前回、今回と勉強会後のご感想で、

「そう言えば…」

とご自身の「自然の色との関わり」を思い出して送って下さる方がチラホラおいでです^^


人類と長くかかわってきた自然の色は、色の意味の基本。


カラーセラピーの「知識」が入ってしまうと、どうしても「色名」や「色の意味」に囚われてしまいますが、基本は「知識」じゃなく身近なところ(自然)にあったりします。


なので、セラピストとしての「知識」を入れる前の記憶の方が、実は役に立ったりします。

(思い出すまでに時間がかかるようですが 笑)



わたしは何でも好き嫌いが明確なので、「自然への好み」も明確です。

とにかく砂漠が好きだった20代、

「どうしてこんなに砂漠が好きなんだろう?」

と考えたことがあるのですが、

「荒涼とした」「渇いた」「広い」「生き物のいない」

感じが好きだと判明。逆に、海やウェットな場所は大嫌い。理由は、

「生命力がウザい感じ」(当時)


砂漠の黄色

真ん中の米粒がわたし(砂漠の真ん中に1人で立ちたかった昔…)

この頃は、カラーセラピーなんて知らないので、ただの自己分析でしたが…今思えば、

YELLOWの砂漠。ドライ(軽い・早い)だからこそ生命は育たない。

BLUEの水。(ウェット・重い)からこそ、生命を育む。

この、BLUE(女性性)の「生み・育む」感覚がうっとおしくて嫌いだったんだなぁと思うと…面白いデス(笑)


まぁ今でもYELLOWが好きですけども!



そんな乾燥地帯好きのわたしが、チベットから雨季のネパールに抜けたことがあります。

チベットの乾燥した荒野(植物がほとんどない)を数日走り続けると、徐々に高度が落ち、大気中に湿度の「重さ」が増してきます。

見える景色も灰色一色に緑が混ざりはじめ、ついには雨季の雨に濡れる一面の緑に変わります。


その時、わたしは思わず、

「やだここ箱根?」

と思ったものです(笑)。

そう、湿度&緑ってとてつもなく「日本的」なんですね。(ついでに「山奥」だったので「箱根」が連想された様子)

でもインドからネパールに入国しても、自然環境の「差」があまりないので、特に「日本」を連想したことはない。

おそらく、チベットの「高地・乾燥地帯」→ネパールの「高温多湿地帯」の変化で、景色と大気が一変したのが、「日本」を連想させた原因だと思います。


植物のGREEN



で、だーいぶ後になり色彩象徴の本で、

・砂漠の民にとって、太陽のYELLOWは「死」の象徴でもある

と初めて読んだ時、

ああ、風土が違えば、自然物の役割も色の象徴・意味も違って当たり前だな。

と、上記の経験を思い出したものです。


緑には「水」が必要。

日本にはこの「水」と「植物」という「生命」に欠かせない2つが、「ありふれた」ものとして揃っています。(わたしがヒマラヤ山中で「箱根?」と思った程に^^;)


でも、乾燥地帯の人々にとって植物の緑(水)は「オアシス」であり、「天国」の色。まったく「ありふれていない」色です。


当校は勉強熱心な方が多いので、自分で色の意味性を熱心に調べる方が多く、様々なご質問を良くいただくのですが、基本連想物に立ち返り、視点を日本から離しただけでも、

「あ、なるほど!」

と思うことは多いと思います。だって気候風土が違うんだもの。色の意味も多岐に渡って当たり前^^

(その先で、更に思想・宗教・時代ごとに発展しているのが色彩象徴学です☆)



ちなみに、わたしの愛するタクラマカン砂漠のオアシスでは日本を全く感じなかったのですが、これは多分、

「空気の乾燥度がオアシスも砂漠も大して変わらないから」。

人間の五感ってすごいですよね(笑)。

(もちろん、砂漠と山間部では緑色の見え方も違いますし、オアシスのグリーンは砂煙で彩度が低いので日本的じゃない^^;)



オアシスの緑

オアシスのポプラ並木(防風林)

今、チベットやネパール、砂漠に行くと自然物も「知識」ありきで見てしまうと思うので、なかなか微妙な気がするのですが、「知識」が無い時代の色経験はストレートで面白いです。


自分の「ピュアな」自然の色経験を振り返り、今の「知識」で改めて検証してみるのは、基本連想物の理解に役立ちますので気が向けば是非☆






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