最近のアメブロ会衆では、
サンディエゴ裁判における統治体成員ゲリト・レッシュ氏の
児童虐待に関する 「責任逃れ宣言書」 が
話題になっていますね。
どうしたらあんなふうに言い逃れのできる人間になれるのか
教えてもらいたいくらいの、逃れっぷりです(爆)
まあ、それはさておき、今週扱われたものみの塔誌に
気になる表現があったのです。
2014年9月15日号の研究記事
「親の皆さんお子さんを牧しましょう」の中で
21ページ16節に変な?記述が・・・・・
その節から関係する部分を引用しますね。↓
真理に関する疑いを克服できるよう,
どのように子どもを助けることができますか。
多くの親は,次のような質問をして成功を
収めてきました。
「クリスチャンって,大変だと思う? そうでもない?
クリスチャンには,どんなプラス面があると思う?
マイナス面はどうかな?
プラス面のほうがマイナス面より大きいと思わない?
プラス面は今もあるし,将来にはすばらしいことが
約束されているね?」
大切なのは,これらの質問を自分の言葉で,
子どもの興味を引くように誠実かつ親切に
投げかけることです。
※赤字は管理人
この部分では、
真理への疑いを持っているクリスチャンの若者に対して
親はどのように話したら良いかについて、
模範的と考えられる質問を書いているのですが、
ここで疑問に感じることがあるのです。
※「真理への疑い」 というよりは 「組織への疑い」
というのがホントのところでしょうね(ーー;)
つまり、
クリスチャンの生活をプラス面とかマイナス面
という言葉を使って表現することは
正しい言葉遣いなのか?
ということです。
そもそも、クリスチャンになりたいと思う人は
生活の中でプラス面とかマイナス面とかを考えてから
クリスチャンになろうとしているのでしょうか?
そうではないことぐらい、
クリスチャンだけでなく、一般人でさえも理解しています。
クリスチャン、つまりキリスト教徒としての生活というのは
生き方であって、
ビジネスや商売の損得勘定とは
そもそも別次元のことですよね?
もっとも、裁判を損得勘定で考えるゲリト・レッシュ氏は
そうではないでしょうけど(苦笑)
いつもいつも宗教をビジネスとして捉えている思考だと
ついついこんな表現がポロリと出てくるのでしょうかね。
統治体の方々のホントのところの人間性を垣間見た
記事でした(-ω-)/
サンディエゴ裁判における統治体成員ゲリト・レッシュ氏の
児童虐待に関する 「責任逃れ宣言書」 が
話題になっていますね。
どうしたらあんなふうに言い逃れのできる人間になれるのか
教えてもらいたいくらいの、逃れっぷりです(爆)
まあ、それはさておき、今週扱われたものみの塔誌に
気になる表現があったのです。
2014年9月15日号の研究記事
「親の皆さんお子さんを牧しましょう」の中で
21ページ16節に変な?記述が・・・・・
その節から関係する部分を引用しますね。↓
真理に関する疑いを克服できるよう,
どのように子どもを助けることができますか。
多くの親は,次のような質問をして成功を
収めてきました。
「クリスチャンって,大変だと思う? そうでもない?
クリスチャンには,どんなプラス面があると思う?
マイナス面はどうかな?
プラス面のほうがマイナス面より大きいと思わない?
プラス面は今もあるし,将来にはすばらしいことが
約束されているね?」
大切なのは,これらの質問を自分の言葉で,
子どもの興味を引くように誠実かつ親切に
投げかけることです。
※赤字は管理人
この部分では、
真理への疑いを持っているクリスチャンの若者に対して
親はどのように話したら良いかについて、
模範的と考えられる質問を書いているのですが、
ここで疑問に感じることがあるのです。
※「真理への疑い」 というよりは 「組織への疑い」
というのがホントのところでしょうね(ーー;)
つまり、
クリスチャンの生活をプラス面とかマイナス面
という言葉を使って表現することは
正しい言葉遣いなのか?
ということです。
そもそも、クリスチャンになりたいと思う人は
生活の中でプラス面とかマイナス面とかを考えてから
クリスチャンになろうとしているのでしょうか?
そうではないことぐらい、
クリスチャンだけでなく、一般人でさえも理解しています。
クリスチャン、つまりキリスト教徒としての生活というのは
生き方であって、
ビジネスや商売の損得勘定とは
そもそも別次元のことですよね?
もっとも、裁判を損得勘定で考えるゲリト・レッシュ氏は
そうではないでしょうけど(苦笑)
いつもいつも宗教をビジネスとして捉えている思考だと
ついついこんな表現がポロリと出てくるのでしょうかね。
統治体の方々のホントのところの人間性を垣間見た
記事でした(-ω-)/