最近、顔が変わったと言われます。

どういうふうに?と聞くと、

スッキリしている、

(痩せた、という意味ではない)

なんか抜け感や透明感がある、

肌が澄んでいる・・・などなど。

 

 

すいません、自分への褒め言葉ばかり

連ねてしまいました(;´∀`)

へへへ・・・

 

 

いつから言われているか振り返ってみると

お伊勢さんから戻ったあとから

そのように数人から言われております。

 

 

何かが違うけど、

その何かがわからない。

いったいそれは何じゃらホイ?

 

 

・・・てな感じですが、

まだまだ煩悩の塊ではありますので、

なおのこと、我欲に走らず、

足元すくわれないよう、

心して生きなければ、

そして、「生かされている感」が

以前よりも強く思うのでした。

 

 

神様の前に行きますと、

そんな気持ちになるんでしょうかね?

これがお伊勢さんパワーなの?

まったくもって鈍いのでわかりませんが。

 

 

 

さて、今日のテーマですが、

「生かされている」と心から思えると、

愚痴不平不満があまり出てこなくなります。

 

 

自分の力で生きている、というよりも

この年令に差し掛かりますと特に、

バリバリ他力本願にもなりまして、

他人様に頼ること、お願いすること、

そして、みんなに支えられて生きている、

という感じがしてなりません。

 

 

なので、支えられておきながら、

生かされておりながら、

不平不満愚痴文句ばかりを言っているとしたら、

それは天に唾を吐いていることに

なりゃしないだろうか、と思うわけです。

 

 

みなさんは、

生かされている感ってありますか?

どなたのおかげで

生きていられていますでしょうか?

 

 

私たちは、ハッキリ言えば、

生きているだけで誰かに迷惑をかけて

生きている生き物です。

(逆に言えば、生きているだけで

存在しているだけで、価値がありますけどね)

 

 

動植物を頂いて、

自分の命を生き永らえさせていますし、

医療を受けられるのも、そうした

生き物たちの犠牲の上にあります。

 

 

それゆえにも、やっぱり人間は

他者から生かされている、

と言えるわけです。

 

 

不平不満を言ってはいけない、

ということでもなければ、

愚痴を吐き出してはいけない、

という意味でもないのですが、

(私はその辺はため込みません)

しかし、いつもいつも本当にそこばかりに

フォーカスした生き方をするなら

どうなると思いますか?

 

 

一生、その不平不満のループから

抜けられなくなるのです。

 

 

誰かにどの毒を吐き出したあとは、

解毒してもらったわけですから、

あとは吐き出させてもらったことに感謝し、

そして、別のところを見て生活したほうが

その苦しさからは早く抜け出すことができます。

 

 

運気も金運も、まず最初のコツは、

言葉にありますから。

 

 

心がこもらなければ、いい言葉を言っても

意味がない、と言われても言われてますが、

それは違います。

 

 

心がこもれば、

さらなる最強の言葉になりますが、

言葉そのものにも、波動があります

その波動を常に唇から出していれば、

その言葉に心も感情も思考も身体も

共鳴するようになります。

 

 

悪い言葉も同じです。

常に常に、吐き出していると、

心も体も、いつしかそれに共鳴します。

そして、そういう行動になり、そういうものを

引き寄せるようになります。

 

 

だから言葉は、慎重に出さないと怖いのです。

言った言葉が真実になったケース、

これまでたくさん経験してきましたし、

たくさん見てきました。

 

 

本当に怖いのは、

悪いことを放った場合、

自分の身にそれを受けているケース。

 

 

不平不満を時に吐き出す程度にとどまらず、

常に思考そのものまでも、不平不満愚痴で

作られていますと、言葉も行動も、

同じになるので気をつけないとですね。

 

 

ではまた明日。