自活と自立の違いと、自分のビビリの正体に気づいチャッたお話。 | うーみんのブログ

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長野スピリチュアル案内人うーみんが日々の思いを綴ります。




以前、あるワークショップの主催者の方が下記のようなことを言っていた。

「自活と自立は違います。自活をしている人は多くいますが、自立している人は少ないです。更に、自活を自立と勘違いしている人も多くいます」と。

この話を聞いた時は、自分はとっくに自立してるので、自分には関係ない話だなぁと思っていた。


かたや、上記とは別の側面の自分を認識している自分。

やりたい事が腹の底から湧きあがっても、頭で自分には、それをやる資格も力もないと、その思いに蓋をしてなかった事にしてしまう自分。

人に何かを頼まれても、ビビって速攻で断ってしまう自分。

↑は、何でもかんでも断るって事ではなくて、人から何かを手伝ってって言われれば、もちろん手伝うんだけど、例えば、先日、よく遊びに行くゲストハウスのオーナーさんに、「うーみんさんの話は、面白いから、今度、ウチでイベントやる時に、何か話してください」と言われた時に、速攻で、「いや、俺なんかより、もっと他の人がいいと思うよ」って断ってた。

本当は、自分は人と話すのが好きだから、やってみたい気持ちもあるんだけど、同時に心の中に「自分には、みんなの時間をもらうほどの価値がない」ってのがある。

(上記の事は、ほぼ毎回オートマチックに起きる)


上記の自分を自分と認識しているので、何かやりたいことがあったり、何かを依頼されてもビビってできない自分。が当たり前すぎて、それ以上その事を深掘りした事がなかった。


が、


先日、「いったい自分のビビリって、なんなん?」

と疑問が湧き、考えてみた。


赤ちゃんは、偉大な先生。


失敗を怖がったり、人を頼れなかったり、ビビったりする赤ちゃんはいない。


という事は、自分の「ビビリ」も生まれつきではなくて、この世に生まれた後に形成されたもの。


いつだ?


このビビリの正体は何だ?


時間をさかのぼる。

記憶を辿る。


確か23歳頃から、小学校低学年の頃まで、母親に怒られると、真っ暗な押し入れに閉じ込められたり、家の外に追い出されていた。

その度に、押し入れの暗がりは地獄の底に突き落とされたように感じ、外に追い出された時はこの世にお前はいらないと捨てられたように感じ、毎回ギャン泣きした事が思い出された。


今の大人の自分は、母親が自分を嫌いで虐待していたわけじゃなく、母親なりに、自分が将来、人として人間社会で生きていく為の躾と考えての事と理解できるけど、当時の小さな頃の自分にとっては、そんな事は理解できるはずもなかった。


その頃の母親の存在は、自分にとって母親であり神様でもあったと思う。


母親=神様にとって間違った事をしたら、地獄の暗闇に閉じ込められるか、この世から追い出される。

・僕は、間違ってはいけない。

・僕は、失敗してはいけない。

・母親=神様の言う事を聞かなくてはいけない。

・僕は、常識を守らなければいけない。(母親の考える常識)

などなどの思いが、小さな自分の中に刻み込まれた。


以来、母親=神様に見捨てられない戦略をとって生きてきたんだ。


自分のビビリの正体は、

自分が本当にやりたい事が湧き上がった時に、母親の常識から出るような事だと感じると、まるで野生の動物から山の近くにある畑の農作物を守る為の電気の柵のようにビリビリっと電気が流れるのと同じ役割をしていた事に気づいた。


という事は、自分はとっくに自立していたと思ってた事は大きな勘違いで、結局は母親の常識の世界の中で生きてきたんだ。


マザコンとは「マザーコンプレックス」の略です。子供が母親に固執し、成人になっても支配されている状態を指します。


↑  って俺のことジャーーーン!

  ガーーーーーーーーーーーん!


でも、いま気づけて良かった。


今後、ビビった時に、自分の中の小さな自分に言ってあげれる。


「怖いよな。そして、ここはお母さんの常識の端っこ。この先が本当の自分の輝く世界」


そして、自分に質問してあげれる。


「どうしたい?」