時々ですが、

誰かの投稿に対して、

食って掛かっている人、

違う意見をぶつける人を見かけます。

コメント欄からとかね。

 

 

価値観が違う人が、自分の価値観を

相手に言ったところで、

何がどうなるわけでもないですが、

大抵の場合、使命感に燃えていたり、

もしくは、ただ言いたいだけの人も居ます。

 

 

「自分は正しい」を声高に主張することで

もうひとつの対極にいる誰かが

間違っている、ということを

主張していることになります。

 

 

そもそも「私は正しい」、の

考え方が戦いを引き起こすもの。

 

 

逆に、誰かが間違っている、

と言いたいのは、「自分は正しいと」

との主張をしたいから。

 

 

それぞれ考え方は違う、ということくらい

誰もが知っているのですが、

それでも、自分は正しい!と

思いたいのは、我の強さ。

 

 

我が強いというのは、

いい意味では、自分の意見を

ちゃんと持っている、というところに

ありますが、悪い意味では、

自分の考えを押し通そうとすること。

意見の押しつけなのです。

 

 

もっとゆるやかに、

自分が持っている常識も

所違えば、非常識になることも

わかっていたほうがいい、というもの。

 

 

 

自分の考えを持っているのは

良いことですが、

他人との違いを認めているとは

言葉で言ったとしても、誰かを

糾弾することや、いつも批判しているなら

それは、私の考えが一番正しい!

と言っているにほかならないのです。

 

 

私もブログでは好き勝手、

自分の価値観や信念を書いていますが、

別にそれが正しいとは思っているわけでは

ありません。

 

 

世界基準なんてありませんから、

自分の中での正しさだけであって、

誰かにとっては間違っていて当たり前。

 

 

ただの違いなだけです。

 

 

我の強い人は

時々でいいから、

自分が違うのかも?と

違う視点から自分を

観察してみるといいです。

 

 

こういうことを書いていますと、

昔の恥ずかしかった自分を

思い出します。

 

 

20代の私は、我が強い。

30代、壊れてしまい、ネガティブで

もともと持っている我の強さと、

あとから植え付けられたネガティブで

ブレブレ。自分が正しいと思ったり、

自分が間違っていると思い、責めたり、

なんの軸もなく、大変でしたが、

 

 

40代を経ての現在50歳。

もう、なんでもあり。

世の中、白黒ハッキリできることだけじゃなく、

白に近いグレーも、黒だかグレーだか

見分けがつかないようなゾーンあり、

 

 

正しさなんて何もないのだな、

ということがわかり、

えらくニュートラルになり、

楽に生きられるようになりました。

 

 

もちろん、自分が正しい、と

思うことはあったとしても、

それはその人個人に

伝えるべきことではありません。

自分の中で大切にしておけばいいのです。

 

 

ではまた明日。

 

 

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●なんかホッとする

 

 

 

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