今日はブログがなんとなく書けなくてね。

疲れているんじゃなくて、

悲しいのとも違う・・・そのことについて

書きたいのに、何を書いても薄っぺらくて

何を思っても、空虚で・・・

それでも書きたいのは性(サガ)なんでしょうか。

 

 

悲しいというよりも、

空虚な感覚のほうが近いかな。

昨日は、会ったこともない

ただ、時々ブログを読む程度の人のために

心は痛み、押しひしがれました。

 

 

命の長さに関わりなく、

この世を去った人は、

今生でのお役目をすべて果たして

勝利の帰還となり、神様に地球でしてきたことを

報告するのでしょう。彼女は「よくやった」と

神様から褒められるでしょうね。

 

 

人間的な観点からしたら、

残されたほうは悲しすぎて、

何もふさわしい言葉がでないほど。

 

 

小さな子供を残してきたことに関しては、

無念だっただろうな・・・と勝手に想像はしますが、

きっと彼女はそれすらも、すべて覚悟し、受け入れ、

信じ「この子達なら大丈夫!」と思ったかな・・・。

 

 

最後の言葉は、子どもたちのことではなく

愛する夫に向けての言葉。

その日を迎えるまで、

きっといろんな準備と覚悟があったことでしょう。

 

 

いつか誰でもこの世を去るわけですが、

人様の目に触れることが多い人が生き様と

強い姿を全部見せてくれたこと、

ありがたいな、と。

 

 

「死」は「生」を教えてくれます。

わざわざ彼女が自分の最後の生き様を

みせてくれたこと・・・

 

 

彼女の最後のブログは、

オレンジジュースの酸っぱさを感じ、

それに喜びと笑顔を見せてくれた彼女。

当たり前ではない日々の日常。

 

 

彼女のように、目立つことなく、

家族にだけ、自分の生き様を見せて

旅立った人もいることでしょう。

 

 

自分はどんな去り方をするのかは

わかりませんが、最後まできっと

書き続けているだろうな、と思いました。

 

 

ふと・・・

本当にふとだけど、

老眼鏡をかけて、晩年、そして死の間際まで

パソコンを叩いている自分の姿がなんとなく

頭の片隅をよぎりました。

 

 

生かされているこの生命を大切にしつつ、

精一杯、やはりがんばる生き方を

していきたいな、と改めて感じ、

 

 

明日、または来月、または一年後に、

この世を去るかのように生きる。

震災の時と同じ思いがまた

蘇ってきました。