私たちは人間は、

自然と共に生き、

自然と共に成長し、

変化する宇宙の中にいて変化していくもの。






「これは何を教えてくれるのだろうか?」

と自らに問う時に、誰も教えてくれなかった

自分だけのすごい教えを拾っていくことになる。

自然は偉大な教師のよう。





気持ち悪く見える芋虫が、

優雅に舞う蝶々になることは

何を教えてくれるだろう?

その天と地ほどにも違う変化は、

自らに何を教えてくれる?





憂鬱な梅雨の季節、

その梅雨の果たす役目は

私たちに何を教えてくれる?





農家の人が種をまき、

苗を大切に育てて大事に成長させ、

温かい温室から、急激に寒さの泥の中に植えられて、

そのあと、夏のジリジリと照り渡る太陽にさらされながらも、

大空と太陽に向かってまっすぐ伸びる稲。





暑さを耐え忍び、実を付け、

今度はまた地面を見つめる稲たち。

やっと成長したと思えば、刈り取られ

そして、土は堅くなる前にまた耕される。

次の世代のために・・・





もし、稲を自分に、大地や自然を

自らの環境に当てはめるとしたら、

何を学べるか?

何を拾えるか?

何を適用していくか?





自然は、変化していき、

私たち人間は、変化の中で生きて行く。

時に人は、その変化を恐れ、抵抗し、

そのままでいいと立ち止まろうとする。





もし、そこに生きづらさや苦しさが伴っていたら、

それはその生き方は違うよ、

と教えてくれていることなのかもしれない。

もっと自由に伸び伸びとしていい、という。





しかし、それでいて、

試練も苦しみも生きている証として、

自然の流れにゆだねた時に、

またその試練は貴重な学びに変わる。





自然に逆い、もがき、抵抗し、執着し、

ジタバタしていることこそが、

ずっとその場所に居続ける事になり

その苦しみからは解放されない。





人は、変化する生き物だから、

変化しないことは自然ではなく

「不自然」なのだから息苦しい。





と、今日はつらつらと思い綴っているうちに、

何だか土に帰りたい気持ちになる。

土って・・・笑





できれば、セドナにある赤い土に・・・

人の成分は土であり、宇宙であり、分解に分解を重ねると、

そこら辺にある、石ころや塵となんら変わらないし。





私たち人間はただの素粒子。

宇宙レベルで見たときに、

それには上も下もなく、

どっちが優れていると言うこともなく、

どっちが劣っていると言うこともなく、

ただの粒子。





そう考えると、誰も何者でもなく、

勝者も敗者もなく、

ただ役割を演じているだけだな~、

と思えてきた今日この頃。





本当は、もっともっと楽に生きられるんだよ、

ということを伝えたいのかもしれません。

辛かったあの日の私のような人々に・・・