先週の出来事①


滋賀県蒲生郡日野町の仕事の帰り、近江日野商人館に立ち寄り群馬県とも関係の深い近江商人の歴史を学んできました。


近江商人とは近江で商いを行う商人ではなく、近江を本宅・本店とし、他国へ行商した商人の総称で、個別には「日野商人、八幡商人、湖東商人、高島商人」などと呼ばれ、それぞれ特定の地域から発祥し、活躍した場所や取り扱う商品にも様々な違いがあるのも特徴です。


江戸時代の初期、漆器や薬売りの行商から発展した日野の商人は近江商人の基礎を確立し、その中心の町として繁栄、全国各地に商圏を伸ばす近江日野商人として名をとどろかせていきました。近江日野商人の発祥地である日野では農家の次男、三男が主として関東地方の商家に丁稚奉公にあがり、商売の道を身につけ成功を収めました。



☆近江商人の違いと特徴


みなさんの家の近くに、「近江屋」、「日野屋」などの屋号のお店がありましたら、ルーツは近江商人に間違いありません。特に、北関東の埼玉、群馬、栃木に400店余りの出店(でみせ)を開き、主に醸造業(酒・醤油)を営むお店が多いのは特筆すべきことです。桐生市の矢野商店、みどり市の岡直三郎商店などもルーツを辿ると近江商人に行き着きます。


☆現群馬県に出店を開いていた日野商人


☆伊勢崎市の画像部分の拡大、こんなんでいかがでしょう?


☆近江日野商人館駐車場


☆近江日野商人館


☆日野商人山中兵右衛門宅の説明板


☆玄関


近江日野商人館の受付で群馬県から来たことを告げると、職員の方がとても親切に館内を案内してくれました。多くの資料を拝見し、近江商人と群馬県との関わりが想像していた以上に深いことを改めて知りました。


☆日野商人により全国へ販売された漆器(日野椀)


☆日野椀とともに全国に広められた日野合薬(あわせぐすり)


☆「満病感應丸」は日野を代表する薬として現在も販売されています


☆何ともレトロな電話機です


☆電話七番・・・歴史を感じます(現在も電話番号は0007番です)


☆日本で最初の電気ストーブを使用したマントルピース(暖炉)


近江日野商人館は、旧山中兵右衛門家の本宅ですが、昔から「八幡表に、日野裏」と言われてきた特徴を持つ建物です。


八幡商人(現近江八幡市)の本宅は、道路から見える「表」に多くの資金をつぎ込むのに対して、近江日野商人の本宅は、道路から見えない所の奥まった「裏」、例えば奥座敷などに多くの資金をつぎ込む傾向がありました。また、この言葉は、それぞれの「あきない」の方法に関して例えられてきた言葉でもあります。


旧山中兵右衛門家は昭和11年に新築された建物です。建築当時から、畳の部屋と廊下は段差のないバリアフリー設計、トイレは水洗、電気ストーブを使用したマントルピース、女中部屋の隣の廊下には電話室が配置され、和風と洋風を織り交ぜた最先端の技術が取り入れられています。また、外からは見えない「裏」、すなわち来客用の奥座敷の天井板には鹿児島屋久島の「縄文杉」、床の間には見事なケヤキの一枚板など、贅を尽くした建築資材が惜しげもなく使用されました。


☆日野商人定宿の看板


☆全国に設置された「日野商人定宿・定休所」、その数は数百軒


☆日野商人定宿看板を探しています!!


現在、中山道高崎宿周辺の日野商人定宿看板を探しているそうです。ご存じの方がいましたら、近江日野商人館または当ブログまでご連絡ください。(近江日野商人館連絡先:0748-52-0007)



※これまで、近江商人について多少の知識は持っているつもりでいましたが、今回、近江商人発祥の地を訪れ、近江日野商人館で近江商人のことを知れば知るほど、近江商人と北関東三県との関わり、とりわけ群馬県との関わりの深さに驚いてしまいました。


また、近江商人が活動地域や事業を日本全国に拡大させ、各地で成功を収めたその裏には、近江商人が商才にたけていたという以外に、近江商人独特の思想・行動哲学が大いに関係しているということも知りました。日野商人個々の商いの方針は家訓として代々伝えられ、子々孫々までもの繁栄を願って作成された家訓は、現代にも通じる内容をもっています。


山中兵右衛門家の家訓 「慎み」十か条

・社会奉仕の実践を

・小口のお得意ほど大切に

・一攫千金をねらうな

・偽装をするな

・薄利多売の商いを、など。


三方よし「売り手よし、買い手よし、世間よし」

・売り手の都合だけで商いをするのではなく、買い手が心の底から満足し、さらに商いを通じて地域社会の発展や福利の増進に貢献しなければならない。


陰徳善事

・人知れず善い行いをしなさいという教え。自己顕示や見返りを期待せず人のために尽くすこと。


「慎み」にも見られるように、いずれの日野商人の家訓においても、陰徳善事(社会奉仕)の大切さが説かれています。成功した近江商人が私財を神社仏閣に寄進したり、地域の公共事業に投資したりした逸話も数多く残されています。県民性の違いでしょうか、養蚕や織物で得た膨大な利益のほとんどを遊興費や飲み食い、一攫千金を夢見てバクチに注ぎ込んでしまった上州人とは雲泥の差がありますね。それから、先日5,000万円の資金に目がくらみ辞任に追い込まれたイノシシ知事ですが、近江商人の経営理念である「陰徳善事」の教えをしっかり守っていれば、こんな事態にはならなかったと思います。いかがでしょう?


近江商人について調べれば調べるほど、教えられることの多さに気づかされます。こんな話があります。


碓氷峠を二人の呉服売りが歩いていました。峠を越えて行商に行くのです。歩き疲れた一方の男が言いました。
「この峠がもっと低ければいいのになあ」
それを聞いた近江商人、
「オレは、この峠がもっと高ければいいと思うが」
意外な返答に、そのわけをたずねました。
「峠が低ければ誰でも通っていける。しかし峠がもっと高く、険しければ、誰もこの山を越えて商売をしようとはしなくなるだろう。そうすれば、売りに行くのは自分しかいない。そしたらどうなる?」
連れの商人は、「なるほどその通りだ」とヒザを打ったのでした。


☆近江牛しゃぶしゃぶうどん


帰りに名神高速多賀サービスエリアで近江牛しゃぶしゃぶうどんを食べて帰ってきました。


近江牛しゃぶしゃぶうどん(お稲荷2個付き) 1,180円