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Japan’s legend Takahashi announces retirement





日本男子フィギュアで初めてオリンピックメダルを獲得したスケーターである高橋大輔が、今週火曜、約20年の現役生活に終わりを告げることを発表した。

現在28歳の高橋は、日本でのフィギュア人気に火を付けた立役者であり、2010年バンクーバーオリンピックで銅メダルを獲得したことにより、日本のフィギュア史に歴史を作った。加え彼は2012-13シーズンのGPFを制した初めての日本男子でもある。

『僕自身引退することを決断しまして、次の目標に向けて進んで行きたいなと思いました。』と高橋は、岡山で行われた式典に出席した際に語った。

『僕自身も急な決断で、一年間引退するのか現役続行するのか決めていきたいと思っていたのですが、悩んでても気持ちの中にモヤモヤしたものが残っている自分がいて、やはり次に進むには一度線を引くということで引退したいという気持ちで、すごく急ですが自分の中で決断しました。』

この先のことはまだ未定だと彼は言うが、日本のメディアでは彼がコーチ業に興味を示していることが伝えられたことがある。

大工の父と美容師の母の元に生まれた4人兄弟の末っ子。高橋がスケートを始めたのは8歳の時だった。地元に新しく出来たスケートリンクに母に連れられて行ったのがきっかけだった。母は彼にアイスホッケーにでも興味を示してくれたら、と思っていたのだ。

天才という以上に努力家である高橋。そんな彼の粘り強さは徐々に成果を上げていった。

2001-02シーズンに高橋はジュニアステージにデビューする。そして世界ジュニア選手権大会で初めて優勝した日本男子スケーターとなったのだ。そしてその翌年にはシニアへと進んで行った。

そんな中、嵩む費用をねん出するため、父は仕事を求め地方の建設現場へも出向き、母は弁当を作るパートも掛け持ちするようになった。

主要大会で彼が初めて優勝するようになるまで、彼は1足のスケートをはき続け、母は彼のコスチュームを作り続けたという。

そんな彼に襲いかかった膝靭帯損傷という大けがと、それに伴う手術により、2008-09シーズンの殆どを氷から遠ざかって過ごすこととなってしまった。しかし彼はバンクーバーオリンピックで一回り大きくなった姿を見せ、見事銅メダルを獲得したのである。

自身3度目のオリンピック出場となった2014年ソチオリンピックでは、SP第4位でスタートしたものの、FSでは第6位、総合もスコア250.67ポイントで第6位となった。その後日本で行われた世界選手権には、膝の故障の為に欠場をしている。

同席していた高橋の母は、息子の引退に関して様々な想いがこみ上げると語った。

『寂しいような、嬉しいような気持ちです。』笑顔を見せる高橋の隣で、彼女はそう言った。『あなたが次に選ぶ道が何であれ、お父さんとお母さんはあなたが一生懸命頑張ることを願っています。』


Photo: Zimbio

Information from Reuters was used in this report

※ 高橋選手のコメントは記者会見でご本人が語られた言葉を使用させていただいております