有名、でも未知なるユリア・リプニツカヤ | WFS JAPAN

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Republic of Julia: Famous unknown Lipnitskaia
By Vladislav Luchianov





現在ソチオリンピック真っただ中。多くのみなさんにとって印象に残っていることの一つにロシアのユリア・リプニツカヤのパフォーマンスがあるのではないだろうか。

一方は、驚きとして。一方では、当然のこととして。

多くのメディアがこの最も若いオリンピックチャンピオン(団体戦)を、現在、そして過去のスケート界のスター達と比べているが、それらの比較は非常に主観的である。
ユリアはユリア。彼女はいつも彼女自身でいたいことを強調しており、そしてそれが上手くいっているのだ。

世界中の何百万という人々に広く知られるようになった今も、彼女は自分自身であることをマネージしている。オリンピック金メダルを取った後も、以前と変わらぬユリアのままなのだ。TV解説者がどんなに彼女のパフォーマンスを誉めようとも、彼女は自分自身に厳しい姿勢を崩さない。

ではユリアとは?フィギュアスケートファンの間では、2011/2012シーズンのジュニアステージでの大成功の頃から彼女の名前は広く知られるようになっていた。そして今シーズンは、スタートのフィンランディア杯、そして続くスケートカナダとで観客たちを惹きつけた。しかし4年に1度のオリンピックでだけフィギュアを見るという人たちにとっては、今回のソチで初めてユリアの存在を知っただろう。





彼女の成功の後も、彼女の謙虚さ、自分に対する厳しさ、そして多くを語らないその姿に多くの人たちが驚いた。と同時に、まるで“ご清聴ありがとうございました。今日はこの辺で”と言っているかのように、彼女はリポーター達に全権を与えはしないが、彼らとの話を楽しんでもいる。彼女には友好的な面もあり、その側面がこの若い女性に対する誠実な感情を呼び起こさせるのだ。

若干15歳の若さで、彼女は世界的名声とは非常に曖昧なものであることを知っている。その名声がアスリートをどう燃焼させてしまうか、フィギュアスケートはその沢山の例を持っている。一般的に誤って理解されるユリアの“閉鎖的”という部分は、名声が齎す熱から身を守るための“クリーム”のようなものなのである。

彼女のスケートには絶対的に際立ったいくつかの特徴がある---それは非常に魅力的で、全てのことを忘れさせる力があるのだ。まるでもう1つの現実のような。完璧だ、素晴らしい、驚くべきこと、等という賞讃の言葉だけでは不十分であるから、現実というものを説明するのはとても難しいものだ。私がただ言えるのは、彼女のパフォーマンスは何度も何度も記憶を照らし、記憶の彼方へ葬り去られることはないであろうということだ。そのようなものにはそう頻繁に出会えるものではない。

そして彼女に対する尊重を呼び起こすもう一つの面は、彼女の独立性である。彼女は紛れもなく叩き上げの人だ。彼女は決して、決して努力なしで何かを手にしたことはなく、贈り物のように何かを得たこともない。





誰か(組織)の力によって作られたスケーターとは違い、彼女はロシアスケート連盟のエリート間での有力な後ろ盾を持たない。オリンピックに備えての特別な支援もなかった。スポーツ研究機関からの特別な助言もなければ、巨額の支援も持ってはいなかったのだ。

演技力や観客へインパクトを与える方法を学ぶためにブロードウェイに送られることもなく、更にはロシアスケート界の影響力があるといわれる人物たちの利益のために、度々過小評価を受けても来た。

理論的な疑問を持つ人もいるかもしれない:“ロシアスケート連盟は彼らのアスリートの為に支援を惜しまないでしょう?”ああ、そうだ。支援は惜しまない。ただし、大きなしかしが付く:支援は全てのアスリートに対してではないということだ。現実は、ユリアはモスクワの粗末なアパートに母と二人で暮らしている。

ロシア大統領、ウラジミール・プーチンが個人的にユリアのパフォーマンスを観戦し、感銘を受けた今は、その状況ももしかしたら変わるかもしれない。更に最近になって彼は国内のフィギュアスケート界の様相を知ったこともある。

リプニツカヤの才能は、ずっと以前にコーチのエテリ・トゥトベリーゼによって発見された。エテリは他のコーチ達に比べ、広く名前を知られていたとは言い難く、そして彼女の教え子同様、彼女もまた自然に立ちはだかる壁、そして人工的に作られた壁を克服し、専門家としての自分自身を主張するために非常に困難な道を辿らなければならなかったのだ。しかし、エテリはこれらの困難にも決して戸惑ったりまごついたりしたことはない。彼女は自分の仕事に打ち込み続け、そしてTVや雑誌の表紙、そして新聞などにしばしば登場する専門家たちよりもはるかに素晴らしい仕事をしているのだ。

ユリアと彼女の母が故郷のエカテリンブルグからモスクワに出て来た時、彼女の才能は見出され、コーチのエテリはその才能を開花すべく可能な限りのサポートをしてきた。しかしモスクワのような大都市に移るということは、多くの問題も解決しなければならないということだった。





しかしそれら全ての困難も、ユリアの意志と性格の強さとなり蓄えられてゆく。彼女は15年という人生で、確実に現実を見てきているのだ。今現在のフィギュアスケートの多くの部分が控えめに言っても“ヘン”であるということ、正義が必ずしも勝利を納めるわけではないということ、そして笑顔で近づいてくる人たちが必ずしもファンや友人であるとは限らないということを良く理解しているのだ。

それが、ユリアが今回のソチで得た名声に惑わされることが無い理由である。この先も、ソチの個人戦を含む沢山の大会があり、それに伴う世論は非常に移ろいやすいことを彼女が良く理解していることは想像に難くない。しかし私たちは、彼女がどういう状況でも準備が出来ており、どんな状況にあっても絶対に闘うだろうことを確信している。結局、ユリアにとって最も重要なことは、氷の上でも、そしてその人生でも自分自身に対し常に誠実であることなのだろう。

彼女はパフォーマンスにその個性、人生を確かに反映させると共に、上記の全てが彼女に対する特別な印象を与えるのではないだろうか。





彼女がSP“You Don’t Give Up on Love”の終わりに氷の上にハートを描くのと見た時や、FSの“Schindler’s List”の終わりには人々の魂の深みに入り込むかのような時、その気持ちを表す言葉を見つけることができない。ただ、言葉では言い表せないのだ。

そしてもし彼女のパフォーマンスを見て涙が出たとしても、戸惑わないで欲しい。それはあなたの心が、何かとてもキラキラしたもの、やさしく誠実な何かに触れたという事なのだから。

Photo: official Vkontakte page of Julia Lipnitskaia