエス・キリストやその他の聖人が身につけたり触れたりした遺品や,あるいは彼らの遺体など,聖人が残した物を指す言葉である。主な聖遺物の例としては,イエスが架けられた聖十字架,イエスの脇腹を衝いた聖槍,イエスの遺体をくるんだ聖骸布,イエスと使徒が最後の晩餐で使用した聖杯などがある。

このような聖遺物は,特に中世の西ヨーロッパでは,聖人のもつ神聖な性質を帯びてそれ自体が特別な力をもっていると考えられ,病気の治癒や地域・国家の繁栄などの効験をもつと信じられた。そのため,聖遺物は,民衆から貴族・聖職者にまで広く信仰された。

中世の西欧における聖遺物

中世後期の西ヨーロッパでは,キリスト教の信仰が高揚するのにともなって,聖遺物への信仰もまた過熱することになった。

教会や修道院は,自身の霊力や権威を高めようとして,先頭に立って聖遺物の収集を行った。彼らはそれを聖堂のなかに納め,教会を守ったり信徒の信仰を促すために利用した。

一般の民衆は,そのような聖遺物に見たり触れたりするために,遠距離を厭うことなくさかんに巡礼を行った。彼らは優れた効験のある聖遺物を備えた教会を訪ねて,そこで必死に奇蹟や加護を願った。

11世紀末からは聖地イェルサレム奪回のために東方への十字軍が展開されたが,この十字軍の遠征においても聖遺物を手に入れることは大きな動機の一つとなっていた。参加した戦士や商人たちは,ほとんどが疑わしいものであることにもかまわず,聖遺物と見なしたものを見つけては持ち帰った。

このように,人々は聖遺物を熱心に追い求め,時には聖遺物をめぐって争奪戦まで起こることもあった。こうして聖遺物は,特に中世のキリスト教の信仰において,重要な役割を果たすことになった。

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東京大学2016年第2問(3)の過去問題と,東大世界史講師(管理人)が作成した解答解説です。

- 解く際の注意 -

問題を解く前に解答が目に入るのを防ぐために,問題と解答の間に空白を大きくとってあります。解き終わったら,下へスクロールして解答を見て答え合わせを行い,また解説を読んで知識を補充してください。

モバイル端末からご覧の方は,「モバイル版」での表示でなく「パソコン版」での表示でご覧ください。「パソコン版」表示への切り替えは,ページ最下部の「表示切替」の項目のところで行うことができます。

不必要に問題の全文を掲載することは避けて,解答するのに直接的に必要な範囲でのみ問題文を引用するか,あるいは趣旨を損なわないように問題文を改めています。実際の問題文の全文を確認したい人は,WEB上に公開されている各大学の入試問題データや市販の過去問題集などで確認してください。

問題

17世紀のイギリスやフランスで実施された経済政策について,それらを推進した人物や代表的な法令を挙げ,また当時のオランダの動向と関連づけながら,120字以内で説明しなさい。












解答

「英仏は国際経済の覇権を握って自由貿易を推進するオランダに対抗して国家が経済活動に介入する重商主義政策をとり,イギリスのクロムウェル航海法を制定しフランスのコルベール特権マニュファクチュアを創設するなど,自国の貿易や産業の保護を行った。」

※イギリスの航海法は,クロムウェル個人が主導したものとは言いにくいが,政権担当者を代表と扱って主体として表現することはよく使われる用法であり教科書でも専門書でも見られるので,問題はないと思われる。もし気になるならクロムウェルの名前は外しても,フランスの方でコルベールの名を示してあれば「推進した人物を挙げる」という設問の要求に応えたことになるので,かまわないだろう。

解説

政策

16世紀から18世紀にかけての西ヨーロッパ諸国では,重商主義と呼ばれる経済政策が採用された。この重商主義は,国家が経済活動に介入することで国富の増大をはかる政策である。

この重商主義はいくつかの形態に分けることができ,16世紀頃からスペインなどによって進められた貴金属の獲得を重視する重金主義や,17世紀頃からイギリスやフランスによって推進された輸出や産業を重視する貿易差額主義産業保護主義などのかたちがあった。

背景・目的

このような重商主義がとられた背景には,ヨーロッパにおける絶対主義絶対王政)の国家において,官僚や常備軍の維持などのために膨大な財源が必要になったことがあった。

また,17世紀後半頃のイギリスやフランスについて言えば,当時,世界経済の覇権を握っていたオランダに対抗するために,自国の貿易や産業を保護・育成することが国家に要請されていたというのもあった。

具体例

17世紀後半のイギリスやフランスにおいて,典型的な重商主義政策の例を見ることができる。

イギリスでは,1651年に,クロムウェルを中心とした共和政政府によって航海法が制定された。これは,イギリスとヨーロッパ・植民地間の貿易において,自国か相手国の船のみを使用することを定めた法律で,中継貿易で栄えるオランダを排除して自国の商工業を保護することを狙ったものである。

また,フランスでは,17世紀後半,ルイ14世時代の財務総監コルベールによって,コルベール主義とも称される一連の重商主義的政策が実施された。コルベールは,特権マニュファクチュア王立マニュファクチュア)の設立,東インド会社などの特権会社の振興,保護関税の導入などを進め,これによって自国の貿易や産業の保護をはかった。

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