「艦隊の山越え」 | 大学受験の世界史のフォーラム ― 東大・一橋・外語大・早慶など大学入試の世界史のために ―

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艦隊の山越え

<艦隊の山越え>

コンスタンティノープルの地形と艦隊の山越え

<コンスタンティノープルの地形>

艦隊の山越え」は,1453年,オスマン帝国のメフメト2世がビザンツ帝国の都コンスタンティノープルに対する包囲戦を展開している際に,艦隊を山を越えてコンスタンティノープルに接する金角湾の中へと運び入れた事件である。

オスマン帝国のコンスタンティノープル包囲

1453年4月初め,オスマン帝国の若きスルタン,メフメト2世は,陸軍・海軍合わせて10万という大軍を率いて,ビザンツ帝国の都コンスタンティノープルの包囲を開始した。

オスマン帝国は,陸軍が西側から城壁への攻撃を仕掛ける一方で,海軍は東側から包囲を行い,外部からのビザンツへの救援を絶つとともに攻撃を試みた。

コンスタンティノープルの構造と金角湾

コンスタンティノープルの都市は,東西南北の四辺を海や城壁によって守られ,難攻不落なことによって知られていた。このうち,北辺には,金角湾という細長い湾が海から入り込んでいるが,この湾はビザンツ帝国の防衛の生命線となっていた。

コンスタンティノープルに外から救援の船がやってきたときには,この金角湾に入ることで,安全に迎え入れることが可能であった。また,普段はこの湾の入り口に頑丈な鉄の鎖がかけられており,敵であるオスマン帝国海軍の侵入はできないようになっていた。

ビザンツ帝国の人々は,いつかヴェネツィアやジェノヴァなどから救援の船が到来して,この湾に入ってくることに望みをかけており,金角湾の存在はビザンツの希望となっていた。

艦隊の山越え

包囲開始から数週間がたった頃,コンスタンティノープル攻略のためには金角湾をおさえる必要があると認識したメフメト2世は,ある奇策を思いついた。彼は,海軍に命じて,秘密の作戦を実行させた。

1453年4月22日未明,オスマン帝国海軍は,金角湾入口の北に位置する地区の沿岸に艦隊の一部を移動し,そこから戦艦を一隻ずつ陸に引き上げ,それを動物や道具を活用しながら陸上を運搬し,山を越えて,対岸の金角湾の中へと侵入させたのである。

この,メフメト2世による「艦隊の山越え」は,ビザンツ帝国が抱いていた希望をあざやかに絶ち,コンスタンティノープル攻略を完成させるうえで決定的な布石となった。