悟りについて | 独断と偏見

独断と偏見

20年前に書いたブログがまだ生きていました。
すでに60歳を超えて老年になり、過去を振り返りつつ思うところを書いてみたいと思います。


 結核の病と闘い、苦痛の中に死んだ歌人正岡子規は

 「悟りとはいかなる場合でも、平気で生きていることである」と語っている。

 それは、苦しみを超越する精神や不安や悲しみに動じない心を持つことではなくて

 苦しければ苦しいままに、辛ければ辛いままの姿を

 そのまま受け入れて生きるということではないだろうか。


 年老いてなお、幸福に生きられる人というのは

 老いて不自由になる体や、病んでゆく自分を

 そのままに受け入れられる人だという。


 自分が不幸だと思う出来事や不安に思う事柄も

 それが自分の身に起きてしまったとき、

 それを仕方ないと受け入れて生きるとき、

 なるようにしかならないのだと

 自分の運命を受け入れるとき、

 苦しみや苦痛がなくなるわけではないけれど

 そのことについて苦悩する自分は消えるのではないだろうか。


 僕たちが苦しいのは

 起きてしまった現実を受け入れようとしないからなのかもしれない。


 それは、たぶん

 自分でない誰かと人生を比べているから。

 誰かの人生をうらやましがっているから。

 だから、自分だけ特別の不幸が起きたような気になる。


 でも、自分の人生は自分だけのものだし

 誰かの人生と変えられるものでもない。

 比べること自体が意味のないこと。

 自分が生きられるのは自分の人生だけなんだ。