TWに着くと、数人のスタッフが迎えてくれた。
貨物車に詰め込まれていたドロップバッグは取り出されて外に並べられており、中には代わりにパイプ椅子が並べられていて、毛布をかぶった選手達がガタガタ震えていた。
まるで野戦病院だ。
時間の経過と共に気温はぐんぐん下がり、ピークに近い吹きさらしのTWには一層冷たい風がびゅうびゅう吹いていて、体感温度はかなり低い。
行動中こそ余り寒さを感じなかったものの、動きを止めるとやっぱり寒くて、ドロップバッグに用意したお粥や雑炊には手を付けられず、行動食と水を補充するだけですぐに出発することにした。
3rdループのルートは、一度TWまで登った後、そこを基点に小さなループを2つ周る設定になっている。
まず1つ目の小ループは、北西側の山をぐるりと周る約11km。
途中まで2ndループと同じだったので、暗闇の中であってもルートファインディングは比較的容易だった。
体力的には、まだ余裕がある。
眠気もないし、体調も良い。
問題は、痛めた膝だった。
TWに行くまでは登り基調でそれ程問題はなかったものの、そこからの小ループではかなり苦戦した。
まずはだらだらと急傾斜の下りが続き、そこでペースがガクンと落ち、度々足を止めることになった。
傾斜が急になると普通に歩いて下りることもままならないので、カニ歩きしたり、後ろ向きで下りるしかない。
程なくグッドマンのおじさんとジーンに立て続けに抜かれ、続いて数人のランナーにもかわされて、どんどん位置を下げていった。
悔しい。
歯がゆい。
でも、仕方がない。
とにかく、マイペースだ。
九十九折りの坂道を下りて行くと、途中の分岐でスタッフが待機していた。
スタッフは私が3rdループの選手であることを確認すると、細い巻道を進むように指示した。
巻道は山の斜面を巻きながら徐々に標高を下げて行き、細い谷へと続いていた。
月明かりも射さない谷底は、どす黒く真っ暗だ。
頭と腰に着けたダブルのライトをフルパワーに切り替えて、足下に注意しながら進んだ。
谷底の細い道を抜けて少し開けた場所に出ると、そこから登りに変わった。
登りになると、膝の痛みが和らぐのでホッとした。
ぐいぐいと登って行くと視線の先にチカチカと光るヘッドライトの灯りが見えて来て、それが徐々に近づいて来るのも励みになった。
順調に進んで数人の選手をかわし、グッドマンのおじさんとジーンを再び捉えた。
ほぼ同じ位置にいた2人は私の姿を確認すると、
「そろそろ来ると思ったよ」
と言って笑った。
その後も下りで抜かれ、登りで抜いてを繰り返しながら進んでいたけれど、ジーンは少し疲れたのか、登りで失速して姿が見えなくなった。
一方、グッドマンのおじさんは相変わらず安定した走りだった。
登りは力強く歩き続け、下りはどすどすと音がしそうな走りで距離を延ばしていく。
私は暫くおじさんと前後しながら進んでいたけれど、九十九折りの長い登り区間で私が抜け出し、そこから単独になった。
徐々に標高を上げ、広い尾根に出た。
ピーク付近は風が強く、やっぱり寒い。
体感的な距離と時間からして、そろそろTWだろうな、と思っていると、こんもりとした丘を巻いたところで下に眩い灯りが見えた。
TWだ。
TWに着いて、スタッフにチェックを受けた。
相変わらず、沢山の選手が毛布に身を包んでブルブル震えている。
風は変わらず冷たくて、気温は先程よりも一段と低くなっている様に感じた。
スタッフが出してくれた温かいパンプキンスープと茹でたじゃがいもも、行動食を詰め替えて水を補充している少しの間に、すっかり冷えてしまった。
それでも、自分で用意していた冷え切ったお粥やゼリーなどよりも、全然ありがたい。
スープとじゃがいもをセットでお代わりして胃の中に収めると、お腹の底がホカホカと温かくなった様に感じられた。
スタッフにお礼を言って、次の小ループに向かった。
2つ目の小ループは、Learning Rockまで行って折り返し、そこから南側の斜面を巻きながら、下って登り返す13kmだ。
この小ループが終われば、後はゴールに戻るだけなので、気持ち的にはここが頑張りどころだと思う。
まずはLearning Rockまで登る。
暗くて景色は分からないけれど、一度通っている道なので雰囲気で何となく距離感は分かる。
最後の長い登り坂を一気に走りきり、Learning Rockに辿り着いた。
チェックポイントには、2ndループで来た時と同様にテーブルが置かれていて、その上にポリタンクに入った水と、山盛りのプルーンが置いてあった。
でも、スタッフの姿はない。
どこかで待機しているのだろう。
奥のスペースに張られたテントから灯りが漏れていたので、声を掛けるとスタッフが顔を出した。
Learning Rockは3rdループで最も標高の高い場所にあり、加えて草木の生えない岩だらけの地形で吹きさらしなので、当然寒い。
ここで夜を徹して待機するスタッフは大変だ。
名前と番号を告げてチェックを受けていると、続いて選手が到着した。
暗闇に浮かぶ、イカツイ肩のシルエット。
ちょっと懐かしいその顔は、1stループを終えた時にテントで会った、坊主頭のアルティメットファイターだった。
「おお、お前、頑張ってるな!」
と、明るく響く彼の声は、轟々と冷たい風が吹きすさぶこの場所では、少し場違いにも感じられた。
しかも、このクソ寒いのに、タンクトップに短パンだ。
いよいよ場違い過ぎて、私は妙に可笑しくて噴き出してしまった。
アルティメットファイターはそんなことお構いなしで、
「このプルーン、美味いな!」
とか、
「おっとガーミン充電しないと。ショー、バックパックからコード引っ張り出してくれ! ...それだ!サンキュー!!」
とか、丑三つ時でも昼間と変わらぬハイテンションをキープする。
ラテン系なのか??
私がアルティメットファイターの素性をあれこれ想像している間に、彼は皿の上に盛られていたプルーンをあらかた食べ尽くすと、
「Thank you very very much!」
とスタッフに向かって言って、私に目配せした。
ほれ行くぞ、と言うことらしい。
私もつられて、
「サンキュー、ベリーベリーマッチ」
と言って、走り出した。
走り出したは良いものの、Learning Rockを折り返すと、そこからは下りだった。
傾斜は比較的緩やかな方だけど、膝の状態はかなり悪化していて、一歩踏み出すごとに軋む様に痛みが走った。
極力、表情には出さないように努力した。
走り方も、悟られない様に気をつけた。
暗くて表情は良く見えないはずだし、走り方も上手く誤魔化せていたつもりだったけど、アルティメットファイターは私に合わせる様にゆっくり走りながら私の走りを暫く観察して、
「お前、膝はどうなんだ?」
と聞いてきた。
痛い。
先ほどまでのハイテンションとは打って変わって、落ち着き、労わる様な彼の優しい問いかけに、素直に弱音が出た。
痛い。
登りは走れるのに、下りが全然走れない。
悔しい。
こんなはずじゃないんだ。
こぼれ出た弱音と共に、微かに目に涙が滲んだ。
黙って聞いていたアルティメットファイターは少し考え込むように間を置いてから、何かを思い付いた様にニヤリと笑って私に問いかけた。
「ここで、止めるのか?」
ああ、そうだったっけ。
1stループの後も、こんなだったんだ。
それでも、ここまで来たんだ。
後、少しじゃないか。
私が精一杯の笑顔で
「大丈夫!続けるよ!」
と答えると、彼は満足気に笑って、
「よし!お前なら出来るぞ!」
と私の肩をバシバシと叩いた。
もちろんだ。
俺は、出来るよ。
「また後で会おう」と言ってスピードを上げたアルティメットファイターの背中が、徐々に真っ暗な闇の中に消えていく。
私はその背中を見送りながら、
「サンキュー、ベリーベリーマッチ」
と呟いた。
貨物車に詰め込まれていたドロップバッグは取り出されて外に並べられており、中には代わりにパイプ椅子が並べられていて、毛布をかぶった選手達がガタガタ震えていた。
まるで野戦病院だ。
時間の経過と共に気温はぐんぐん下がり、ピークに近い吹きさらしのTWには一層冷たい風がびゅうびゅう吹いていて、体感温度はかなり低い。
行動中こそ余り寒さを感じなかったものの、動きを止めるとやっぱり寒くて、ドロップバッグに用意したお粥や雑炊には手を付けられず、行動食と水を補充するだけですぐに出発することにした。
3rdループのルートは、一度TWまで登った後、そこを基点に小さなループを2つ周る設定になっている。
まず1つ目の小ループは、北西側の山をぐるりと周る約11km。
途中まで2ndループと同じだったので、暗闇の中であってもルートファインディングは比較的容易だった。
体力的には、まだ余裕がある。
眠気もないし、体調も良い。
問題は、痛めた膝だった。
TWに行くまでは登り基調でそれ程問題はなかったものの、そこからの小ループではかなり苦戦した。
まずはだらだらと急傾斜の下りが続き、そこでペースがガクンと落ち、度々足を止めることになった。
傾斜が急になると普通に歩いて下りることもままならないので、カニ歩きしたり、後ろ向きで下りるしかない。
程なくグッドマンのおじさんとジーンに立て続けに抜かれ、続いて数人のランナーにもかわされて、どんどん位置を下げていった。
悔しい。
歯がゆい。
でも、仕方がない。
とにかく、マイペースだ。
九十九折りの坂道を下りて行くと、途中の分岐でスタッフが待機していた。
スタッフは私が3rdループの選手であることを確認すると、細い巻道を進むように指示した。
巻道は山の斜面を巻きながら徐々に標高を下げて行き、細い谷へと続いていた。
月明かりも射さない谷底は、どす黒く真っ暗だ。
頭と腰に着けたダブルのライトをフルパワーに切り替えて、足下に注意しながら進んだ。
谷底の細い道を抜けて少し開けた場所に出ると、そこから登りに変わった。
登りになると、膝の痛みが和らぐのでホッとした。
ぐいぐいと登って行くと視線の先にチカチカと光るヘッドライトの灯りが見えて来て、それが徐々に近づいて来るのも励みになった。
順調に進んで数人の選手をかわし、グッドマンのおじさんとジーンを再び捉えた。
ほぼ同じ位置にいた2人は私の姿を確認すると、
「そろそろ来ると思ったよ」
と言って笑った。
その後も下りで抜かれ、登りで抜いてを繰り返しながら進んでいたけれど、ジーンは少し疲れたのか、登りで失速して姿が見えなくなった。
一方、グッドマンのおじさんは相変わらず安定した走りだった。
登りは力強く歩き続け、下りはどすどすと音がしそうな走りで距離を延ばしていく。
私は暫くおじさんと前後しながら進んでいたけれど、九十九折りの長い登り区間で私が抜け出し、そこから単独になった。
徐々に標高を上げ、広い尾根に出た。
ピーク付近は風が強く、やっぱり寒い。
体感的な距離と時間からして、そろそろTWだろうな、と思っていると、こんもりとした丘を巻いたところで下に眩い灯りが見えた。
TWだ。
TWに着いて、スタッフにチェックを受けた。
相変わらず、沢山の選手が毛布に身を包んでブルブル震えている。
風は変わらず冷たくて、気温は先程よりも一段と低くなっている様に感じた。
スタッフが出してくれた温かいパンプキンスープと茹でたじゃがいもも、行動食を詰め替えて水を補充している少しの間に、すっかり冷えてしまった。
それでも、自分で用意していた冷え切ったお粥やゼリーなどよりも、全然ありがたい。
スープとじゃがいもをセットでお代わりして胃の中に収めると、お腹の底がホカホカと温かくなった様に感じられた。
スタッフにお礼を言って、次の小ループに向かった。
2つ目の小ループは、Learning Rockまで行って折り返し、そこから南側の斜面を巻きながら、下って登り返す13kmだ。
この小ループが終われば、後はゴールに戻るだけなので、気持ち的にはここが頑張りどころだと思う。
まずはLearning Rockまで登る。
暗くて景色は分からないけれど、一度通っている道なので雰囲気で何となく距離感は分かる。
最後の長い登り坂を一気に走りきり、Learning Rockに辿り着いた。
チェックポイントには、2ndループで来た時と同様にテーブルが置かれていて、その上にポリタンクに入った水と、山盛りのプルーンが置いてあった。
でも、スタッフの姿はない。
どこかで待機しているのだろう。
奥のスペースに張られたテントから灯りが漏れていたので、声を掛けるとスタッフが顔を出した。
Learning Rockは3rdループで最も標高の高い場所にあり、加えて草木の生えない岩だらけの地形で吹きさらしなので、当然寒い。
ここで夜を徹して待機するスタッフは大変だ。
名前と番号を告げてチェックを受けていると、続いて選手が到着した。
暗闇に浮かぶ、イカツイ肩のシルエット。
ちょっと懐かしいその顔は、1stループを終えた時にテントで会った、坊主頭のアルティメットファイターだった。
「おお、お前、頑張ってるな!」
と、明るく響く彼の声は、轟々と冷たい風が吹きすさぶこの場所では、少し場違いにも感じられた。
しかも、このクソ寒いのに、タンクトップに短パンだ。
いよいよ場違い過ぎて、私は妙に可笑しくて噴き出してしまった。
アルティメットファイターはそんなことお構いなしで、
「このプルーン、美味いな!」
とか、
「おっとガーミン充電しないと。ショー、バックパックからコード引っ張り出してくれ! ...それだ!サンキュー!!」
とか、丑三つ時でも昼間と変わらぬハイテンションをキープする。
ラテン系なのか??
私がアルティメットファイターの素性をあれこれ想像している間に、彼は皿の上に盛られていたプルーンをあらかた食べ尽くすと、
「Thank you very very much!」
とスタッフに向かって言って、私に目配せした。
ほれ行くぞ、と言うことらしい。
私もつられて、
「サンキュー、ベリーベリーマッチ」
と言って、走り出した。
走り出したは良いものの、Learning Rockを折り返すと、そこからは下りだった。
傾斜は比較的緩やかな方だけど、膝の状態はかなり悪化していて、一歩踏み出すごとに軋む様に痛みが走った。
極力、表情には出さないように努力した。
走り方も、悟られない様に気をつけた。
暗くて表情は良く見えないはずだし、走り方も上手く誤魔化せていたつもりだったけど、アルティメットファイターは私に合わせる様にゆっくり走りながら私の走りを暫く観察して、
「お前、膝はどうなんだ?」
と聞いてきた。
痛い。
先ほどまでのハイテンションとは打って変わって、落ち着き、労わる様な彼の優しい問いかけに、素直に弱音が出た。
痛い。
登りは走れるのに、下りが全然走れない。
悔しい。
こんなはずじゃないんだ。
こぼれ出た弱音と共に、微かに目に涙が滲んだ。
黙って聞いていたアルティメットファイターは少し考え込むように間を置いてから、何かを思い付いた様にニヤリと笑って私に問いかけた。
「ここで、止めるのか?」
ああ、そうだったっけ。
1stループの後も、こんなだったんだ。
それでも、ここまで来たんだ。
後、少しじゃないか。
私が精一杯の笑顔で
「大丈夫!続けるよ!」
と答えると、彼は満足気に笑って、
「よし!お前なら出来るぞ!」
と私の肩をバシバシと叩いた。
もちろんだ。
俺は、出来るよ。
「また後で会おう」と言ってスピードを上げたアルティメットファイターの背中が、徐々に真っ暗な闇の中に消えていく。
私はその背中を見送りながら、
「サンキュー、ベリーベリーマッチ」
と呟いた。