まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている。その列島のなかの一つの島が四国であり、四国は、讃岐、阿波、土佐、伊予にわかれている。伊予の首邑は松山。城は、松山城という。城下の人口は士族をふくめて三万。その市街の中央に釜を伏せたような丘があり、丘は赤松でおおわれ、その赤松の樹間がくれに高さ十丈の石垣が天にのび、さらに瀬戸内の天を背景に三層の天守閣がすわっている。古来、この城は四国最大の城とされたが、あたりの風景が優美なために、石垣も櫓も、そのように厳くはみえない。
〜 司馬遼太郎「坂の上の雲」より 〜
壮大な物語の幕開けを予感させたこの冒頭文に登場する城、松山城にやってきました!
現存12天守のひとつであり、江戸時代最後の城郭建築。
松山城は、賤ヶ岳の七本槍で名を成した加藤嘉明が1602年(慶長7年)に築城、後に久松松平氏が治めました。
久松氏は徳川家康の生母の再婚家。
久松家の三兄弟は家康とは異父弟となり、その縁で松平の姓を賜り名乗ることとなります。
うち松平定勝の家系が桑名藩、伊予松山藩となり、隆盛しました。
さて、松山城は山の上にあるので、ロープウェイかリフトで登ることができます。
密を避けるためにリフトを選択。
これが気持ちよかった!
やはり眺望はガラス越しではなく風を感じつつ肉眼でみることをおすすめ。
寒いのは我慢です。
大手門からつづく石垣がとにかく素晴しい…。
戸無門と太鼓櫓
慶長の創建当初から門扉がないので戸無門といわれます。
松山市街がよく見えます!
観覧車がみえますね。あそこが松山市駅上です。(覚えておいてください)
隠門から本丸へと向かいます。
本丸広場です。
ワタクシが地元民だったら、しょっちゅうここへ来てると思う♪
いざ、本天守閣へ
伊予松山藩の歴史を充分に知ることができる展示。撮影もOKでした。
加藤から久松松平へ
そして城の構造も
具足や武具の展示、キャプション共にとても勉強になりました。
帰りもリフトで。
さて、松山城を俯瞰してみたかったら、松山市駅上の観覧車に乗るべし。
文禄慶長の役で朝鮮半島の倭城の防御壁としてつくられた登り石垣の手法がつかわれた石垣がよくみえます。
城郭建築好きには、観覧車から遠目でも見ることをおススメします。
つづきます!