最近、やたら我欲、儲け心がない人たちと

ビジネスを一緒にさせてもらっています。

なんかみんな似ているんですわ。

そんなに利益を度外視していいのかな、

とちょっと心配になるくらい。

 

 

しかし、彼女たちは潤っています。

心も文字通り、経済的にもです。

 

 

物販に携わるようになってわかったことは、

物販って利益が少ないんだな、ってこと。

ま、当たり前のことですが。

でも、こんなに少ないのか!と

実は驚いたくらい。

 

 

今まで私はコーチングセッションや

コンテンツビジネスをしていたので、

経費というのがほとんどかからないので、

たとえば、1000万円の売上を上げたら、

ほぼほぼそれが利益になります。

 

 

しかし、物販は本当に利益が少ない。

この度、温布プロジェクトで

一番利益が取れるようにしたのは、

代理店を引き受けてくださる方々へです。

 

 

代理店が50%の利益をとっていただき、

私どもフリースタイルの利益は、

17%ほどに設定しました。

なぜでしょうか?

 

 

温布は関わる人々が豊かになるシステムだからです。

弊社だけが儲かるシステムづくりには、

あまり興味がなかったからです。

 

 

使う人が温かくなって、

心地よくなって欲しい。

販売する代理店さんが豊かになればいい、

そして代理店さんの下にいる

販売店さんもまた、豊かになって欲しい、

というシステムなのです。

 

 

もちろん会社経営をしていたら、

会社を存続させるためには、

売上を上げなければなりません。

いや、上げ続けなければなりません。

 

 

しかし、我欲でそのシステムを作ると、

続かないのです。

お金は一方通行でもないし、

そこでの行き来だけでもないからです。

 

 

廻さないと、廻らないのです。

 

 

今日の記事は、起業している人や

経営者だけの話ではありません。

金銭的に豊かになりたい人への

基本的な記事なのです。

 

 

欲望を持ってはいいけど、

我欲を持っていると、

豊かになれないよ、

という話し。

 

 

ま、私なんて欲だらけで、

基本、まずは自分が心地よくなることが

最優先ですけどね。

それがあってからの、他人。

 

 

さて、我欲とは何でしょうか?

 

 

自分1人だけ利益を得よう、

自分だけ豊かになろう、

自分だけ満足を得よう、

というもの。

 

 

それは、自分にお金が入るシステムだけを

考えるでしょうから、お金が一方通行。

お金は行ったり来たりだけ。

それは波及効果が少ない。

 

 

しかし、周りの人も豊かになって欲しい、

ということを考えて、それに準じた

行動をしていますと、周りがあなたに

感謝をするようになります。

 

 

その感謝のエネルギーは、

あなたにまた戻ってきます。

それがお金だったり、心の豊かさだったり、

そして、徳を積んだ結果としての

何らかの益が戻ってくることです。

 

 

ですから、自分が幸せじゃないと

他の人を幸せにできない、というのは

基本ではありますから、まずは、

今の自分の幸せに気付くこと、

そうなった時に、周りの人々にも

もっともっと幸せになって欲しいな、

と思い、それを行動に現します。

 

 

そうするとあなたの周りにいる人々は

あなたによって幸せを感じるようになり、

そのサイクルに入ります。

 

 

ですから関わる人々が幸せになるのです。

そして、それに関わりたくない人は、

いなくなるのです。

 

 

そこで別れが来たり、離婚があったり、

我欲で生きる者と、そうじゃない者は

人生を共にすることはないのです。

夫婦であっても、友人関係であってもです。

 

 

ということで、今、自らの幸せを

感じている人は、さらにあなたに関わる人が

幸せになるために、何ができそうですか?

 

 

もしかしたら、その人の前で

ただ笑うことかもしれませんし、

ありがとう、ということかもしれません。

 

 

ご主人が帰ってきて、心地よく過ごせるよう、

部屋を整えておくことかもしれませんし、

子どもの話を聞くことかもしれません。

 

 

これらが心からできるのは、

自らが幸せであり、

感謝の気持ちがあるからです。

 

 

我欲は結局、自分が幸せではないから、

自分だけを幸せにしようとする欲なのです。

 

 

幸せも豊かさも与えることが基本。

しかし、間違いがないようにしたいのは、

もちろん、基本自分が楽しいと

周りも楽しくなる、ということ。

自分が幸せだとそれが伝染して

相手も幸せになる、ということ。

 

 

ではまた明日。