子どもの目線大人の領域 | 渡辺やよいの楽園

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小説家であり漫画家の渡辺やよい。
小説とエッセイを書き、レディコミを描き、母であり、妻であり、社長でもある大忙しの著者の日常を描いた身辺雑記をお楽しみください。

平助
 息子の撮影した平助。

 最近息子が夫のお下がりのデジカメをもらい、写真を撮っている。
これが意外に面白い。
目線が大人より低いぶん、構図がなかなかいいのだ。

しかし、私が子どもの頃は、カメラなどは大人のいじるもので、手巻きのカメラは、ピント合わせからして難しく、母などカメラが苦手で、「あなたやって」と、父にまかせていた。
露出やピントをあんばいして、きれいな写真を撮る大人は、カッコ良く思えた。
カメラは、大人の領域だった。

いまなど、携帯にもカメラが付き、オートフォーカスで、ばしばしきれいに写真が撮れる。
カメラを持つことにちゅうちょする人などいやしない。
電話もそうだ。
かつては電話は大人のもので、家で電話をするときには、大人の目を意識した。
たいていが、お茶の間など家族の集まる所に電話が固定設置されているので、秘密の会話などしにくいし、長電話もできなかった。
彼氏と夜中にしゃべりたくなると、小銭を握りしめて、遠くの公衆電話に走ったものだ。
あの時の、夜道を走っている胸の動悸、小銭を落としながらささやく愛の会話。
とても甘美でスリリングな時間だった。
今みたいに、携帯でメールで、四六時中相手に連絡が取れてしまうと、恋もなんとなく、スリリングさがない。かぎられた時間で相手に必死で自分の思いを告げることもない。その逆に、よく考えずに軽薄な言葉をうっかり伝えて、相手を傷つけたり疑心暗鬼にさせることが増えた。
便利さと引き換えに、失うものは確実にある。そして、逆に増えるやっかいなことも。
花
これも息子が撮った花。