高橋大輔:希望のためのソナチネ | WFS JAPAN

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Daisuke Takahashi: Sonatina for Hope
By Vladislav Luchianov


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2013年NHK杯で、素晴らしいパフォーマンスで高橋大輔が勝利を納めた時から数日が過ぎた。

ここで見せた彼のパフォーマンスを、多くの人々は彼のキャリアでも最高のパフォーマンスの一つだと言うだろう。

実は、彼が新たにパーソナルベストを更新したことだけが、ここで注目すべき点ではないのだ。

彼がパフォーマンスを終えた時、私は彼の顔に浮かぶ表情に注目した---終えてもなお、彼はまだプログラムのドラマを保っていた。ああ勿論、彼は最高の滑りをした後はいつだって幸せだろう。しかし大輔は、全ての技術的要素を完璧にしたことで最大限の成功を引き寄せたと言う事実のみならず、このSP使用曲“バイオリンのためのソナチネ”の作曲者、佐村河内守の深い想いを伝えることで、とても強い感情の波を経験していたのではないだろうか。

そして私は、彼のパフォーマンスを息を詰めて見守っていた日本の観客が、大輔と彼のインスパイアーであるミスター佐村河内の伝えようとしていた想いを理解したと確信している。

宮本賢二によって振り付けられた大輔のSP“バイオリンのためのソナチネ”。私の日本以外の読者の多くは、この作品の作曲者の名前を聞いたことはないだろうと思う。ただ僅かな人だけが、ミスター佐村河内が辿ってきた困難と同時にドラマティックな人生を耳にしたことがあるのではないだろうか。


広島県生まれ。ミスター佐村河内はとても早熟な少年で、若干5歳にして母の教え通りマリンバ(鍵盤打楽器)の為の曲を作っていたと言う。

佐村河内自身は10歳の時に自分で作曲したことを覚えていると言う。そして彼は子供の頃からピアノに親しみ、それほど正式なトレーニングをすることもなく自分自身で作曲することを覚えて行ったという。

彼は伝統主義者であり、ベートーベンやモーツアルトといった音楽家を尊敬しており、モダンや無調音楽を受け入れていない。“私はハーモニーを好む。だから時々、生まれる時代を間違ったのではないかと思うこともあるのです。”と彼はTIME誌に語ったことがある。


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彼が24歳の時、ひどい聴力障害を患っていることが解った。そして今、彼の左耳は完全に聴覚を失っており、右耳だけが補聴器の助けを借り、かすかな物音を感じられているのだ。

ミスター佐村河内は長年下積み時代を経験した。彼は、見る価値がないとの判断を下したTVドラマ用の曲を作る代わりに、レンタルビデオ店の店員や路上清掃者などをして生活をしたのだった。後に彼は映画“秋桜(Cosmos)”の使用曲を任されることでチャンスを掴み、そしてゲーム音楽など多くを手掛けるようになっていった。

東日本大震災から2年後、“希望のためのシンフォニー”と呼ばれる佐村河内の“Hiroshima”は、被災地を奮い立たせ、日本中で何百万もの人々に希望を与えている。

このシンフォニーが完成したのは2003年のこと。彼の仕事ぶりと彼自身の半生にスポットライトをあてたTVドキュメンタリーが2012年秋に放送されるやいなや、すぐさま大反響が巻き起こった。彼のこれまでの過程に相応しい認知だった。


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ミスター佐村河内が、彼の曲を高橋大輔がプログラムで使用するというニュースを聞いた時、彼はポカンとしていたと言う。彼はフィギュアは勿論、スポーツにそれほど興味がなかったからだ。しかし彼は、彼の曲を使いたいと言う大輔に反対はしなかった。彼はただ大輔が、この曲は“闘いの曲”であることに気付いているか、ということを気にかけたのだ。大輔はこの曲について、最後には希望を感じる、と言っている。

希望・・・それが鍵なのだ。“バイオリンのためのソナチネ”。大輔は作曲者の願いを完全に満たしていたのではないだろうか。そのプログラムで大輔は、広島の原爆を体験した人たちやその他未曾有の大災害を潜り抜けている日本人の痛みを表現しただけではなく、その先には希望に満ちた世界があるのことを示して見せたのだ。

だからこそ私は大輔のプログラム---過去の物も現在の物も関係なく---を見ると思うのだ。本当に、価値がある。真の芸術なのだと。彼のパフォーマンスはいつも特別なメッセージを含んでいる。そして彼はそれを見る者の心へと届けるのだ。

それほど素晴らしいことが他にあるだろうか。


Photo: Zimbio, Columbia.jp

Special thanks to my WFS Japan manager & administrator Yacchi for a great help.