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誰のために生きていますか?
誰のための人生ですか?
以前、TwitterとFacebookに投稿した言葉、
反響がありました。
世のため、人のため、あなたのため、
とか言う人ほど、自分のことしか考えていない
本当にそうなら黙ってもう
他人様ために行動してるから
どういう意味かを今日は記事にしていきますね。
人のために生きることが我が喜びの場合、
やはりそれは、自分のために生きていることになります。
他人のために生きない、とは、我が身を振り返らず、
疲弊しながら他人様のためにばかり労して
苦しさを感じる場合は、それをやめたほうがいい、
ということであって、しかしながら、もし、
他人様のために
何かをしたことで生きる喜び、
充実感・満足感があるなら、
それは本当に大切なこと。
他人様のために何かをやった時、
やり遂げた時には、
「あなたのためにやった」
とは言わないこと。
言われた方は、重いから。
「私がやりたいからやった」
「私の喜びのためにやった」むしろ
「させてもらってありがとう」と
言えるくらいであったほうがいい。
誰かのために生きてこそ、
人生には価値がある
Life isn’t worth living,
unless it is lived for someone else.
~アインシュタイン~
このアインシュタインの言っていることの意味は、
結局、人間の幸せは、他人の喜ぶ顔をみることができた時に
それを感じることができるようにできている。ということ。
例えば、愛する我が子の笑顔のために、
自分のことは二の次で、身を粉にして働くことができる
シングルマザーだっていることでしょう。
愛する夫が働きやすいように、
家のことを整えて、時に辛いことがあったとしても、
夫が帰ってきたら、いたわり、ねぎらい、
そして、自らの身なりも夫のために美しく
装うこともあるでしょう。
それにより、相手の笑顔が見れた時、
相手のためにやっていたことさえ、
自分の喜びになり、結局それらは
自分のためになっている。
行動の動機が誰のためであろうと、
双方の笑顔につながったらそれは最高の幸せ。
以前も書きましたが、「ヘルパーズ・ハイ」について。
他の人の幸せを祈るとなぜ自分が幸せになるのか?
そして、脳には利他的な部位があり、自分がしたことで
他の人が喜ぶと、それが大きな行動力につながる、
ということ。だから人の笑顔のために動いたとしても
やっぱり自分のためになっている。
そう。自分の幸せのためにする、相手のためにする、
どちらであっても、自分がしたい、と思ったら、
それは自分のためになっている。
例えば私の場合も、自分のために楽しく生きていて、
それを表現しているだけで、励まされる人がいて、
かつお金までもらって商品買っていただき、
感謝までされる・・・
ただただ、自分のためにやっているのに・・・
そういう図式です。
ただ、自分のためだけにわがままに利己的に生きるのと、
自分のための人生を歩むのとでは天と地ほどの差があります。
その差が、今失われているのが懸念されるところですが、
それもまた私が心配したところでどうになるわけでもなく、
ただただこれからも自分ための人生を大暴れしていくよー。
出張から帰ってきてから、疲れがどっと出て、
なんか動けず、ダラダラするつもりがなかったのに、
午前中ダラダラになってしまい、午後から、
「ダラダラする!」に切り替えたら、
気持ちよくのんびり過ごせました。
のんびり過ごすのに、曇りの日、というのは
なかなかいいものですね。ということで、また明日。