「吉田 松陰(よしだ しょういん)」(1830~1859)
幕末にかけて活躍した武士(長州藩士)、教育家。
その短い生涯の中で、木戸孝允、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文など、
日本史に残る多くの偉人を育てあげた人物。
司馬遼太郎さんの「世に棲む日日」(全4巻)でその生涯を知ることが出来ます。
大器をつくるには、いそぐべからずこと。
平凡で実直な人間などいくらでもいる。
しかし、事に臨んで大事を断ずる人物は容易に求めがたい。
人のわずかな欠陥をあげつらうようでは、
大才の士は、もとめることが出来ない。
学問ばかりやっているのは、腐れ儒者であり、
もしくは専門馬鹿、または役立たずの物知りに過ぎず、
おのれを天下に役立てようとする者は、よろしく風の荒い世間に出て、
なまの現実を見なければならない。
人間には精気というものがあり、
人それぞれに精気の量は決まっている。
この精気なるものは抑制すべきである。
抑制すればやがて溢出する力が大きく、ついに人間、狂にいたる。
しかし、おのれの欲望を解放することによって、固有の気が衰え、
ついに惰になり、物事を常識で考える人間になってしまう。
至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり。
人間が生まれつき持っているところの良心の命令、
道理上かくせねばならぬという当為当然の道、
それはすべて実行するのである。
「国家とともに」という志がないならば、人ではないのである。
味方の協和が得られて、初めて地形の有利さも 自然の条件も役に立つのである。
それ故に国家の務めを論ずる場合には、まず味方の協和の問題を取り上げねばならない。
学問の上で大いに忌むべきことは、したり止めたりである。
したり止めたりであっては、ついに成就することはない。
君子は何事に臨んでも、
それが道理に合っているか否かと考えて、その上で行動する。
小人は何事に臨んでも、
それが利益になるか否かと考えて、その上で行動する。
人を信ずることは、もちろん、遥かに人を疑うことに勝っている。
わたくしは、人を信じ過ぎる欠点があったとしても、
絶対に人を疑い過ぎる欠点はないようにしたいと思う。
悔いるよりも今日直ちに決意して、仕事を始め技術をためすべきである。
何も着手に年齢の早い晩いは問題にならない。
人を観察するのは、その人の目によってするのである。
胸のなかが正しいか、正しくないかは、
ひとみがはっきりしているか、暗いかによってわかるものである
だいたいにおいて、世間の毀誉(人から言われる事)というものは、
あてにならぬものである。
学問をする眼目は、自己を磨き自己を確立することにある。
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