葵祭の日、5月15日のお話です。

雨の中で行われた勅使さまによる社頭の儀の参列の後、ランチをいただきに御所雲月さんへ割り箸
光悦寺近くにある京懐石の雲月さんの姉妹店です。←こちらの松葉蟹は絶品ビックリマーク
雲月さんは敷居が高いですが、こちらは女性だけでも気軽に入れるお店です。
きもの カンタービレ♪
京野菜、くみあげ湯葉、鯖鮨、飛竜頭の炊き合わせ、鯛めし、わらび餅など。
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今出川通りを歩いて冷泉家へ向かいます走る人
冷泉家は言わずと知れた歌道のお家で、藤原定家の孫である冷泉為相から始まっています。
現ご当主の冷泉為人さまは25代目でいらっしゃいます。
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冷泉家の表門。本瓦葺きの一間一戸の薬医門です。
この辺りは公家町で公家住宅がたくさんあったのだそうですが、今は冷泉家のみ。
明治維新後によって天皇と共に東京へいった公家の方ばかりの中で、冷泉家は京都に残り
ますが、それによって空襲にあうことなく貴重な典籍や古文書が残りました。
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表門の屋根にある留蓋瓦の阿吽を対にした亀は冷泉家が京都御所の北に位置したことから
玄武神を携えています。
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冷泉家時雨文庫は非公開文化財特別拝観の一環としての公開はされているそうですが、
住宅外から室内を見学されている形をとられているそうで、通常は土間と台所以外は室内
にあがることができないのだそう。ですが今回はご好意により室内から調度品や室礼を
じっくりと見せていただきました。

解体改修工事の真っ最中で、柱はむき出しになっていて柿葺き屋根をつけるための足場
がそこら中に組まれている状況でした(゚_゚i) ←ある意味貴重な体験。

邸内の写真撮影は許可いただけたのですが、ネット上でのオープン公開はダメということで、
写真入の覚書は下書きのみで、こちらでは写真ナシで抜粋した記事のみとします。

絵葉書の写真を参考までに。絵葉書をつかってのご紹介は許可いただきました。
あまりハッキリとわからないようにとのことだったので、イメージのみで。
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表門から入って玄関西には土間があって、しゃぐまが飾られていました。
祇園祭の長刀鉾につかわれる藁の束です。写真でお見せできないのが残念(_ _。)

台所のつくりは他のところより一段低くなっていて境界が明確。
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当主と客がつかう大玄関と内玄関がありますが、階差が大きくて袴姿でも出入りはかなり
不自由な感じでした。
使者の間、鞘の間があり、中の間、上の間、広間、居間とつづき、奥には松の間、御高居間
とありました。見取り図をみると12部屋くらいでしょうか。
室内の襖や壁紙には牡丹唐草や松、雲鶴の文様の唐紙がつかわれています。

座敷となる中の間、上の間から見える庭には、東には梅、西には橘があります。
桜ではなく梅なのは、国風化する以前の中国的なものの名残です。

居間の棚にはおそらく乞巧奠(きっこうでん)でつかわれているであろう琵琶が。

床の間には冷泉為任が詠まれた歌のお軸と見事な芍薬と野薊の花が生けられていました。
「夏の日に 卯の花のなり 卯のまがき 花の盛りのたそがれの 月と雪との光りぞをみる」

冷泉貴美子さまが描かれた四季草花と歌の屏風も素晴らしいものでした~目
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冷泉家では今でも毎年「乞巧奠(きっこうでん)」がおこなわれておりまして、梶の葉をに和歌を書き、
五色の布に吊るします。星の座といわれるお供えをし、角盥(つのだらい)に水を張り、梶の葉を
浮かべて、星を映す用意をし、琴と琵琶もお手向けしているそうです。

※「乞巧奠(きっこうでん)」とは、女性が針仕事が上手くなるように願う祭りからきているそうで、
京都の七夕行事に現在も受け継がれています。
きもの カンタービレ♪

伝統を受け継いでいくには様々なことがありますが、生活に根ざした装束と住居の関係は
切り離せないものです。冷泉家住宅で見聞きしたことは、きものについて深く知る上で、
後々生かされてくるものがあるかなと思っております(-_☆)


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