「駆けつけ警護」発言を報じないメディアと野党の責任(天木直人のブログ 8/22)
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投稿者 天木ファン 日時 2007 年 8 月 22 日 20:44:33: 2nLReFHhGZ7P6

2007年08月22日

 「駆けつけ警護」発言を報じないメディアと野党の責任


 しばらくブログを書く事から遠ざかっていた。


猛暑のせいでもあるまいが、新聞、週刊誌、雑誌の政治記事に面白いものがまったくない。


あれほど大騒ぎをした年金問題もなんの解決策もないままもはや忘れ去られようとしている。


参院選挙の自民党大敗も、安倍首相の居座りも、何事もないまま一ヶ月が経とうとしている。


本来ならば緊迫した政治状況になるはずがこの弛緩はなんだ。


27日以降は内閣改造でメディアは大騒ぎをするだろう。


しかし騒ぐだけ無駄だ。


誰が大臣になろうが何も変わらない。


問題が山積しているというのに見るべき政策のないままに時が過ぎていく。


それが許されているのだ。

 小泉前首相は、「誰が首相になってもこの国の首相はつとまる」という事を見事に証明してくれた。


そして安倍首相は、「政府や内閣など不在でも日本はやっていける」事を目の前で証明しているのだ。

 そんな中で私が今注目している当面の問題が二つある。


佐藤元自衛隊員の「駆けつけ警護」問題とテロ特措法延長問題の成り行きである。


これには目が離せない。


このうちテロ特措法の延長問題についてはこれまでも書いてきた。


今後も折に触れて書いていく。

 だから今日のブログでは「駆けつけ警護」問題について書く。


この問題は、これまでのところまったくと言っていいほどメディアが取り上げない。


インターネットの世界では毎日のように大騒ぎになっているというのに、新聞やテレビは。


まるで発言そのものがなかったかのように無視し続けている。


これは異常だ。


あたかも一つの大きな意思が働いて黙殺しているかのようだ。


このまま「駆けつけ発言」問題は終ってしまうのか。


いや、断じてそうさせてはならない。


そうは行かないだろう。

  事の発端は8月10日のJNNで、佐藤参議院議員(元陸上自衛隊サマワ派遣隊長)が、「駆けつけ警護」を行うつもりだった、法によって裁かれても覚悟のうえだった、と発言した事である。  

「駆けつけ警護」という聞きなれない言葉の意味するところは概ね次のごとくである。


すなわち、今の憲法の解釈では集団的自衛権は認められていない。


だから同盟国の軍隊が戦闘に巻き込まれても自衛隊は助けることが出来ない。


しかし情報収集などの理由により現場に駆けつけて敵の攻撃に巻き込まれれば、憲法で容認されている個別的自衛権の発動という名目で応戦できる。


だから「意図的に駆けつけて戦闘に巻き込まれる状況を自らつくりだし、敵の戦闘に参加する、そういう意味だ。

  佐藤発言は重大かつ深刻である。


意図的な脱法行為であるというだけではない。


違憲行為を承知の上で行おうとしていたのだ。


その事が図らずも本人の口から発覚したのだ。


佐藤はただの自衛官ではない。


サマワへ派遣された初代の陸自隊長である。


その隊長が「法に裁かれる事を覚悟して行うつもり」でサマワ派遣隊を率いていたのだ。

  佐藤の意図を政府や官僚が知らなかったのであれば、もちろんシビリアンコントロールの逸脱である。


しかもその考えが佐藤個人の考えにとどまることなく幹部が了承した自衛隊制服組の組織的な考え方であったとすれば、これはシビリアンコントロールの逸脱を通り越して軍事クーデターである。


ひょっとして政府、防衛省が知っていたのかもしれない。


そうであれば国家が違憲行為を犯していたということだ。 

  何としてでも真相が追究されなければならない。


メディアはその重大性を国民に知らせ、国民に問題意識を持たせなければならない。


それがジャーナリズムの使命ではないのか。


国会の場であらゆる審議をした上で真実が国民の前に情報開示されなければならない。


佐藤議員の議員辞職などで終らせてはならないのだ。

  それにしても、何故新聞やテレビが取り上げようとしないのか。


佐藤の失言を大げさにしたくない理由が政府、防衛省にあるに違いない。


だからこそ権力に迎合してしまったメディアが政府を窮地に追い込む事をしないのだ。


そう思っていたら、ついに21日の読売新聞が社説の中で「駆けつけ警護」を可能にすべきだと堂々と書くに至った。


佐藤発言が問題になる前に、先手を打って佐藤発言の正当性をアピールしているのだ。


しかも読売新聞の社説は、小沢民主党が国連平和維持活動への参加に前向きな発言をした事を逆手にとって、「ならば国際標準にあわせて任務遂行の為に武器使用を認めるべきだ、自衛隊の海外派遣に関する恒久法の整備が必要だ」などと悪乗りする始末である。


  佐藤の「駆けつけ警護」発言が問題にされないばかりか、読売新聞のこのような社説が大手をふってまかり通る事を許す今の風潮に政治の劣化を見る。


その最大の責任はもちろん野党の問題意識の欠如にある。


国会から安保論争がなくなって久しい今の政治状況がある。


野党政治家が佐藤発言を追及しなくて誰ができるというのか。


それこそが野党政治家の仕事である。

 そもそも野党第一党の民主党は安全保障問題について政府・自民党と立場が基本的に同じである。


だから佐藤氏の「駆け込み警護」発言を正面から取り上げようとしない。


今こそ護憲政党を売り物にしてきた日本共産党や社民党の出番のはずである。


ところが、日本共産党や社民党にこの問題で政府、防衛省を追及しようとする気迫はまったく伝わってこない。


日本の政治状況は深刻である。


http://www.amakiblog.com/archives/2007/08/22/