台湾華語の文法 ⑦我打電話給你(きみに電話するよ)  | 台湾華語と台湾語、 ときどき台湾ひとり旅

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今日は台湾華語の文法的な特徴の中でも、台湾語の影響ではないものについて書いてみたい。台湾の中国語には古い語彙や表現が比較的残されているということは、前に書いた(台湾華語の語彙 ②“我家有五個人”)。文法の面においても同様で、「初期現代漢語」の名残と思われる特徴がいくつか見られる。




「初期現代華語」というのは、基本的に現代漢語(今使われているような中国語)が作られたホントの初期のものを言う(一般的には五四運動(1919年)前後から1930年代頃までの中国語のことを指す)。この文言と白話の最後のせめぎあい時期は、ある意味チャレンジの時代でもあり、文法のルールに対してもかなり自由度の高い時期であった。

台湾の中国語にはこの「自由な」文法のルールが残されている。例えばタイトルに書いた“我打電話給你。”も、台湾の人や台湾で中国語を勉強した方にすれば「え?なんかおかしい?」というくらいの普通のノーマルな言い方である。


が、普通話の教科書的には☓。介詞(前置詞)フレーズは基本的に述語(動詞や形容詞)の前に置くというルールに反しているからである。(我把錢包忘在桌子上。のような文型の場合は別。この時の「在」は前置詞ではなく動詞。しかも「その行為をした結果今そこにある」ことを表す結果補語)



ところが中国でも1920年代、30年代の文学作品には“我打電話給你”形式の文章は普通に書かれている。例えば、



婦人滴下淚水在孩子底髮上
(その婦人は子供の髪の上に涙を落とした。)

このような言い方はヨーロッパ言語の影響を受けた「欧化語法」と言われ、30年代にとても流行った。ところが中国大陸の方ではこの「欧化語法」に対する批判が50年代に起こり、介詞(前置詞)フレーズはちゃんと動詞の前に置きましょう。ということになって今にいたる。でも台湾ではそういう動きは起きず「欧化語法」に対しても寛容なまま来ているので、今もちゃんと残っているというわけである。

そして、代表的な“我打電話給你”だけでなく、このパターンの文型は現代の文学作品にもちゃんと見られる。李昂の『帶貞操帶的魔鬼』の中にある次のようなセリフ。

我再坐一下,又把waiter叫過來,畫一張床在紙上
(私はしばらく座っていたがまたウェイターを呼んで、紙の上にベッドの絵を描いた。)

ちなみに“我打電話給你”は、台湾では規範的表現。学校の「国語」教科書にはちゃんとこのように書かれている。まちがいとか訛りというような問題ではない。