ひとりごとシリーズ(いつのまにシリーズ化? 笑)・・・

2年半前に、ある編集者さんのご紹介で、高円寺にある元警察官だったお方で、

顔相の先生がいて、「取材したことがあり、すごい人だったよ~」

と聞いてつなげていただき、視てもらったことがありました。

その時のノートが出てきて、まるで今の私にメッセージか?と

思うようなことばかり書かれていました。





その時は、理解できなかった、というよりも、

自分のコンフォートゾーン(変わりたくないいつもの位置ね)外の

ことばかり言われたので、どこかで恐れがあったのだと思います。





ノートの中で心に響いたことがいくつかあり、

当ブログをお読みの皆さまにも必要なことのような気がしたので、

シェアしますね。スピリチュアルを信じていない方にも

彼の言葉にはメッセージ性があると思います。





最近、当ブログの中でも似たようなことを何度か書いています。

ネイティブインディアンの言葉、





私の前を歩くな 私が従うとは限らない

私の後を歩くな 私が導くとは限らない

私と共に歩け 私たちはひとつなのだから 


(ソーク族の格言)






・・・とかね。あとは吉田松陰さんの言葉、

みだりに人の師となるべからず

みだりに人を師とするべからず







それと今思い出したけど、フレデリック・パールズの

ゲシュタルト療法9原則の中の7原則目もそう。

「権威者を作るな」ということ。

これも絶対的な師を作るな、という意味でして、

誰かのことを盲信してしまう、そんな存在を作らない、というものです。





そして、最近気の合うコーチと話した内容も、

クライアントを心から信じ「指導しない」ということでした。





そして、顔相の先生とのリーディングでは

そのノートに、私へのメッセージとしてこう書いてありました。





誰かのために生きることは

関わる人の生命力が細くなる


(by 顔相のセンセのお言葉)






先生はその後、「あなたは誰かのために生きなくていい。

好きなことを好きなようにして楽しめばいいだけ」


と説明くださいました。自分的に要約すれば、

「大暴れの人生ってことね?(・∀・)笑」と理解いたしました。






わかりますでしょうか?

常々私もブログでお伝えしている通り、

誰かに影響を与えたいとか、救いたいとか、

みんなのために私、頑張ります!とは思わない、ということ。

師にもなりたくないし、指導者にもなりたくないし、

何かの組織を作って、お山の大将みたいにもなりたくない。





そのゲシュタルト療法のフレデリック・パールズの言葉は

皆さんにお伝えしたいドンピシャな言葉なので引用してお伝えしますね。






【ゲシュタルトの祈り】

私は私のために生きる

あなたはあなたのために生きる




私は何もあなたの期待に応えるために

この世に生きているわけじゃない

そして、あなたも私の期待に応えるために

この世にいるわけじゃない




私は私、あなたはあなた



でも、偶然が私たちを出会わせるなら

それは素敵なことだ

たとえ出会えなくても、

それもまた同じように素晴らしいことだ






誰かのために生きる、というのは

自己犠牲的でなんと美しい響きがあるのでしょう。

しかし、誰かのために生きなくても、その誰かさんは

あなたの力なしでも、ものすごいパワーを秘めているのです

あなたがその人に影響を与えて何とかしてあげようとすると

その人のパワーは奪われていくのです





本当はただただ信じているだけでいいのに・・・・





それが顔相の先生がくださったメッセージ。

「誰かのために生きるとは、

関わる人の生命力が細くなる」

ということなのです。





リーダー的立場の方々はそれを理解していないと、

強いメッセージと誰かを助けてやりたい、と思った途端、

助けが必要な人々が現象化され、さらに言えば、

依存者をどんどん増やしていくことになるのです。





ということで、今日のメッセージから何か拾える点があれば

お持ち帰りくださいませ。誰の人生でもなく自分の人生。

どう歩んだらいいかを知っているのは自分なのです。





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