【来週の東京セミナーご出席の皆様へ】
6/1より建物名が変わって、総評会館から
「連合会館」に変更になっているようです。
お間違えの無いようにお願いいたします。



こんにちは。ワタナベ薫です。

最近、ジムでお気に入りなのが、エアロビとピラティスです。

で、ピラティスに関しては、朝晩ほんの数分ではありますが、

家でもやっています。体の硬い私には、とてもいいコアを鍛える運動です。



ピラティスの先生がよく遣う言葉で好きなのがあります。

ピラティススタンスという形を体で作るとき、先生は、

「背骨は動くものです。なので、イメージの中で骨が

一個一個動くような感覚で形を作ってください。」と言った後に、

「丁寧に、一個一個・・・いっこいっこ・・・いっこいっこ・・・」



この「いっこいっこ・・・」という言葉が大好きになりました。

大量にやらなければならないことが目の前にやまずみになったときに、

「いっこいっこ・・・」というと、すっごく軽い気持ちになります。



「いっこいっこ・・・いっこいっこ・・・」

と最近口癖になっていて、丁寧な生活ができています。

散らかってしまった部屋を片付けるときも、これを言葉に出すとやりやすいです。

「いっこいっこ・・・いっこいっこ・・・」皆さんも言ってみてん(^∀^)



前置きはさておき、今日は真面目な話を。

長いよ~、熱いよ~、いや、暑苦しいよ~(・∀・)

人生100%自己責任について、私が読者の皆様に伝えたいこと。

これは、当ブログ「美人になる方法」の大前提、そして、

私が提供する「マスターマインドコーチング」の大前提でもありますので、

長い読者様も、最近の読者様も、さらには私のクライアント様にも

しっかりお読みいただけるとうれしいです。



先日、「わがままのススメ」について書きました。

自分らしく、自分のしたいことをして生きると、もしかしたら、

周りからはわがままととられたり、もしかしたら、今までの

友人が離れていったり・・・があるかもしれません。



その記事のコメントに、「わがままに生きようとおもってそうしたら、

他の人が傷ついた」・・・みたいなことが書かれていました。



私は、コーチングを仕事としていますが、コーチングの倫理は

主体的に生きて、周りに振り回されず、自分の人生を自分の責任で歩むこと

私は、他人目線を気にしないでのびのびと生きて欲しいと、心から願っております。



自責と他責という言葉があります。

自責は、自分責任、他責は、他人の責任にする。

今の得ているもの、今の環境、今の自分・・・その他もろもろは

誰の責任の結果でしょうか?それは、コーチング的に言えば、自分の責任です。

そして、私は、「自分のための人生」という本を読んでから、

自分の人生は100%自己責任であるということを、これを信じて生きています。



なので、もし、私が自分らしくわがままに生きたときに、

その私の生き方を見て、誰かが傷ついたり、苦しい思いをしたり

したとしても、その責任は私にはありません



もし、私がその人をいぢめてやろう、とか悪い動機があったなら、

別ですが、私が私らしくのびのび生きるときに、それを見て

傷つく人がいたら、それはその人の責任。

その人の感情の責任は私にはありません。



ブログで、何度もお伝えしている通り、感情は自分で選ぶもの

誰か「イライラさせられた」のではなくて、自分でイライラの感情を

チョイスしたのです。あなたがすることでその人が傷つくのは、

その人自身の問題。



私の人生は私中心でなければならないのです。いい意味でのジコチュー。

今、好きでやっていることも、人のために何かを提供して

人に喜んでもらおうとしても、それは、自己の満足ゆえのこと。

こういう時に使う言葉とはちょっと違うかもしれませんが、

私がやりたいと思うことすべては、他の人のためではありません。



自己満足、ある意味エゴなのです。

過去にこんなことを書いたことがありました。

「”ブログはなんのためにやっているのですか?”

との質問を受けたら、ホント答えに迷うのですが、

世の中の女性たちが、私の情報で少しでも楽に生きて欲しい・・・

そしてみんなが価値ある存在で、美しくて、光そのものであることを、

私が発信する情報から知ってほしい・・・



・・・なんて思っていません。



ブログは、書きたいから書いているだけ。この情報でみんなが楽になったら、

それはおまけの喜びですが、それが主体ではありません。

だいたいにして、私ごときの人間がそんな大それたことできるとも思っていないし、

私の人生のミッションは、自分がやりたいことをやって、数多くを経験すること、

ただそれだけです。それで皆様が影響を受けて楽になったり輝いたりしたら、

それは私にとっては副産物でしかありません」(私の人生を変えたブログ)



いい意味でのエゴね。

自分のしたいことを思いっきりやっていて、

結果として人が喜んでいるだけのこと。



$美人になる方法



私は、どこかのコミュニティーに属していませんし今後も、属しません。

そして、私は今後も、自分のコミュニティーを作ることはありません。

ま、ブログやフェイスブック事態はある意味コミュニティーなのかもですが、

ここで一番伝えたいことは、自分の人生は自分でデザインする!

・・・ですので、皆とつるんで一緒にやろうねー、みたいなことはないです。

(あ、でも仲間って素敵ですけどね^^)



ブログでもセミナーでも、私の目指しているところは昔から変わりません。

個々の人々がみな、自分で自分を導けるようになり、自分のしたいことを

自己責任で主体性を持って行うようになること。



私が提供している情報と言うのは、その人々がそういう風に

歩めるお手伝いやちょっとしたヒント、そしてその能力を

人びとから引き出すだけ。



ユダヤ人の精神科医フレデリック・パールズ(フリッツ・パールともいう)が

ゲシュタルト療法を盛り込んだ詩がまさに、私の言いたいことなのですが、

それは・・・



「私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。

私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。

そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。」




そして、もう一つ。彼のゲシュタルト療法の9原則の中の7番目に

このような言葉があります。



”権威者をつくるな”



・・・というもの。どういうことかと言いますと、

簡単に言うと、自分の上に「師」を作るな、というもの。

ま、メンターとかがいたほうがやりやすいかもなのですが、

メンターも言葉を変えれば、ロールモデルのような存在

そういう意味での「師」はありですが、あれこれ指示するような

「師」はいらないということです。



私自身、メンターコーチとして、コーチたちのコーチングをしてはいるのですが、

しかし、私が彼らに何かいちいちアドバイスすることはありません。

すべての答えはしっかりみなさん持っていらっしゃるので。

(聞かれたら私の主観を伝えることはありますが)



いちいちあなたの問題に、こーしたほうがよい、

こーすべきである、このほうがうまくいく・・・などのように、

答えを与えるメンターであれば、私はいらんな、そういうメンターは。



人生、自分で決定しなきゃですから。



組織(コミュニティー)には、必ず、上に立つものが表れます。

(会社組織の場合はしょうがないですが・・・)

そして、それらを師と仰ぎ、その上の人が持つ価値観が優先され始めます。

マザーテレサが組織を作ることを嫌った理由がよくわかります。



実を言うと、私も以前ある組織の中にいた人間ですから、

その中にいますと、自分がありたい姿、というのが壊されていくの感じました。

例えそれらが「愛」という名のもとに集まった者同士でもです

人が集まると、どこかにエゴが一人歩きして、誰かが苦しむ経験をしました。



「しかし、仲間がいれば、助けあって乗り越えられるのではないですか?」

と言われる方もいらっしゃると思います。その人にはコミュニティーがあると

いいかもしれません。マズローの欲求5段解説の3段階目は親和欲求ですから、

人は、コミュニティーを好むものですもんね。

ただ、私にはいらない、というだけのことです。



当ブログを長く読まれている方や、セミナーに何度も足を運んでくださる

皆様はよくお分かりだと思うのですが、私は迎合したり、

その意見は違うとか、こうあるべき、などの基準は一切ありません。



自分に関してはもちろんありますが、他の人に関しては、

あなたご自身がそれを見つけるべきであり、誰かがあなたの

潜在意識に入り込んで、それを変えるわけにはいかないのです。

すべては、あなたにその力があり、あなたがそれに気づくべきなのです。



・・・と、熱く語ってしまいました・・・

この手の話は長くなるので、この辺でやめておきます。


 
日本人はつるむのが好きなので、この記事は賛否両論あると思いますが、

ただ単に、私の主観なだけですので、柔らかに、軽やかに、しなやかに

スルーしてみてくださいませー。ではでは、また明日の訪問もお待ちしております。




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