どんなに雨や雪や嵐でも

飛行機に乗って

地上10000メートルの位置になれば

晴れているんだよね

そう・・・どんなに嵐であっても




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人生においての雨や嵐や暴風雨、

「もうこんな人生いやだ!」とか、

「苦しい」とか「つらい」いう現実は

自らの、視点の低さからくるもの。





低いが悪いのではなくてね。

地上という低いところで私たちは生きているわけですから、

当然のように、そうした感情を味わいます。

そのために生まれてきているので。





もちろん、つらいですし、悲しいですし、

しんどいです。人並みに私もそれを味わいます。

しかし、そこに居続けるのは長くはないのです。

長く居続けると、辛さが何十倍にもなることがわかったから。

経験上、早く抜け出したいのです。





その人生の中の悪天候は、低いところで起きてます。

どういうことかと言いますと・・・





地上1万メートルも上がれば、絶対に晴れているのです。

その1万メートル上に上って、事態を見てみることが、

俯瞰(ふかん)であり、客観性であり、

他者目線であり、神様の視点にちょっぴり近づけます。





しかしながら、実は多くの人は、

視点が高い位置から見たいとは思っていないのです。

だから、ずっと雨風暴風雨を体験したがってる。

それらの雨や風、嵐をずっと他人のせいにしていたいから。





すべての事象は他人の責任にしているとは、

それはまるで、道で石ころにつまづいて、

膝小僧擦りむいて泣きながら

「誰がこんなところに石を置いたのー!」

と立ち上がりもせずに、子供のように足をジタバタさせて

そこで文句を言う人のよう。はたから見たら、

おかしいのですが、本人は真面目にやっているのです。





人生でも同じで、苦しいことや辛いことを

誰かのせいにしていると、道で転んで起きない人と

同じわけでして、さっさと立ち上がっって

前を向いて歩いたほうがいいわけです。





私も昔は視点の低さからくる辛いこと、

たくさんありましたが、大概飽きました。

飽きるくらい経験していると、

もう、上に登りたがる。





中には、登るヒントをたくさん集めはしますが、

やっぱりそこを経験したいのでしょうね。

頑なに言い訳をして、その状況から抜け出ない。





もちろん、それもまたいいと思います。経験だから。

しかし、その問題をクリアしないことには、

また同じ問題、同じ事象が、何度も起きる。

はたまた次回の人生(来世)も同じ課題を与えられる。





だから、辛い時こそ、

地上1万メートルまで上がってみて、

物事の全体像を見てみる。

問題という枠から飛び出して、

次の質問をしてみるのです。





そのことは自分の人生で

どんな意味があるのだろう?






このことから学べる点があるとしたら

それは何だろう?







そこから抜け出すために

必要なことがあるとしたら何だろう?







質問は、答えを探し、いずれ見つかります。

地上1万メートルの雲の上は気持ちもいいし、

晴れてて爽やかだし、そして見晴らしがいいところから

自分の人生をどう見るかで、これから向かう

未来も全く変わってくることでしょう。





晴れが気持ちいいのは、

雨のジトジトを経験しているから。

雨が心地よく感じるのは、晴れの日には得られない、

雨の音の癒しや、まったりを感じられるから。

どれも必要な経験ですね。