松山へいったら訪れたかったところ…。
 
それは、伊予かすり会館!
 
ですが、がーーーーーーん、2019年に閉館されてしまいました。。。
 
伊予かすり会館はなくなってしまいましたが、松山城のロープウエイ乗り場前の「Art Labo KASURI歴史館」で、伊予絣を見ることができます。
 
久留米絣、備後絣、と共に「日本三大絣」といわれた伊予絣。
 
藍染めの木綿絣の産地の多くは、瀬戸内海周辺です。
それは、瀬戸内の気候が木綿栽培に適していたこと、そして藍の産地である阿波の国に近いことが要因だと思われます。
 
伊予絣は、明治中期〜大正期に絣の生産量の半分を占め、1904年(明治37年)には年間200万反以上も生産され、全国でもっとも生産された絣でした。低価格な木綿絣として日本全国に広まりますが、粗悪品も出回ったことで産地ブランドとしての価値は落ちてしまい、洋装化の流れに耐えられず、現在、伊予絣の製造元は伊予かすり会館を運営していた白方興業のみとなってしまいました。
 
Art Labo KASURI歴史館も白方興業さんによる運営で、絣織りの実演をみることができます。
 
かつては日本で一番の生産量であった伊予絣ですが、現在の流通ではみることがありません。
 
呉服屋さんにお聞きしても、伊予絣は今は生産されていない…というお答えがほとんど。
 
ですが、こちらには、ありました!
 
欲しい〜と思ったのは、薔薇文様の絣…。
 
でもここで即決できず@@;
 
手織りゆえ、生地は柔らかく着やすそう。
 
そして絣糸はやはり久留米産とのこと。
 
 
伊予絣は、江戸時代中期に鍵谷カナが考案したといわれています。
諸説ありますが、藁屋根の葺き替えのときに竹に巻いた縄目の跡から、繊維に糸を巻いて防染し絣糸をつくることを思いついたという説が有力。菊屋新助が考案した高機織機で織りあげて、今出絣として売り出したものが伊予絣となりました。
 
鍵谷カナの功績を称えた鍵谷カナ頌功堂
 
伊予地方では、どこの家にも織機があり女性は機織りをして家計を支えたのだそう。
正岡子規の妹の正岡律が機織りをしているところが描かれています。
 
久留米絣は力織機によって量産された低価格帯のものと伝統的工芸品と重要無形文化財の指定条件を満たした高級品の両方をつくることで、工芸織物の産業して成立っていますが、現在の伊予絣の反物の生産は年間50反くらいとのこと。
 
お土産物屋で売られる絣小物として残っているのが現状です。
 
そして、その絣小物の反物も久留米で伊予絣のお土産用として生産されているものがほとんどなのだそう。

 

ですが、伊予絣は伝統的工芸品となっていないゆえにコレといった条件があるわけではない。伊予絣は色も絵柄も多彩で、特徴といわれると、他の産地と特に差異があるわけではないけれど、だからこそ自由とおっしゃっていました。

 

今は日常から着物を楽しみたい人が増えています。

 

木綿絣の需要と魅力が広く伝わることこそが必要かもしれませんね。