大学受験の世界史のフォーラム ― 東大・一橋・外語大・早慶など大学入試の世界史のために ―

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このブログについて

この「大学受験の世界史のフォーラム」は,大学受験世界史の学習に利用できる教材や情報を提供することで,受験生・高校生を支援するためのブログです。古代ローマにおける「フォーラム」(広場)のように,有意義な交流ができる場にできればと思っています。

管理人である東大世界史講師は,東京大学文科一類に入学して東京大学法学部を卒業し,現在,東京・神奈川の大学受験指導機関で,東大を中心とした大学入試対策の世界史を指導している者です。

このブログは,営業ではなく個人的な活動として行っています。(※指導・添削のサービスにご関心をお持ちの方は,「世界史の指導・添削サービスについての情報」をご覧ください。)

このブログのほかに,世界の文化史を紹介するサイト「世界の文化史のミュージアム」と,洋書や洋楽から英語の語句を紹介するブログ「洋書と洋楽で学ぶ英単語・英熟語 from the word GO」も運営していますので,よろしければそちらもご覧ください。

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開封 地図

開封汴州)は,中国の河南省北部に位置し,五代や北宋の時代に都が置かれた都市である。


開封は,華北平原の中心部,黄河中流の南岸にあり,中国文明の中心地域,交通の要衝に位置している。

この開封の都市としての歴史は,春秋時代の初めに鄭の国の君主によって城や町が築かれたことによって始まる。つづいて戦国時代には魏の国の都が置かれて大梁と名づけられ,当時の商業や学問の一大拠点となった。

しかし,この後はいったん衰え,秦・漢・魏晋南北朝の時代には重要性が下がり,しばらく歴史の表舞台には現れない状況が続いた。


ところが,隋代になると,大運河が建設を機に,再び開封に光が当たるようになった。開封は黄河と大運河の結節点に位置しており,このために物資の集積地となり,商業の重要な拠点となったのである。

さらに,唐の滅亡後の五代の時代には,後梁の都が置かれたのを初めとして後唐以外の4つの王朝で首都となって発展した。特に五代最後の後周の時代には,第2代皇帝の世宗によって積極的な開発がなされたことで飛躍的に発展した。

そして,五代につづく宋の時代にも都が置かれたが,この宋の前期,北宋の時代に開封は全盛期を迎えることになった。


北宋の時代,開封はその首都として中国の政治および経済の最大の中心となり,空前の繁栄を見せた。

開封は皇城・内城・外城の三重の城の構造でできており,城内には多数の官庁や家屋が築かれ,運河が城内にも連結されるなど,高度に整備されていた。

人口は少なくとも50万以上で,都市内には商店・飲食店・演芸場などが立ち並び,多くの人々が行きかい,さかんに取引や娯楽が行われて賑わった。

このような開封の繁栄ぶりは孟元老による『東京夢華録』によって詳細に記されており,また張択庵による「清明上河図」も開封を描いたものと考えられている。


清明上河図

<開封を描いたと見られる「清明上河図」>


その後,女真人の金の征服によって北宋が滅びて南宋の時代になると衰え,そして元末には黄河の大洪水による被害などもあって都市はすっかり荒廃し衰退した。

しかし,明の時代にはいちおうの復興を果たし,明と清においては河南省の州都となるなど,その力を少しずつ取り戻していった。そして,現在でも河南省の主要都市の一つとなっている。

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趙匡胤(宋・太祖)

<趙匡胤(宋・太祖)>


趙匡胤宋・太祖)(927~976年)は,中国の宋の初代皇帝である。


趙匡胤は,唐の滅亡後の五代十国時代に洛陽で武将の子として生まれた。子どもの頃から武芸を好んでおり,成長すると武人となり,そして五代最後の王朝となる後周の皇帝・世宗に仕えると次々と華々しい軍功を上げて,ついには最高司令官の地位にまで上りつめた。

まもなく主人である世宗が死去して幼い皇帝が即位した後,趙匡胤は北方の契丹に対応するために兵を率いて出陣したが,この際に首都・開封の城外の陳橋というところで宿営したところ,深夜に将軍たちが趙匡胤のもとに集まって彼に対して後周を廃して新たな皇帝になることを強く迫ったという。彼は部下たちに押されてこれを受諾し,取って返して開封に進撃すると,後周の側は抵抗することもなく無血のうちに革命は成功し,これにより後周にかわって宋王朝が成立して趙匡胤がその初代皇帝となった。


皇帝となった趙匡胤(太祖)は,唐末から五代にかけての混乱と武断政治の風潮を断ち切って,国家の安定と中国の統一を確実に実現するために内外の事業に精力的に取り組んだ。

国内では,文治主義にもとづいて,皇帝を中心とする中央集権体制の確立につとめた。彼は皇帝直属の禁軍(親衛軍)を強化するとともに,節度使などの有力武将に対し説得や威迫など硬軟使い分けてその権限を縮小し勢力を削減した。また行政においては,各機関の権限を分散させたうえで文官が管理する体制を築くとともに,科挙に皇帝自身が審査を行う殿試を導入するなど官吏任用制度も整備し,官制を整えた。

対外的には,いまだ各地に割拠していた諸国の征服に取り組んで,中国の再統一を推進していった。彼は慎重かつ巧妙な戦略によって討伐の容易な勢力から順に各個撃破していき,この結果,ごく少数の国だけを残して征服に成功して中国統一に大きく近づいた。


このように体制の整備や中国統一を順調に進めていたさなか,976年に趙匡胤は急死した。この後はやや奇妙なことに彼の子をさしおいて弟の趙光義太宗)が第2代皇帝として即位したが,このような趙匡胤の死やそれにつづく皇位継承には,趙光義の陰謀があったという疑いも強い。こうして趙匡胤の直系の血統は継承されないことになったが,しかし,彼が敷いた中央集権体制や文治主義の路線は確かに受け継がれて宋王朝の基礎となった。

趙匡胤は,その傑出した実力と信頼を集める人柄によって,武人として成果を上げた後,予期せぬ経緯から皇帝となり,そして新王朝の基礎を築いた。皇帝中心の中央集権体制を確立し,中国の再統一もほぼ実現して,こうして混乱の時代に終止符を打って国家の安定を取り戻したことで,彼は中国の歴代皇帝のなかでも高く評価されている。

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こんにちは,東大世界史講師です。

突然ですが,この度,新しく英語学習のためのブログも開設することにしました。


洋書や洋楽で学ぶ英熟語・英単語 from the word GO」という名前で,洋楽や洋書を素材として,英語の語句を紹介していくブログです。

英米の文学の文章や音楽の歌詞から重要な英単語・英熟語をとりあげて,その意味・語源・用法などを解説していきます。


自分は昔から世界の文学や音楽が好きでしたし,英語をはじめとする言語も好きでした。

英語の原文で文学や音楽の作品を鑑賞することはとても楽しく,しかも一流の芸術家によって使われている言葉はエネルギーがあって心に強く残ります。

そこで,優れた作品を通じて英語の力を伸ばし,磨ければと思って,新しいブログを始めることになりました。


よかったら新しいブログ「洋書や洋楽で学ぶ英熟語・英単語 from the word GO」の方もご覧くださいね。

もちろん,こちらの世界史のブログも引き続き,運営していきます。今後ともよろしくお願いします。


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