こんにちは。
Co-leadersのSHIHOです。
ちょっとビックリするお話を1つ。
私はですね、去年の8月から半年間毎月
一般社団法人グラフィックファシリテーションの主催するプロコース(0期生)という学びをしておりました!毎月東京で!
これはですね、ORSC(システムコーチ)の先輩が設立されたもの。
今や超売れっ子のグラフィックファシリテーションでNHKの習慣ニュース深読みにも生放送で登場されている方。
(以下、なっちゃん。)
案件が全国に多すぎて早くプロを養成していきたいとう想いのもと始まったのです。
0期生ということで、まだコースもパイロット版。正式公募ではなく、招集されたのです。
絵が元々うまいわけではない私が、
何故このコースに参加したのか。
それはですね、
「ただ絵を描く」ということではなく、
「場の感情を見える化する」というシステムコーチングの要素を含んでいるからなのです。
アーノルド・ミンデル博士という
物理学者で心理学者の方が提唱されている
3つの現実レベルという観点で物事を捉えた時に「合意的現実レベル」「ドリーミングレベル」「エッセンスレベル」
という概念があります。
・合意的現実レベル・・・ 誰もが合意できる現実、事柄。時間、お金、タスク、約束など。
・ドリーミングレベル・・・人の想い、価値観、モヤモヤ、感情、意図、背景など。一緒に握ることが難しい目に見えない言語化されたもの。
・エッセンスレベル・・・言葉にすらならない、対感覚、直感、宇宙の神秘、涙、比喩、そういうもの。
私達は、日々の中でほぼ合意的現実レベルで生きていることが多いのだけれど、
関係性やその事柄で起こっていることの奥には、概ねドリーミングやエッセンスの部分が影響していることが多い。
しかし目にハッキリ見えないのでおざなりにされていることが多いのですが、その眼に見えない部分を可視化し共有するというのが
「グラフィックファシリテーション」なわけです。
この部分において、
私はとっても共感していました。
システムコーチとして、絵を描くということも更にできると、場にとてもパワフルだなと感じたのです。
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ただ、コースを進むにつれて私の中にある、モヤモヤがありました。
この半年間、なっちゃんの全国の企業や全社総会や各種イベントでグラフィックファシリテーションをする案件へのアシスタントとしてのアサインが膨大にありました。もちろん、グラフィックファシリテーションの実践の学びのためです。
その多くが「大手企業案件」「1000人規模イベント」など普通ではなかなか経験できない魅力的な現場ばかりです。
みんな、現職中の人も仕事を休んで調整したりして現場に入ります。フィーが発生してもしなくても。
すごいなぁと思いながら、私は関西在住ということもあり、関東の全ての案件にはなかなか入れずに、関西案件を数件担当させて頂きました。それでもとても貴重な体験です。
ただ、少しの違和感というのは、
その「案件」と言われる場にどのように入るのか、ということ。
事前の打ち合わせや意図は既に決まっていて、
当日アシスタントとして、絵を描く、色を塗る、、、
メインファシリではないため、アシスタントとして。
その立ち位置が私にはどうにも違和感だったのです。
すでにファシリテーターとしての経験が邪魔をしたのかもしれません。
そこに「私」が入る意味がない案件に入る違和感がとてもあったのです。
私は思いました。
グラフィックファシリテーションの意味や意義はとてもパワフルで場に意味を見出す。
ただし、私は私の持ち場でやりたい。
私が関わる組織やチームの中で、
システムコーチングが機能するのか、グラファシが機能するのか、別のワークが機能するのかを
見極めて入りたい。
そのモヤモヤは、このプロコースの中では、
非常に不都合なことでした。
圧倒的なパワーとそれを崇拝するメンバーの中で、案件に入らないという無言の抵抗。
居心地の悪さ。孤独。
そのモヤモヤを抱えたまま、外に吐き出せないもどかしさを感じていました。
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最終回の完了の日。
「プロの認定資格というのは、時間数をクリアしたら自動的に授与するという形にはしたくない。
この資格が欲しいですか?欲しくないですか?欲しいならば、その理由とそれにふさわしいことをプレゼンしてください」
というなっちゃん。
正直、とってもぐるぐるしました。だって、私がずっとモヤモヤを抱えていたから。
本当に資格が欲しいのかな?という問いはずっと持っていたから。
さらっと簡単に流してはくれません。
さすがです。
ここで「資格は欲しいです」何故ならば…、世の中に与えるインパクト、これからやっていきたいと思っていること、
必要な時間数はクリアしたことなどを並べることはできたかもしれません。
いつも、どこから質問されても「それなりの答え」は用意できてしまう自分も知っていました。
でもそれが、如何に「感じる」ということをすっ飛ばして、「頭」で言っているかという現実も突き付けられました。
嘘を言っても、見抜かれる。
今こそ、本当の自分(ぐるぐるしていて、ぐじぐじしてる自分)と自己一致して
本当の気持ちを伝えよう、そう思いました。
そして言った言葉が
「私はこの認定資格をほしい、とは言いません」
何故ならば、という理由、今まで葛藤していたことを全部伝えました。
「私は私の作る場で、100%の責任を持って描きたい」という強い願いと共に。
グチャグチャに泣きながら話しました。
正直、プロの資格を取るコースに通っておきながら、これを言うということは
かなりの覚悟が要りました。
このコースそのものを否定するの?
全員を敵に回すの?喧嘩売ってるの?
もう案件は一生まわってこないかもね。
このコースは意味なかったの?
更に言えば、それって実力が達していない負け惜しみなんじゃないの?本当に自分の声なの?
とかね。
そして、同時に
このコース自体を否定してるわけじゃない。
全員とは繋がりを保ちたい。
このコースに誘って貰えて学び得たことはとても貴重だと思ってる。
通えたことに、後悔もしてない。
なので、正直言った後も、非常に居心地が悪く、ステイすることが難しかったです。
”あんなこと、本当にいっちゃったよ・・・”
って感じ。
意外にそれを聞いていたメンバーの声は
「それ、ダダ洩れてたから、知ってたよ。」
「そして縁は切れないよ」
って言ってくれました。(自分では必死に止めてたつもりなのにね、笑。在り様で、にじみ出ちゃってるみたいです)
でもね、1日経って、自分に起こったことを全て他の人に話せる機会を得て、
「あぁ、これで良かったんだ。私は私でいい」
って思えました。
そして、あの場で勇気をもって自分と繋がった言葉を言えたことに、少し誇らしく思えました。
プロコーチの資格を取得した時も
システムコーチの資格を取得した時も、
だいたいクラスでは資格取得は早い方でいつも優等生的に課題をクリアしていたのが私のデフォルト。
そんな私がある種の「ドロップアウト宣言」的なことをするのは、
私のいつもの領域ではありませんでした。
だからグラグラしたし、ドキドキした。
でも、自分が自分であれる、大切なことを大切にしながら、みんなのことを否定したり傷つけない
そんな世界には行けるんだ、ということを再確認できました。
自分の内なる声に従うということは、
時に自分にも、周りにも不都合なことは多い。
(榎本英剛「本当の自分を生きる」より)
でも、それが本当の自分を生きるといことなのかな、と。
私がここまでして、
権力のパワーや上下のヒエラルキーが嫌いなのも
何かしら幼少時代から培ったメンタルモデルが関係していそうです。ここはまた掘り下げるべきテーマです。
まぁ、そんなこんなで資格はありません笑が、
私はこれからもグラフィックファシリテーションが必要な場には絵を描いていきます。
こんな私ですが
どれが自分の本当の気持ちかわからなくなりそうな時も、自分にも周りにも誠実に自己一致していきたいと思います。