今日の記事は美意識について・・・
随分前の話ですが、私のあるお友達、30過ぎの独身のYちゃん。
バイト先のオバサンに「ハリーポッターみたいだね」って言われたそうです。
ま、たぶんオバチャンいわく、褒め言葉だったんだと思いますがね。
30過ぎてハリーポッター言われてていいのか?って、本気で悩んだ様子。
私もまた「ハリーポッターじゃ喜んでいいのかどうかわかんないよねー。
キティちゃんに似ているね。って言われたくらい微妙だよね」って言ったら、
そこで彼女「やっぱり??」と自分を見直す機会を得たようです。
実は、彼女、かわいいんですよね。
もっと手をかければ。目はクリクリ。
鼻も高くて、ホント、ハリーみたい。
それに眼鏡をかけているから、まるでハリー。
以前はコンタクト使用だったそうですが、
「眼鏡の楽ちんさ」・・・の方向にいってしまったとのこと。
久しぶりに私に会うときも、ノーメイク&眼鏡に・・・
前はもっともっと可愛かったのに・・・
ネイルもしっかりしていたし、
アクセサリーも必ずしてる子だったのです。
人間、楽に向かうと、転げ落ちるように、
手をかけない方向に行ってしまいがちです。
それと同時に、体のラインも楽な方向に行ってしまいます。
しかし、こう思うのです。
”美しさ”って、
窮屈なこともある・・・と。
私の愛車のFDも、運転は相当楽しいのですが、窮屈なくらい狭い。
運転しづらい、爆音、シフトも入りにくい、荷物があまりつめない。
車の機能としては、かなりのじゃじゃ馬状態。
しかしボディは・・・美しい流線美、
黒光りした海苔巻きタイヤに、ピカピカのホイール。
いかついフェンダーに、小股が切れ上がったかのようなリアウィング・・・
我が愛車に褒め言葉しか出てこない。窮屈なのに・・・
そして、同じく美しいフォルムのハイヒール。
歩きづらい、時に痛い・・・窮屈以外の何物でもない。
それでも、履いてしまうのです。
美しいから・・・
また、ボディラインがとてもよく見えるワンピース。
脱着が、これまたなかなかやりづらい・・・
一人で脱げそうもない時もある。
しかし、着用した時には、それだけで美意識があがり、
お腹をへこませて、背筋をピーン!と伸ばしたくなる。
ま、こういうことですよ。
美しさ、かっこよさは、
窮屈が伴うこともある・・・
ということ。もちろん、すべてがそうではありませんが、
ビジュアル重視するか?それとも楽チンさを重視するか?
楽ちんさはとても心地よいものです。
しかし、それと同じくらい、いやそれ以上に、
窮屈でも美しく見えるものに関しては、
もっともっと心地よさを感じるのです。
美意識をずっと持ち続ける、ということは、
面倒さが伴なったり、窮屈さが伴なったりして、
実用的ではないこともあるかもしれませんが、
その窮屈さを超えた先にある、美しさを重要視しているなら、
それらを得たときに、楽ちんであることよりもずっとずっと
心地よさを感じることでしょう。
忙しさにかまけて、「楽チンが一番!」
なんて言っちゃったりする方向に行くのはとても怖いです。
特に40歳以降は・・・坂を転がり落ちていくかのごとく、
どこまでも~、どこまでも~、楽なボディラインになっていくでしょう。
そう。40代の楽チンさは、恐ろしいです。
もちろん、手入れをしないゆるゆるは、
生活全体は楽チンなのですが、体型や服装、そして、髪型、メイク・・・
そんなところを楽チンにしてしまうと、
奈落の底に転げ落ちてしまう可能性もあるのです。
美意識は、常に向上させようと意識していないと、
あっという間に楽チンな方向にいってしまいます。
いつもいつも、日常生活すべてにおいて、
ゆるゆるのチュニック、
ゴム入りのパンツor伸びるレギンス、
ブカブカの上下のトレーナー、
歩きやすさ抜群のスニーカーばかり・・・
それは危険なのです。
逆に、ラインがでるスキニーデニム。
ウエストラインが出るワンピース。
脚のラインが見えるスカートやパンツ、
形の素敵なハイヒール。
ゆるめることも時に必要ですが、
時々身体全体と気持ちを緊張させて、
そして、誰かにこれが見られている、ということを
意識しつつ、生活していきたいものです。
最近、私は緊張しています。一人で歩くときも。
昨日は東京駅で、人と別れてからすぐにFBの投稿を見ましたら、
「今東京駅で薫さんを見ましたー」のメッセージが入っていました。
また、先日は大阪難波の吉本の前で歩いていた時に、
これまたFBだったかな?「薫さん見ましたー」のメッセージが・・・
テキトーなダルい顔して、また背中丸めて歩かないよう、
気を付けたいと思います。緊張感と意識で背筋が伸びそうです。
では、明日の訪問もお待ちしております。
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