祇園祭(7月13日) 船鉾と岩戸山の挽き初め♪ / 2016年祇園祭 その6 のつづき(^-^)/

きもの文化検定 祇園祭工房見学会 1日目は 祇園祭についてのレクチャー がありました。この工房見学会は第11回きもの文化検定の受験申込者と過去の1級合格者に申込み資格があり、その中で先着順。1級合格者にとっては貴重な合格者特典のひとつです。


講師は、公益財団法人 黒主山保存会副理事長、山鉾保存会評議委員の古川貴士先生です。黒主山だけでなく、函谷鉾の囃子方でもいらっしゃり、レクチャーでもお囃子を一節演奏してくださいました。


○祇園祭の歴史について○

祇園祭は、遥か1100年昔の平安時代、869年(貞観11年)に疫病が流行しそれを鎮めるための御霊会を神泉苑にて行なったことが起源とされています。日本全国の当時の国の数であった66の鉾を立て、祇園神(牛頭天王•素戔嗚尊)を祀り、神輿を送って疫病の平癒、災厄の除去を祈願したことにはじまります。※祇園神については、八坂神社の稚児行列のところで後述します。
970年(天禄元年)の祇園社での御霊会から定例化されます。しかし1467年(応仁元年)の応仁の乱によって祇園祭は33年中止となります。1500年(明応9年)より復興、祭礼は安土桃山時代には盛大に催され「洛中洛外図屏風」「祇園祭礼図絵巻」などに描かれています。鉾が今のような形になり、豪華な飾りをつけるようになったのは、安土桃山時代に南蛮貿易人が渡来し、経済力のある町衆が舶来品のゴブラン織や毛綴織などを競って用いられるようになってから。その後、1943年(昭和18年)太平洋戦争により中止となりますが、1947年(昭和22年)には長刀鉾と月鉾が復興、1952年(昭和27年)には戦前通りに29基の山鉾巡行が行なわれ、今につづきます。

山桙巡行がクローズアップされがちですが、祇園祭の本質は17日の神幸祭と24日の還幸祭であり、山鉾巡行は露払いとして行なわれるもの。神幸祭は八坂神社の本殿に祀られている神霊を3基の神輿に遷して御旅所に迎える神事のことで,17日の山鉾巡行終了後に行われます。八坂神社本殿に稚児が昇殿して神事があり、その後,宮本講社の人々が神宝を預かりって御旅所に向かいます。神輿3基は15日から拝殿に安置され、神輿会のかき手が担ぎ、拝殿回し・さし回しの後に渡御して御旅所に進みます。神職による着輿祭の後、神輿は所定の位置に還ることになります。

しかし、華やかなのは動く美術館と称される山桙巡行です。レクチャーでは、過去の巡行ルートのお話、懸装品についてのお話もありました。


祇園祭の懸装品にキリスト教関連の題材のものが多いことから、キリスト教と祇園祭の関連性が謎として語られていることがあるけれど、それは関連性がなく、舶来品の珍しく美しいものが珍重されたからなのだそう。出自伝来がはっきりしているもののお話も。

黒主山の前掛けは、16世紀の中国綴織「波濤飛龍図」
琉球王国の最後の王であった尚寧王が江戸に向かう途中で出会った袋中上人に御礼として贈ったとされるもので、中国の萬歴帝即位の折の御服であったといわれています。現物は現在京都国立博物館にあり。


○祇園囃子について○

祇園囃子は、太鼓、笛、鉦の三種類の楽器で構成。囃子方は曲目を覚えるために、鉦を十年以上担当し、その後に笛か太鼓を演奏することに。譜面はなく口伝による伝承です。函谷鉾では毎月練習会をしているのとのこと。笛は旋律を奏で、太鼓で音頭統制をし、鉦で音色を響かせます。

鉦は10歳ぐらいから練習をはじめるます。函谷鉾の少年たち。

鉦には縮緬の布と釣りの飾り紐がついていて、この紐の動きが揃っているかどうかの見た目でも上手いかどうかわかるとのこと。なるほど。


祇園囃子は、各鉾、曳山、傘鉾によって特徴があり違うもの。←これに驚いた。各鉾で共通の曲も含めて30〜40曲あり、演奏は、四条通り、四条河原町の辻廻し、河原町通り、河原町御池の辻廻し、御池通、御池新町の辻廻し、新町通り、四条新町の辻廻し、などの場所によって違うとのこと!出囃子、地囃子、戻り囃子、とあるようです。

こちらは懇親会での様子ビール
古川先生は浴衣に着替えていらっしゃいました。

函谷鉾の浴衣と帯がカッコイイ。毎年1枚しかないので、祇園祭の期間はほぼ毎日洗濯し着ているのだそう。


実は、私も懇親会の前には着替えました。祇園祭の夜は、やっぱり浴衣でしょう〜♪


函谷鉾の会所拝見へつづきます。

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