確か、今から10年ほど前に、

流産したんだったなー、と今日ふと思い出す。

もし、生まれていたら、小学3年生。

 

 

 

私の場合、子供が欲しいって思ったのは、

結構遅くて37、8歳の頃。

最初の結婚の時は、

全く子供は欲しいとは思わなかった。

女性の本能が欠けていたのかな?笑

 

 

 

しかし、年齢が迫ってくると、

欲しいとか欲しくないとかの話ではなくて、

リミットが迫ってる・・・さあどおする?

という状態。結婚したら子供を持つ、

という固定観念があったのかも。

 

 

 

しかし、元来子供が大好きなので、

欲しいような気もする・・・

しかし、その年にもなると、

なかなかできにくいわけです。

 

 

 

しかも、若いころの不摂生がたたって、

30歳の頃には、婦人科系の病気にもなるしで、

自己流で数回チャレンジしたくらいでは

簡単にはできないお年頃。

 

 

 

で、病院に行ってタイミング法と漢方の体質改善で

やってみたら3ヶ月くらいで授かる。

でも残念ながら流産した。

 

 

 

それはそれですごく悲しくて、

ドーン!と落ち込んで、

ほんの数週間だけど、母親気分を味わって、

子供との対話もしてたりしたもんだから、

結構悲しくもあった。

 

 

 

身近な人の心無い言葉と、

周りからの言葉にも敏感にもなっていて、

今思えば、そんなにひどいことを

言っているわけじゃないのに、

悲劇のヒロインとはこういうことなんだな、

とも理解もできた。

 

 

 

さて、そのあとどうしようか?

また妊活するか?

最初の内なるところから出た声は、

「うわー、めんどくせー」である。

今思えば、そのあと、妊活しない理由を

無意識に考えてしまう自分がいた。

 

 

 

で、こんな風に思った。

こんなにダラダラと寝たい時に寝て、

起きて仕事をしたい時に仕事している自分が、

子供会やらPTAやらママ友とか、

そういうコミュニティに行けるのか?!とか

考えた時に、子供が欲しいという感情は一気に萎えた。

究極の利己的さである。

 

 

 

母親というのは、子育てで成長するものであるし、

女性としての喜びと成長の大部分は

子供を持つことだと思っていたけど、

どうしてもその責任を担う決断ができなかった、

ということもある。できたらできたで、

そういうことは何ともなるって今ならわかるけど、

まだ未熟な自分はそうは思えなかったんだわね。

 

 

 

ま、できにくい年頃に突入もしていたし、

また今から排卵誘発やってタイミング法を狙って

あの苦い漢方を飲んで・・・とか思うと、

心の声は、もうやりたくない・・・であった。

 

 

 

で、年齢からくる出産のリスクもあったで、

妊活をやらない、という決断をした。

結局妊活した期間はトータルで6ヶ月くらいだったかな。

妊娠前に3ヶ月、流産後に3ヶ月。

いや、もうちょっと長かったかも。

 

 

 

しかし、どこかで小さな小さな

迷いがあったのも嘘ではない。

それから2、3年間は

「本当に本当にいいのか自分?」と何度も自問した。

最後の決断の時がどんどん迫るわけです。

 

 

 

しかし、うる覚えではあるんだけど、

確か、42歳の時に「子供のいない人生」を、

仕事に生きることを選んだのです。

この頃、今の会社が少しずつ波に乗り始め

法人化して、仕事をバリバリの時期。

 

 

 

子供を持たない、という決定に関しては、

やっぱり賛否両論あるんだけど、

それでも、自分はそれでいいと納得してた。

 

 

 

あるあちらの世界とコンタクトを取れる人から

(どちらの世界?笑)

「ワタナベさんの今生は、

子育てからは免除されています。

もちろんあなたが望めばできますが、

しかし、子育てはミッションではないのです」

 

 

 

・・・なーんて、言われたら、

膝をポンとうち、「あ、そうですか。

じゃあ、そういうことにしましょうか!」

なんて単純に捉えたりもしたけど、

結局本当のところそうだとも思うような気もする。

 

 

 

しかし、別のあちらの世界と

コンタクトを取れる人からは

(だからどちらだよ?笑)

「ワタナベさんは、子供を持った方がいいです。

その方が、ビジネスは加速していきます。

子供を持った母親としてのミッションをこなしながら、

世の中の女性たちに生き方を発信するのです」と。

 

 

 

こうなると、やっぱり自分の決定でしかなくて、

(当たり前だけど)選択しなければならない。

しかし、私は選択することを放棄した。

「つまり天に任せる」という方法をとった。

 

 

 

どっちでもいいや~

・・・である。

その結果が今。

 

 

 

それで私には子供がいません。

天に任せ、妊娠に関しては、

自然に任せ、その結果は

授からなかったのです。

 

 

 

私の思うところは、

妊娠は、できやすい体とか、

欲しいとか欲しくないとかじゃなくて、

こればっかりは、やっぱりご縁なのかな、と。

 

 

 

欲しくて欲しくていろいろとやっているのに

できない人もいれば、欲しくなくて、

しっかりきっちり避妊しているのに

できる人もいるわけです。

 

 

 

だから、天に任せる。

天は私に悪いようにはしない。

 

 

 

で、私の場合、任せた結果がこれだし、

あの時、最後のチャンスの時に妊活しなくて、

後悔していないか?と言ったら、

全く後悔していなくて、それほど私は

天を信頼しているのです。

 

 

 

後悔は、後悔しない、

と決めたら

後悔しないので。

 

 

 

山口智子さんの「産まない人生」宣言について、

ある人はこんなコメントをしていた。

「ただ産めない事を強がっているようにしか思えない」

 

 

 

人の決定に対しては、

いろんな風に見られるものでして、

私のこの記事に対しても、

いろいろと思うところがある人もいることでしょう。

 

 

 

しかし、昨日の記事にも関係しますが、

外野の声は気にしないことです。

どちらにしろ、自分の決定は自分の決定。

そして、その決定に責任を持つのは自分。

 

 

 

子供がいてもいなくても

幸せになれます。

結婚しててもしなくても

幸せになれます。

 

 

 

欲しいものが手に入らない、

ということは不幸の理由ではないのです。

なぜなら、幸せ感というのは、

ただの、脳内物質の仕業だから。

 

 

 

でも、私は、子供を見ると、

メロメロメロ・・・になります。

 

 

 

赤ちゃんを見ると、純粋になれます。

幼児を見ると、観念が外れて柔軟な思考になれます。

小学生を見ると、パワーがもらえます。

 

 

 

ですから、子供っていいよね。

そして、子育てしているお母さんたちを

心から尊敬しています。

 

 

 

尊敬って、たいていの場合、

自分ができていないことや、

できないことを、こなしている人を見ると

湧く感情であるということ。

 

 

 

子育てしている人も、

子供を持たない選択をしている人も、

そして、子供を持てなかったとしても、

ご主人と仲睦まじく生活されている方も、

誰かにとっては、尊敬されている立場なんだと思います。

 

 

 

もし、不妊治療をして、

生理のたびに涙を流している人がいるなら、

私からも授かるように天に祈っておきます。

あとご主人様とご自身のご先祖様に、

タッグを組んでもらえるように

お願いしてくださいね。

 

 

 

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