走るんです!

山が好き。
走るのが好き。
翔ぶのが好き。

もっともっと、観たことのない景色と、感じたことのない感動を求めてチャレンジを続けたい。

自身の備忘録として記録しており、更新は不定期で非公開です。

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三峰岳の手前までは樹林帯が続く。

試走した時は結構道が荒れていて、夜間に通ることになった場合はルートファインディングに気を使いそうな印象だったけれど、本大会では明るい時間に通ることになったので問題はなかった。


緩い傾斜のアップダウンを繰り返しながら、徐々に標高を上げていく。

単調な樹林帯を黙々と進んでいると、段々と疲労を感じ始め、少しずつペースが落ちた。

2日目も、3日目もそうだった。

陽が高くなり、気温が上がると一気に疲れが出てくる。

当然、レースの後半になればなるほど疲労も溜まってくる訳で、休憩後こそ元気になったように思えても、時間が経つと当たり前のように失速した。

復活しては失速し、我慢を続けてまた復活する。

その繰り返しだ。

身体の調子と共に精神的にも浮き沈みを繰り返しながら前に進む。

大事なのは、まず気持ちで負けないこと。

弱気になると、それに引き摺られるようにして身体が一気に動かなくなる。

ここは我慢の時間帯だ。


脚に疲労が溜まってきたな、と感じたところで腰をおろし、仙丈小屋で買ったパンを食べながら休憩した。

小まめに行動食を食べながら進み、疲労で脚が動かなくなる前に小休憩をとって脚を休ませる。

それが、南アルプスに入る前に自分の考えた基本的なプランだった。


それは、ある程度上手く行っていたと思う。

しかし、4日目は疲労に加えて日中でも強い眠気を感じた。

疲労、睡眠不足に薄い空気。

眠気の原因は、色々あると思う。

深呼吸したり、歌を歌ったりして眠気を誤魔化しながら進み、それでもダメな時は立ち止まって数秒目を瞑ったりした。

サングラスで視界がうっすら暗いだけでも眠くなるので、サングラスもはずした。

とにかく眠たかった。



三峰岳が近くなると傾斜が急になり、細いハイマツ帯を通ってぐんぐん標高を上げて行くと岩場の稜線に出た。

三峰岳はすぐ目の前に見えるけれど、ペースが上がらなくてなかなか近づいてこない。

上手く動かない身体がもどかった。


でも、あと少しだ。

三峰岳を越えて熊ノ平小屋まで行けば休憩できる。

小屋でしっかり食べて休憩すれば、また少しは回復するはずだ。

そうしたら、また進める。


小屋を一つ一つ繋いで行けば、山を越えていける。

計画は十分に練ってきたし、シミュレーションも繰り返してきた。

疲労も、失速も織り込み済みだ。

不安は全くなかった。



岩尾根を登って三峰岳へ辿り着き、分岐で三国平へ進むと、眼下に広がる山の斜面に熊ノ平小屋が見えた。

あそこに人がいる、と思うだけでホッとする。

山の斜面を通って稜線を巻きながら下り、テント場を通って小屋に向かった。


テント場には学生らしき若者達がテントを張っていて、テントからひょっこり顔を出したメガネ君が、

「応援してます!」

と声を掛けてくれた。

若人よ、ありがとう。



テント場を抜けて熊ノ平小屋に到着した。

小屋の前には木で組まれたテラスがあり、展望が良い。

テラスでは沢山の人が休憩していて、私の到着を拍手で迎えてくれた。


ペコリと頭を下げてザックを下ろし、小屋に入る。

牛丼つゆだくを注文し、ポカリとお茶、フルーツゼリーを購入した。


小屋のご主人は「小屋の中で休憩してはどうか」と勧めてくれたけれど、室内で座って休むと眠気に襲われそうなので、外で食べることにした。

室内で寝てしまったら即失格になってしまうので、それだけは避けたかった。

幸い、天気も良い。

ちょうど良く日陰になった小屋の前は、景色も良くて食事休憩をするには絶好の場所だった。



食事をしていると、間近にテレビカメラが寄って来た。

どう対応して良いのか分からなくて黙って食事を続けると、カメラも黙って撮り続けた。


カメラのレンズがロボットの目玉みたいに見える。

その無機質な目玉にじーっと見つめられると、箸を持つ手が重たくなった。

視界の端にチラチラと見え隠れするカメラが鬱陶しい。

動物園で見世物にされている動物になったような気分だった。


気まずい雰囲気だったけど、こちらから話しかける話題もない。

私が黙って食事を続けていると、他の登山客の人達も、遠慮がちにその様子を遠目に眺めていた。

ちょっと腫れ物に触るような感じの、変な空気が充満した。

なんだか息苦しい。


沈黙に飽きたのか、撮影スタッフが質問を始めた。

私はその場を覆っている嫌な空気が変わることを期待して、「おお、ナイスだ!」と思ったけれど、そこで投げかけられた質問は、
「仕事は何をしているのか」とか
「過去の運動歴は」とか
「山に登り始めたきっかけは」とか、
「それ、今聞く必要があるの?」って思うような質問ばかりだった。

「別にいいけどさ」と思いながら返事をしようとしたけれど、答えがすらすらと出てこない。

食事の箸を止めて、うーん、といちいち考え込んで、やっと答えをひねり出した。

レース後半に入って、頭もかなり疲れていたらしい。


そんな調子で質問が続いた為、食事はなかなか進まなくて、頭は益々疲れた。

質問の答えも、支離滅裂だったのではないかと思う。

自分のあまりのポンコツぶりに、申し訳ない気分になった。


たぶん、スタッフもその場の変な空気に耐えかねて、気を利かせてとりあえず質問をしただけだったのではないかと思う。

こんなことになるなら自分から話題を振っておけば良かったと後悔した。




熊ノ平を過ぎたら次はいよいよ塩見岳、という気分になるけれど、その前に安倍荒倉岳、新蛇抜山、北荒川岳と大小のピークが続く。

それが結構長くて、地味に疲れる。


樹林帯を進んで新蛇抜山のピークを巻いて越えると、その先の開けた尾根から北荒川岳と塩見岳が見えた。

右に大きく湾曲した尾根の先にあるこんもりとしたピークが北荒川岳で、そこを越えた先に見えるギザギザの岩稜が塩見岳だ。

試走して分かっていたことだけど、やっと見えた塩見岳は遥かに遠かった。


4日目の行程は、「日没前に塩見岳を越えること」がポイントになると考えていた。

塩見岳を東峰から西峰へと抜けていくルートは、ガレた岩場の急斜面が連続していて危険な上、ルートが分かりにくい。

視界の良い日中であれば全く問題ないだろうけど、濃いガスがかかっていたり、夜間に通るとなると、かなり神経を使うことになる。

塩見岳を越えればそこからはイージーな樹林帯が続くので、4日目は塩見岳を越えるまでが頑張りどころだと思っていた。


遠くから眺めた塩見岳の稜線には、うっすらとガスがかかっていた。

時間は日没前に越えられるかどうか微妙なところだ。

ここは多少無理してでも頑張らなければならない。

陽射しが強く気温も高かったので、身体がオーバーヒートしないギリギリのペースで先を急いだ。



北荒川岳を越え、塩見岳へ続く斜面に取り付いた。

稜線を見上げると、やや傾いて来た太陽が落とす陽射しで稜線がぼうっと輝いている。

ハイマツの茂る斜面を大急ぎでよじ登り、北俣岳分岐から塩見岳へ向かうと、塩見岳の東峰手前で藤巻さんが待ち構えていた。

藤巻さんはとても気の良いニイチャンって感じのカメラマンで、私は下の名前の読み方が一緒ということもあって勝手に親近感を持っている。


藤巻さんは稜線に這い上がってきた私を迎えると、

「待ってましたよ渡部さん!今、一番良い光が入る時間なんです。いやー、朝から待ってた甲斐がありましたよ!」

と喜んでくれた。

「良い光が入る」ってフレーズが、いかにもカメラマンって感じでカッコ良い。

私はとにかく一刻も早く塩見岳を抜けたかったのだけど、折角の「良い光が入る」時間帯の景色をしっかり味わっておこうと稜線から南西側を眺めると、そこには本当に美しい景色が広がっていた。

山と、雲海と、夕陽と。

言葉で表現しようとすると陳腐になってしまうので、それ以上言えない。

とにかく美しくて、素晴らしい眺めだった。


ノリノリの藤巻さんは、私に西峰でポーズをとって欲しいとリクエストした。

俺なんかで大丈夫?って思ったけれど、「シルエットだけで大丈夫っす」と言われて、ああそうなのか、と納得して西峰で『夕陽を眺める人』って感じのポーズをとった。


三伏峠に着いた後、その時の写真を見せてもらったけれど、本当に素晴らしい写真だった。

自分で写真を撮ると、まず間違いなく肉眼で見た時の感動は半分も表せないものだけれど、藤巻さんの撮った写真は本当に素晴らしくて、その光景を見た時の感動、風の冷たさと陽射しの温かさ、空気の匂いまで感じられるような気がした。

ああ、やっぱりプロって凄いんだな、と感動した。




【CP20:塩見岳 8月10日(4日目)18:15】

西峰で到着時間を確認し、三伏峠へと続く下りに向かった。


ガレた急斜面を慎重に下る。

ところどころ足場が細い場所もあり、滑落したら奈落のそこまでまっ逆さまなので注意が必要だ。

赤いペンキマークでルートが示されているけれど、視界が悪い状態で進むことになったらかなり苦労するだろうし、緊張感があると思う。

ギリギリ明るい時間帯に岩稜地帯を抜けることが出来て、ホッと胸を撫で下ろした。



岩場が終わると、そのすぐ下にはハイマツ帯が広がっている。

塩見岳の肩にあたる場所には塩見小屋があり、飲み物やスナック類が購入できるけれど、小屋の利用時間を過ぎていたのでそのままスルーした。

これから夜間行動になるので、補給は行動食のみになる。

三伏峠、高山裏避難小屋はスルーして、次に小屋で食事が出来るのは荒川小屋か、赤石岳避難小屋ということになるだろう。


長いな、と思った。

日中の暑さも辛いけど、小屋で食事休憩が出来ない夜間行動はもっと辛い。

レース後半に入って食べることが一番の楽しみになっていたので、行動食のみで進む夜間は精神的に辛かった。



ハイマツ帯を通る細い登山道を下り、樹林帯に入った。

次のチェックポイントの三伏峠までの間には、顕著なピークはないものの、細かなアップダウンを繰り返しながら景色の変わらない似たような道が続く。

陽が沈んで暗くなると、それこそどこまで行っても同じような景色が続いて、どれだけ進んだのか、どれだけ時間が経ったのかも段々あやふやになってきた。

三伏峠に向かっていても、どのみちスルーするだけなので、テンションも上がらない。

集中力が落ちたのか、また強い眠気に襲われた。


眠い。

完全に陽が落ちて真っ暗になると、一層強い眠気が襲ってきた。

ゆらゆらと揺れるヘッドライトの明かりをじっと見つめていると、催眠術をかけられているような気分になった。

強烈な眠気で頭がぼんやりとして、ぐらんぐらんする。

平衡感覚が怪しい。

樹林帯のちょっとした坂道であっても、足を滑らせたり、躓いたりして転べば、簡単に骨折くらいする。

これはちょっと危険だな、と思った。


「目を覚ませバカヤロウ!」と心の中で自分を怒鳴りつけても、私の頭は素っ気無くすんとして眠りにつこうとする。

歌を歌ったり、叫んだり、ほっぺたをつねったりした。

でも、どれだけ大声で歌っても、どれだけ怒鳴り散らしても、ほっぺたが捻じ切れるくらい力いっぱいつねっても、全く効き目がなくって、頭はとろんとして、まぶたは「もう店じまいです」と言わんばかりに閉じようとした。

眠くて、眠くて、仕方がない。


その時、「そう言えば!」と天啓に撃たれたように思いついた。

まだ私が幼稚園児だった時のこと。

遠足の前日に興奮して眠れなくなるというベタな展開に困った私は、これまたベタに羊の数を数えるという世界中の子供達が一度はお世話になったであろう方法で眠りに落ちようと試みた。

ところが、羊が100匹になっても、200匹になっても全く眠気は訪れず、むしろ意識がハッキリして、目が覚めてしまったのだ。
(そして遠足でお弁当を食べながら寝落ちした)


これだ。


早速、羊の数を数えてみた。


1匹、2匹。。。。。。。眠い。


10匹と行かないうちに歩きながら寝落ちしそうになった。


肝心な時に全く役に立たない。いや、効果があったということなのか。

でも、どっちでも良い。

もう二度と羊の数なんてかぞえてやらない。

そして、とにかく眠くて堪らないのだ。



もう、寝るしかない。

座り込んで目をつぶり、30秒数えて目を開けた。

パッと目を開くと少しだけ頭がクリアになった気がして、その後しばらくは快調に進むことができた。

でも、しばらくするとプツリと電池が切れたように思考が回らなくなり、また進めなくなった。


30秒の瞑想を繰り返しながら進み続け、それでも眠気が消えなくなると、体育座りで5分仮眠した。

大して離れていないはずの三伏峠が、とても遠かった。



計画では、三伏峠から更に先にある高山裏避難小屋のテント場で仮眠することになっていた。

現時点では計画よりも少し早いくらいのペースで来ている。

でも、迷った。


どうしよう。

進むべきか、三伏峠で仮眠するべきか。


このまま進んでもペースは上がらず、高山裏避難小屋に到着するのは大きく遅れるような気がする。

それならば、三伏峠で早めの仮眠をとってから進んだ方が効率が良いのではないか。


いやまて。

三伏峠で仮眠すると、その分5日目の工程が長くなる。

今の身体で、それが可能なのだろうか。

そのまま計画を下方修正し続け、ジリ貧になってしまうことにならないだろうか。


自分は『効率』を言い訳にして、ただ眠気に負けて楽な方に逃げようとしているだけではないのか。


半分働かなくなった頭で、悶々と考え続けた。



もう何回登ったか分からないような似たようなピークを越えると、その先にも、また見たような登りが続いていた。

溜息交じりに登っていくと、少し開けたハイマツ帯に出た。

風が冷たい。


ハイマツの中を進んでいくとのっぺりとしたピークに「三伏山」の標識があり、その眼下に広がる真っ暗な樹林帯の中に、幾つか小さな光が見えた。



やった。

やっと、三伏峠に着いた。
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出発する私を、畑中さんと武田さんが見送ってくれた。


私は、ちょっと弱気に見えたのかも知れない。

畑中さんが

「大丈夫。ここまで来たら、皆ボロボロだから。」

と声を掛けてくれた。

私はその言葉を驚くほどすんなりと受け容れて、「ああ、そうなのか」と思った。


苦しいのは、皆一緒。

苦しいのも、痛いのも、眠いのも、暑いのも寒いのも、皆一緒だ。


「ゴールで待っとるぞ。皆、待っとるからな。」

そう言って送り出してくれる畑中さんと固い握手をして、入野谷を出た。


「ゴール」とか「皆」とか、そんなワードを聞くだけで泣きそうになる。

「待っている」なんて言葉は反則級に強烈で、私は出発して背中を向けると、堪え切れずに大粒の涙をこぼした。



【CP18:市野瀬/入野谷 発 8月10日(4日目)02:28】

風があって、少し肌寒い。

歩いていると少しずつ体温があがり、脚が適度にほぐれたところで少しずつペースを上げた。


軽い。

大丈夫だ。

まだまだ走れる。


九十九折のロードを歩きを入れながら上り、柏木の登山道に辿り着いた。

いよいよ、南アルプスに入る。



南アルプスは、深くて、長く、厳しい。

コースは全長100kmを越え、仙丈ヶ岳、塩見岳、荒川岳、赤石岳、聖岳の100名山に加えて、他にも標高2500mを超えるピークを幾つも越えていかなければならない。

距離的には全行程の半分をとうに過ぎてはいるけれど、実質、この南アルプスに入ってやっと半分、と言うところだと思う。

勝負はこれからだ。



柏木の集落の裏手にある登山口から南アルプスに入った。

ここから地蔵尾根を通って、標高3033mの仙丈ヶ岳を目指す。

登山口からの標高差は約1900mあり、仙丈ヶ岳の手前で森林限界を越えるまでは、殆ど眺望のない鬱蒼とした樹林帯が続く。

多少藪っぽい場所も幾つかあり、夜間に通るのは少し不安ではあったけど、実際に足を踏み入れてみると視界が狭くてもしっかりと道を記憶していて、迷うことは全くなかった。



身体は期待していた以上に良く動いた。

お風呂に入って筋肉をほぐせたこと、時間をかけてアイシング出来たことが大きかったと思う。

睡眠がイマイチで多少眠気はあったものの、松峰小屋の辺りで明るくなってくると、意識もクリアになった。


ただ、それも長続きしないことは分かっていた。

天気予報では、まだ暫く晴天が続く。

2日目、3日目の感じから、仮眠後の早朝、比較的涼しい時間帯には身体が良く動くけれど、陽が高くなって気温が上がるにつれて疲労が噴出して来て失速する、というパターンになると予想していた。

大事なのは、日中にしっかりエネルギーを摂りながら、失速を最小限に抑えて前に進み続けることだ。

北アルプスと中央アルプスでは行動食をメインにし、小屋の休憩時間を削って進んできたけれど、南アルプスでは行動食を小まめに食べつつ、小屋を最大限に活用して進む作戦に変えていこうと考えていた。



歩きなれた地蔵尾根を快調に進んだ。

選考会の時はここで地図読みのポイントがあったな、とか、ここで誰々と会って話をしたな、とか、そんなことを思い出しながら進んだ。


選考会は大荒れの天気で何も見えなかった丸山谷ノ頭も、快晴の本大会では最高の眺めを楽しむことが出来た。

駒ヶ根の街を挟み、その先には中央アルプスと、更に遠望には北アルプスも見える。

自分がその峰々を越えてここまで来たのだと思うと、興奮と感動で胸が奮えた。



森林限界を越えて稜線に出る頃には、すっかり陽が昇っていた。

陽射しが強くて、眩しい。

気温も上がって暑かったけれど、そこそこ風があって快適だった。


仙丈ヶ岳ピーク手前の分岐で仙丈小屋に下りた。

小屋に入るとご主人が笑顔で迎えてくれて、カレーを注文すると皿から零れ落ちそうな超大盛りのカレーライスが出て来た。

喜ぶ私を、ご主人が「どうだ!」って顔で見ていた。

絶好調なら一気に平らげるところだったけど、胃腸の調子があまり良くなかったし、補給を慎重にしていかなければならないと思っていたので、一口一口、しっかり噛んで飲み込んだ。


食事をしながら、これまでのレースを振り返りながら話をした。

ご主人はTJARに対してとても好意的で、タブレットPCで各選手の位置を確認しながら選手の到着を待っていたらしい。

「今年は天気が良いなー」とか「暑いから水切れしないように」とか、度々タブレットPCを見ては誰々がどこそこまで来てる、とか、とにかく凄く楽しそうで、こちらまで楽しい気分になった。

私が、「石田さんももうすぐ来ますね」と言うと、凄く嬉しそうだった。

ご主人は石田さんの大ファンなのだ。



超盛りカレーをしっかり完食し、菓子パンとお茶、ポカリを購入して出発した。

はち切れそうなほどお腹がパンパンで、歩くのも苦しい。

走ったら吐いてしまいそうだったので、お腹が落ち着くまではゆっくり歩くことにした。


幸い、今日も快晴で景色は良い。

絶好のハイキング日和だ。


重たいお腹を抱えてノロノロと仙丈カールを登り返し、大勢の登山客で賑わう仙丈ヶ岳を通って仙塩尾根に向かった。



【CP19:仙丈ヶ岳 8月10日(4日目)08:55】

高く昇った太陽が強烈な陽射しを降り注いでいて、むき出しの稜線はとても暑かった。


仙丈ヶ岳から南に向かって視線を伸ばすと、見渡す限りどこまでもどこまでも山が続いている。

南東方向に北岳、間ノ岳がに聳え立ち、そこから南西にのびる稜線を辿ったずっと奥に、塩見岳と思われるピークが見えた。

4日目は、その塩見岳を越えて更にその先にある、荒川岳の手前の高山裏避難小屋まで行く計画だった。

4日目で高山裏避難小屋まで行くことが出来れば、6日切りでのゴールがかなり現実的になる。

青い空と白みがかった水平線の狭間に浮かぶ塩見岳は、僅かに霞んでとても遠く見えたけれど、そこを越えた先にある光景を想像すると大きく胸が高鳴った。



大仙丈ヶ岳を越える頃にはお腹もこ慣れて来て、少しずつペースを上げて走った。


大仙丈ヶ岳から先は下り基調になり、苳ノ平へ下りる手前で樹林帯に入る。

比較的アップダウンは少ない区間で、野呂川越までは選考会と同じルートで走りなれた道であることもあり、快調に走ることが出来た。

適度にテクニカルな下りをリズミカルに駆け下りて、緩やかな傾斜の登りを呼吸を弾ませながら走った。


楽しい。

青々と茂る木々が落とすまだら模様の木漏れ日も、時折ふわっと通り抜ける冷たい風も、踏み込む度に感じる足裏の柔らかい土の感触と沸き立つ土の匂いも、全てが心地良くてこの上ない幸せを感じた。



伊那荒倉岳、独標を越えて横川岳へ向かう途中で、視界の端にカメラが見えた。

構わずそのまま駆け抜けると、カメラが追いかけて来た。


全然振り切れない。

カメラは後方、左右と位置を変え、山の中を縦横無尽に走りながら撮影を続けた。


この人凄いな、と思いながら走っていると、カメラが先回りして前に来たその瞬間、そのカメラを持っているのが田中正人さんだと気付いて

(うわー、やっちまった)

と思った。


言わずと知れた日本アドベンチャーレースの第一人者。

TJAR実行委員副委員長で、TJAR優勝経験もあるレジェンドだ。

私はTJARのシミュレーションをする際、2008年に田中正人さんが優勝した時の記録を参考にさせてもらっていたこともあり、密かに憧れと尊敬の念を抱いていた。

にも関わらず、挨拶なしに無視して駆け抜けてしまうとは、何たる失態。

やっちまった感でいっぱいだったけれど、このタイミングで挨拶するのも変な気がしたので結局そのまま走り続けた。


なんだか気まずい。

撮影しているのが田中隊長だと思うと、ちょっと緊張した。

コケたらどうしよう、と心配しながら走り続けた。


隊長は前後左右から撮影を続け、時折スピードアップして先回りして、私が走ってくるのを正面から撮ったりしていた。

急傾斜の下り斜面を駆け下りていくその姿は、間近で見ると野生の獣の様に躍動感があり、カッコ良かった。


やっぱり凄い。

私は視界の端でその走りを観察しながら、その走りに引っ張られる様に走り続けた。

夢のような、凄く贅沢な時間だった。

ひょっとしたら、全区間で一番良い走りが出来た区間だったかも知れない。



走りながら隊長のインタビューを受けた。


「今の自分の位置についてどう思うか」

「今大会の目標は」

「大会に向けてどんなトレーニングをして来たか」

そんなことを聞かれて、他のインタビュアーには申し訳ないけれど、私はそれを世間話のように無邪気に楽しんだ。

仕方がないよ、人間だもの。


私は調子に乗ってパラグライダースクールの皆に寄せ書きしてもらったヘルメットの自慢までして、X-Alpsの話で盛り上がった。

隊長はパラグライダー界のカリスマ、扇沢さんとも親交があるらしい。

頭の中で二人が並んでいるところを想像してみた。

凄く豪華な絵面で、思わずニヤけてしまった。


後日、扇沢さんに会った時、隊長からメールが来たと教えてくれた。

「X-Alpsに出れないか」という内容で、扇沢さんは「あいつは飛びが全然ダメ」と答えたらしい。

はい、精進します。



野呂川越の手前でインタビューを終えて、楽しかったランデブーも終了した。

これからまた、一人旅。

ゴールは、まだ遠い。
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駒ヶ根はオアシスだ。

TJARの全コース中、最後の静岡駅周辺を除けば最もお店が揃っている場所で、コンビニ、レストラン、ファミレスにお風呂、コインランドリーまで、何でもある。

北アルプスと中央アルプスを越え、これから長大な南アルプスに向かおうというタイミングで現れるのもナイスだ。

中央アルプスを登っている時は「とりあえず駒ヶ根まで行こう」という希望になるし、駒ヶ根でしっかり補給できれば「南アルプスも頑張ろう」という励みにもなると思う。


それに加えて、選考会が行われた場所であることから、地理的に明るいことも大きい。

私は選考会前の下見と選考会、本大会前の試走を合わせると今シーズンだけで5回は走っていたので、ちょっとしたホームコースの様な感覚すらあった。

勿論、本大会ではそのどれよりもボロボロな状態で走ることになった訳だけれど、見慣れた街並み、走りなれた道を走るという感覚だけでも、気持ち的にはかなり救われたと思う。

やはり、試走は大事だ。



駒ヶ根高原から駒ヶ根駅に向かって下りていくと、お店も段々増えてくる。

駒ヶ根の名物と言えばソースカツ丼だと思うけれど、レース中、特に今回の様に暑くて胃腸が弱っている時に食べるにはちょっと重い。

出来るだけ食べやすく、かつ注文してすぐに食べられる物を、と考えていくと、コンビニだろうという結論に落ち着いた。

駒ヶ根駅を越えた先にあるファミリーマートには店内に休憩スペースがあり、涼しい店内で休憩しながら食事を出来る。

事前の下見でそれもチェック済みだったので、迷わずファミリーマートを目指した。



何を食べようか考えながらコンビニを目指して走っていると、道路沿いのお土産屋さんの前に設置されているソフトクリームのディスプレイが目に留まった。

美味しそうだ。。。

頭で考えるよりも先に身体が動き、気がつくとブルーベリーのパフェとカフェオレ、マンゴーのすりおろしジュースを注文していた。


これから食事をしようというのにデザートを先に食べてしまうのはどうだろう、と思ったけれど、一口食べるとこの世の物とは思えないほど美味しくて、余計なことは一切忘れて冷たいデザートに熱中した。

ベンチに座ってスイーツを貪っているところを、NHKのスタッフが撮影に来た。

なぜだか凄く嬉しそうにあれこれ質問されて、ちょっと恥ずかしかった。


質問の内容はあまり良く覚えていないけれど、紺野さんが中央アルプスを下りて元気そうに進んでいることを聞いて嬉しかったことは覚えている。

紺野さんを抜こうとは思わないのか、と聞かれて、その質問には「それはありません」と答えた。

やっぱり望月さんや紺野さんはちょっと特別で、その領域には自分は達していないと感じていたし、それ以前に、私は今回のレースでは自分のベストを出し切ることにのみ集中したいと思っていた。

他の誰かに勝とうとか、何位以内に入ろうとか、そんな思考は邪魔になるだけだ。


でも、それを聞いた取材スタッフは腑に落ちない様子だった。

その辺りの考え方が上手く伝わらないのは仕方がないと思うし、そんなことはもう慣れっこだったけれど、話が噛み合わないチグハグなその感じは自分が嘘つきだと思われている様な居心地の悪さがあって、
(やっぱりこういうのは苦手だな)
と思った。

相手のことを理解しようとせず、自分で勝手に描いたイメージを相手に投影したり、用意した既定路線に沿ったやりとりしかしようとしない人との会話は、精神的に凄く疲れる。

ただでさえ心身ともに疲れているレース中のそれは、本当に苦痛だった。



スイーツ休憩を終えてコンビニまで走り、パスタと牛乳、麻婆豆腐を食べて、夜食用にサンドイッチを買って市野瀬に向かった。


南アルプスに向かって、東へ、東へと走り、天竜川を越えると道は登り基調になる。

休憩してもあまり身体は回復した感じがしなくて、登り始めるとガクッとスピードが落ち、少し傾斜が急になると走れなくなって歩いてしまった。

やはり選考会の時のようにはいかない。

当然、それは分かっていたけれど、想定以上に身体のダメージは大きかった。


焦らずに、走れるところはしっかり走り、走れないところは無理せずに歩き、大きくペースダウンしないように気をつけながら進んだ。

道の途中途中で応援してくれる人がいたり、通り過ぎる車から声を掛けてくれる人もいたのに、余裕がなくて上手く応えることが出来なかった。

とにかく前に進む事に必死で、それだけで精一杯だった。



山が近づいて来ると段々と建物が減り、傾斜の急な峠道になる。

歩いている人もいないし、車の通りも殆どない。

時折風が草木を揺らす音が聞こえる他は、自分の呼吸音くらいしか聞こえなくて、途中で夕暮れを迎えて徐々に辺りが暗くなっていくと、酷く心細く、寂しく感じられた。

すっかり暗くなった峠道を黙々と登り、中沢峠を越えるとその先は下りが続く。

下りは重力に任せて何とか走り続け、チェックポイントの入野谷まで何とか辿り着いた。



【CP18:市野瀬/入野谷 着 8月9日(3日目)20:28】

入野谷の地下駐車場で到着のチェックを受けた。

紺野さんが仮眠中、朽見さんが入浴中で、望月さんは既に出発した後だった。

私の到着で目を覚ましてしまった紺野さんに挨拶してから、私はデポしていた荷物から着替えを取り出してお風呂に行った。

当初の計画ではお風呂には入らず、ボディシートで身体を拭くだけにして、最低限の食事と睡眠を取ってすぐに出発する予定だったけれど、身体のダメージが想定以上に大きかった為、入野谷でしっかり身体を休めてから南アルプスに向かうことにした。


脱衣所に入ると、ちょうど朽見さんが入浴を終えて出てくるところだった。

腸脛靭帯を痛めてしまったので長めに睡眠を取ってから出発する、と言う朽見さんに、私も長めに休んでから出発することを伝えた。

朽見さんの表情にはまだ余裕があるように見えたので、この時はそれほど深刻には考えなかった。


身体を洗い、温浴と冷浴を繰り返しながら、マッサージとストレッチをした。

お風呂の効果はやっぱり凄い。

身体が芯から温まり、ガチガチに硬くなった筋肉もすっかり柔らかくなって、また元気に走れるような気がして来た。


入浴後、デポしておいた食料で食事をしながら、出発準備をした。

地図と計画表の交換、ヘッドライトの電池交換、行動食の補充、スマホの充電、テーピングの張り直し、脚のアイシングなど、やることは色々ある。

レース中の疲れた頭で一つ一つ思い出しながら準備するのは大変だし、何か忘れてしまったり、忘れてなくても忘れているんじゃないかと不安になるような気がしたので、デポする荷物の中に仮眠前と仮眠後にやるべきことを書いたメモを入れておいた。

おかげで、準備を迷い無くスムーズに進めることが出来たし、やり忘れたことが無いか不安になることもなかった。

ビビリな性格も、こういう場面では役に立つ。

備えあれば憂いなし、だ。



一通り準備を終えると、コンクリートの上に敷かれたブルーシートの上にマットを敷き、着込めるだけ着込んでビヴィに入って眠りに着いた。


途中で何度か起きて、トイレにいった。

お腹の調子が悪くて、下痢気味だった。

標高は低いし、気温もそれほど低くないけれど、胃腸の調子があまり良くない。

山中の露営と比較したら全然眠り易い環境のはずなのに、入野谷での仮眠がレース中では一番上手くいかなくて、それが次の日になって尾を引くことになった。

途中で石田さんが到着して、少しだけ話をしてからまた横になったけれど、私はあまり良く寝付けなくて、すぐに寝息をたてている石田さんが凄く羨ましかった。



結局、浅い眠りの中で寝たり醒めたりを繰り返しながら、起床予定時刻の2時を迎えた。


起き上がろうとするとあり得ないくらいに身体が重くて、まるで背中が地面にべったりと張り付いてしまったみたいに身動きがとれない。

それなら、と寝返りをしようとすると、それは何とか出来そうだった。

ごろ、と左に転がると、背中が地面を離れる瞬間に、「べりっ」っと音が聞こえた様な気がした。

ごろごろ、ごろごろと、ミノ虫の様にビヴィにくるまったまま、右へ左へと寝返りを続けた。

転がっていると、身体が少しずつ重力から開放されて軽くなっていく様な気がした。


だいぶ身体が軽くなったと思えたところで、

「いっせーの、」

と心の中で掛け声を掛けて、お腹に力を溜めていざ起きようとしたけれど、
「せっ」と同時に力が抜けて上手く起き上がれなかった。

頭も重たくて、なんだかぼーっとする。

ミノ虫状態のまま、そこから腕だけ生やして、枕元に用意してあったお粥とサンドイッチを食べた。

食べると胃の中がじんわりと温かくなって、少しだけ元気が出た。



石田さんと朽見さんがまだ寝ていたので、静かに出発準備をした。

これから、長大な南アルプスに入る。

そして、南アルプスを越えれば、いよいよゴールが見えてくる。


この時になって初めて、ゴールを意識した。

これまで快調に進んでいるようでも、常に完走できるか不安でいっぱいだった。

あまりにも先が長過ぎたし、身体のダメージも想定以上に大きくて、ゴールのイメージはずっと曖昧だった。

でも、南アルプスを目前にした時、やっと自分の頭の中で完走までのイメージが現実的に出来上がった気がした。

きっとゴール出来る。

そう思うと、興奮で手が奮えた。



準備を終えて出発のチェックを受けた。

紺野さんは既に出発していて姿がなかったけれど、何時に出発したのかは分からない。

出発記録を確認すれば分かっただろうけど、追うつもりはなかったので確認しなかった。


レース中、追いつくことがあればそれで良いし、背中を見ることが出来なくてもそれで良い。

自分にとって大事なのは、自分のレースをしっかりやり切ることだ。



前回大会で落選してからの2年間、ずっと考え続けていたことがある。


『もし、前回大会に出場することが出来ていたら、自分は今、どうなっていただろう』


勝負の世界で、「もし」とか「たら」「れば」を口にするのは、愚の骨頂だ。

でも、それが分かっていても、私はいつも、何度もそのことを考えては、現実には存在し得ない自分の姿を想像した。


レースの結果は、分からない。

思うような結果が出せなくて悔しい思いをしたかもしれないし、完走すら出来なくて自分に絶望していたかもしれない。

でも、挑戦することすら許されなかった今の自分よりは遥かにマシで、きっとその経験を糧にして、今よりもずっと、ずっと前に、力強く進んでいるに違いないと思った。

私は、自分の遥か先を行くその見えない背中を思い描き、何度も歯噛みして、唇を噛んだ。


悔しい

負けたくない


それが運命だったと言うのなら、その運命に心折られそうになる現状の弱い自分に負けたくなかったし、想像の世界で順調に遥か先を行っているはずの自分には、もっと負けたくなかった。


前回大会で落選したことは、何をどうしたって『良い経験だった』なんて思えない。

それは、今回の大会を終えた今でも変わらないし、これから先だって、絶対に変わらないと思う。


でも、この2年を全くムダなものにはしたくなかった。

単に遠回りしただけの2年間にしてしまったら、それこそ自分の敗北だと思った。



勝ちたい。

想像の世界で自分の遥か先を行く自分を、越えたいと思った。


その為には、2年前の自分では絶対に辿り着けるはずが無いくらいに、圧倒的に強くなるしかないと思った。


自分にとって今回のTJARは、それを証明するためのレースだ。

競う相手は、他の選手じゃなく、自分自身。

弱い自分の心を克服し、自分自身を越えるためのレースだ。



何度も挫けそうになり、諦めそうになった。

でも、ここまで来た。



2年間追い続けた背中を、自分は越えることが出来るだろうか。


答えはきっと、ゴールにある。
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思考を止めて一歩一歩、脚を動かし続けた。

足場が岩場に変わり、よじ登ってピークに出ると、『第一ピーク』の標識がある。

ここは騙しのピークで、本当の空木岳山頂は更に先にある。

もう一ふんばりだ、と自分に言い聞かせて、脚を動かし続けた。



頂上手前でカメラを持った撮影スタッフが追いかけて来た。

ヘロヘロになっているところを撮られるのは癪なので、精一杯元気を装って頂上を目指したけれど、息が続かなくて何度か立ち止まって深呼吸をしながら登った。


苦しい。

手も、脚も重いけれど、あと少しだ。


なんとか頂上に辿り着くと、休憩していた外人さんが拍手して迎えてくれて、その他に何人かいた一般の登山客らしき人達は、カメラ連れで現れた私を怪訝そうに眺めていた。



【CP16:空木岳 8月9日(3日目)13:00?】

あまりにも余裕がなくて、全く時間を覚えていない。

日が高かったし、駒ヶ根高原の到着時間から逆算すると、13時くらいだと思う。


『空木岳』の標識に抱きついて一息つき、これから進む下りの尾根を確認した。

滑り台の様に下っている稜線を下へ下へと辿っていくと、道は途中で樹林帯の中に消え、その樹林帯の先には駒ヶ根の街並みが広がっている。

ここからは殆ど下りだけだ。

カメラから逃げたかったので、早々に下山ルートへ進んだ。



次の目標は、駒ヶ根の市街地だ。

ロードに出て、休憩を入れながら少しずつ進めば今日中に市野瀬に辿り着けるだろうし、そこで長めの休憩を取れば復活するかも知れない。

身体は相変わらずボロボロだったけど、空木岳という一つの目標をクリアしたことで、少しだけ気持ちが前向きになった。


下りに入ると脚が少しフラついて、思ったようには走れなかった。

それでも、まだギリギリ走れる。


不恰好な走りで何とか下っていくと、前方から登ってきた登山客らしき人に「渡部さん!」と名前を呼ばれた。


見覚えがある。

でも、名前が出てこない。


思い出せなくて、あぁ、と苦悶する私に、

「五色ヶ原で会ったえんのすけです!」

と教えてくれた。


2年前、TJARに出られなくなった私は、持て余した夏期休暇で北アルプス主脈の全山縦走をしていた。

その途中、五色ヶ原山荘で出会ったのが、えんのすけさんだった。

その後は連絡を取り合うこともなかったけれど、TJARの出場者リストに私の名前を見つけて応援に来てくれたのだと言う。

このブログの更新もなくなって、ずっと気にかけてくれていたらしい。


えんのすけさんは私の手をしっかりと握り、

「2年前、本当に悔しそうだったから、今回出場できて本当に良かった」

「初出場でここまで4位なんて、本当に凄い」

と労い、喜んでくれた。


嬉しかった。

僅かな縁でしかなかったにも関わらず、こんなにも自分の事を応援してくれる事がありがたくて、ボロボロでダメな自分の走りを喜び、褒めてくれることが嬉しくて、それと同時に2年前の記憶と想いが一気に甦って来て、もう訳が分からなくなって、止めどなく涙が溢れた。


えんのすけさんと話をしていると、空木岳の頂上で振り切ってきたカメラが、ここぞとばかりに追ってきた。

ヤバイ、と思ったけれど、サングラスをかけていていることに気付いて、何とか表情は隠せそうなのでちょっと安心した。

色々話したいことはあったけれど、カメラに張り付かれると何となく話しにくい雰囲気になってしまい、えんのすけさんに「あまり長く引き止めると悪いから」と送り出してもらって、先へ進んだ。

その後もカメラに追いかけ回されてあれこれ聞かれたけれど、どんな質問にどう答えたかは良く覚えていない。

頭の中では、自分の力を出し切って、何とかゴールまで辿り着くことだけを考えていた。

完走したら、きっと喜んでもらえるはずだ。




駒峰ヒュッテはそのままスルーして、その先の分岐は駒石を通るルートを選択した。

ペースは上がらなかったけれど、前向きになったことで雑念は消え、頭の中ではポジティブなイメージを描きながら走ることが出来た。



だらーっと続く開けた尾根を下って樹林帯に入ると、カラっと乾いた暑さが、むわっとこもった暑さに変わった。


息苦しい。

サウナの中で呼吸しているような感じで、大きく息を吸い込むと喉がヒリヒリと痛んだ。


傾斜は緩やかになり、道も綺麗に整備されていて走りやすいはずなのに、ペースは徐々に落ちていった。

どこも痛みはない。

もっと走れるはずなのに、ペースが上がらない。

気持ちの問題だ、と思って、何度か「せーの、」と心の中で掛け声をかけてスピードを上げようとしたけれど、掛け声と共に力強く踏み込んだはずのその足は、豆腐だかスライムだかを踏んだ様なぐにゃりとした感覚で、殆ど推進力を得られずに空しく空回りするだけだった。


どんどんスピードが落ちていく。

最終的には、もう殆ど歩きと変わらないスピードまで落ちてしまい、それでも歩くことだけは拒否して走り続け、なんとか池山の水場に辿り着いた。



ごく、ごくと音を立てて水を飲むと、カラカラに乾ききってひび割れた体中の細胞に、冷たい水が染み渡っていくような気がした。

顔を洗い、首筋や脇、腕や脚を水で冷やして、もう一度水を飲んだ。

飲んでも飲んでも、すぐに身体が乾いていくように感じられた。


水場ではカメラマンの後藤さんが待ち構えていて、その様子を写真に収めていた。

撮影スタッフとはレース中に度々顔を合わせるので、声を掛けてもらっているうちに何となく顔と名前を覚えたのだけど、当然ながら色々な人がいて、良い印象の人もいれば、その逆の人もいる。

あまり社交的でない上に取材されるのが嫌いな私は、撮影スタッフに対して無愛想に対応することが多かったと思うけど、なぜだか数人は波長の会う人がいて、そういう人とは結構話もした。

後藤さんは、その中の一人だ。


後藤さんは私の個人的偏見によるジャンル分けによると、米田さんと同じカテゴリに分類されるタイプで、それはつまり私が一番友達になりたいタイプということだ(当人がどうかは置いておいて)。

穏やかな雰囲気で、なんていうか、図形で例えると楕円形な感じがする。

人当たりが良くてあまり他人にゴリ押ししない、でも芯が強くて、たぶん誰にでも好かれるタイプだと思う。

おまけに後藤さんは爽やかな男前と来ている。

性格が良くて爽やか男前でカメラマンって、どれだけモテモテなんだって思う。

羨ましい。


後藤さんが「少し先で写真撮らせてもらいますから」、と言って先に下りていったので、待ち構えているところをカッコ良く駆け下りたかったのだけど、休憩しても脚はそれほど回復してくれなくて、何とか走っているって感じのヨレヨレな走りになってしまった。

モテキはまだ当分先だな、と思った。



池山の水場から先は、登山道と遊歩道、林道が縦横に通っていて、分岐に設置されている案内板には『登山口まで○○km』の表示があるので、それを見ながら下りて行った。

自然と、その数字を見て残りの距離と時間を考えながら走ることになるのだけど、この数字がなかなか減ってくれない。

更にタチの悪いことに、この数字が急に減ったり、増えたりして、その度に一喜一憂した。

意地悪な誰かに騙されているんじゃないかと思ったけれど、林道終点の駐車場まで辿り着いた時、登山口が更に先にあることを思い出して、『林道終点まで○○km』『登山口まで○○km』の表示が混ざっていたのだと気付いた。

思考力が低下してくるとそんなことにも気付かなくて、身体がヘロヘロだとその程度のことでもダメージが大きい。


試走した時は元気いっぱいで一気に下りきっていたから、そんな表示の残り距離なんて大して意識していなかったのだと思う。

下見をする時は、もっと色々考えながら走らないとダメだな、と思った。



ゆっくりゆっくり下っていくと、下の方から川のせせらぎが聞こえた来た。


もうすぐだ、もうすぐで街に出る

自販機で休もう

コンビニによって、何か美味しい物を食べよう


そんなことばかり考えていた。

とにかく休みたい一心だった。



下りきった先に、明るく、開けた場所が見えてきた。

林道との合流点っぽい。


ヨロヨロと近づいて行くと、

「来ましたよ!」

という声に続いて、「べっくす!」という聞き慣れた声が聞こえた。

なぜだか酷く懐かしく感じられるその声に、条件反射の様に目に涙がにじむ。

声の主はパラグライダースクールの関沢先生で、少し先には、ケイコさんともっちさん、ゆうこりんも応援に来てくれていた。

ゴール地点に迎えに来てくれるとは聞いていたけれど、わざわざ中間地点の駒ヶ根にまで来てくれるとは思っていなかったので、とても驚いたし、嬉しかった。


私は精一杯元気を装って皆のところまで走っていったつもりだったけれど、私の姿を見た皆はかなり心配そうで、若干引き気味だった。

相当日焼けもしていたし、泣き腫らした目をしていたので、その見た目だけでも酷い有様だったのかも知れない。

皆が優しくいたわってくれるので、私はついついその雰囲気に甘えてたくさん弱音を吐いてしまい、余計に皆に心配をかけてしまった気がする。

折角応援に来てくれたのに、気を使わせてしまって申し訳なかったな、と思う。

応援してくれる人達を元気に出来るような、そんな強い人間になりたいと思うけれど、それってなかなか難しい。



【CP17:駒ヶ根高原/菅の台 8月9日(3日目)15:30】

登山口まで下りて、やっとロードに出た。

日向に出るとアスファルトの照り返しがきつくて一層暑い。

小さな公園の水飲み場に行ってザックを下ろし、頭から水をかぶると、頭の芯がじーんとして、

「うあああああああぁぁぁぁぁぁ」

と良く分からない声が出た。


腰を下ろして、ふうーっと一息つく。

出発しようと思ってザックを背負おうとした時、ザックに外付けしていたヘルメットが目に留まり、パラグライダースクールの皆に寄せ書きしてもらっていたことを思い出した。


ヘルメットを手にとって、メッセージを一つ一つ読んでみた。

そこには、思わず笑っちゃうくらいにホッとするような、温かくて、いつも通りの日常が感じられた。



頑張ろう

いつも通り、頑張ろう


大丈夫

いつも、ずっと頑張って来たんだから




県道に出て、駒ヶ根の市街地を見下ろしながらロードを走った。

少し太陽は傾いて来たけれど、まだ陽射しはキツイ。



でも、頑張ろうと思った。

ボロボロでも、走れる。


いつも通り頑張れば、どこまでだって走れると思った。

テーマ:
宝剣岳は切り立った岩場の連続で、ここぞとばかりに沢山のカメラが待ち構えていた。

宝剣山荘で撮影スタッフの方に

「沢山カメラいると思います。。。スミマセン」

と言われていたけれど、登っている最中に声を掛けられることはなかったので、特に支障なく進んだ。


選手は全然平気だったと思うけれど、この岩場でカメラを構えながらって、寧ろそっちの方が危なくて怖かったのではないかと思う。

撮影する方も大変だ。



宝剣岳を越え、極楽平に出ると、暫くは走りやすい道が続く。

ここから先は登山客も少なくて、雄大なアルプスの山を独り占めにしているような贅沢な気分になった。


稜線の東側を見下ろすと、眼下には駒ヶ根の街並みが広がっている。

3000m級のアルプスから、これだけ近くに街がある場所というのも、日本では数少ないと思う。

天気の良い日であれば、おそらく最高の夜景が楽しめるだろうな、と思った。



島田娘を過ぎて、濁沢大峰辺りまで来ると、徐々に岩場が増えて来る。

この辺りで、少しずつ身体に違和感を感じ始めた。

いつもだったら岩場はちょっとした脚休めで、走って、歩いて、よじ登ってを繰り返しながら進んでいけるのだけれど、この日は何かがおかしくて、始めこそ良いペースで進んでいたものの、徐々にペースが落ちていった。

補給もしっかり出来ていたし、どこか故障して痛みがある訳でもないのに、徐々に身体が動かなくなっていく。

段々と陽が高くなって、頭上を遮るものが何もない稜線でモロに陽射しを浴び続けていたからかも知れないし、3日目で溜まってきた疲労がここで一気に出てきたのかも知れない。

身体の中の燃料が空っぽになってしまった様な、そんな感じだった。

補給が足りないのかも知れない思って即効性のあるジェル類を補給してみても、回復しなかった。

ハイマツが身体やザックに干渉するその僅かな抵抗すらしんどくて、自分が進もうとするのを山が阻もうとしている様に感じられて苛立った。


とにかく脚が重たくて、比較的傾斜の緩い場所でも登り切る事が出来なくなり、何度も脚を止めて大きく、深く深呼吸を繰り返した。



苦しい

なんだ

なんなんだ



なんとか檜尾岳を越えたものの、その先に広がる景色はどこまでもどこまでも続くような、険しい岩場の稜線だった。

遠くに見える空木岳に至る間には幾つもの小さなピークが連なっていて、つい先ほどまでワクワクと胸を躍らせていたはずのその景色に、今度は殆ど絶望に近い感情を抱いた。


遠い。

空木岳が、物凄く遠くに感じられた。



ハイマツ帯を喘ぐように進んでいると、背後からザッザッと誰かが歩いてくる音がした。

脚を止めて振り返ると、そこで視界に飛び込んできたのは、力強く歩いてくる紺野さんの姿だった。


凄く嬉しかった。


紺野さんはニッコリと笑って、

「お疲れ様」

と私に声を掛けて、そのまま力強い足取りで登っていった。



凄い。

あの状態から復活するんだ。

本当に、凄い人だ。


紺野さんの背中は、あっという間に小さくなり、そして見えなくなった。



私は、

(よし、自分も)

と思って頑張ろうとしたけれど、前向きな気持ちとは裏腹に、身体は全く動いてくれなかった。

走るのはヨレヨレで、登りでは何度も立ち止まり、脚だけではなく腕の力もなくなってきて、岩場でも何度も休憩を入れて深呼吸をした。

そうしなければ進めなくなっていた。


空を仰ぐ様に深呼吸を繰り返し、乱れた呼吸を整えていると、高く上った太陽が強烈な陽射しを燦々と浴びせかけてきた。


暑い。

肌が焼かれるジリジリという音が聞こえてきそうな程に陽射しが強くて、体力と共に心まで削られていくような気がした。



もう、駒ヶ根だ、市野瀬だ、なんて考えられなかった。

空木岳すら遠すぎて、そんなことを考えても、希望なんて感じられなくなっていた。


空木岳の手前のコルには、木曽殿山荘がある。

とにかく、そこまで行こう。

そこでしっかり食べて、少し休憩すれば、また復活出来るかも知れない。

紺野さんだって、ボロボロになっても復活して、前に進んでいるんだ。

自分だって出来るはず。

自分だって、頑張りたい。


そう思った。



途中、応援しながら縦走している人に会って、声を掛けてもらった。

紺野さん、朽見さんと、どこどこで何時間だか前にすれ違った、と教えてくれたけれど、殆ど頭に入らなかった。

とにかく木曽殿山荘まで辿り着くことが、自分に出来る精一杯だと思った。



何とか熊沢岳を越えたものの、次の東川岳までの間には小さなピークが幾つもあって、東川岳がとても遠く感じられた。

「何だよコレ」とか悪態をつきながら進んでいたけれど、次第に怒る元気もなくなって、いよいよ力尽きそうになって、岩場の小さな日陰に座りこんだ。

表面がつるりとしてすべすべした岩は、触るとひんやりしていて、とても気持ちよかった。

岩に張り付いて頬を寄せると、不意に涙がこぼれた。


悔しい

自分はなんて無力なんだろう


このまま失速を続けて、後続の選手にどんどん抜かれて沈んで行く自分を想像した。

何とか中央アルプスを越えて市野瀬まで辿り着いても、そこはまだ全工程の半分程度でしかない。

先へ進んでも、このまま身体が動かなくなって行けば、最後はリタイアを決断しなければならない。

これまで自分が積み重ねて来た物が、そんな風に終わってしまうことを想像すると、悔しさと歯痒さで頭がおかしくなりそうだった。



東川岳を越えて急傾斜の下りを下りていくと、やっと木曽殿山荘が見えてきた。

救われた、と言うよりも、ここで何とか復活したい、そうあって欲しいという、すがる様な思いで小屋の中に入った。


小屋の中には誰もいなくて、台所の奥から電話で話をしている声が聞こえた。

話が終わるのを待って声を掛けると、奥から出て来たオバチャンが笑顔で対応してくれて、ここまで来たことを労ってくれた。

カレー味のカップヌードルとお茶、それと缶の牛乳を購入して、小屋の中の小さなスペースに腰を下ろすと、何かを念じるようにじっとカップヌードルが出来上がるのを待った。

宝剣山荘で紺野さんがカレー味のカップヌードルを食べていたのを何となく覚えていて、自分もそれを食べれば復活できるのではないかと、そんな淡い期待を抱いていたと思う。

実際はカレー味のカップヌードルに、そんな神がかった効果がある訳がない。

そんなことは頭では分かっていたけれど、そんなゲン担ぎの様なことでも、何であっても、微かな可能性があればすがりつきたい気持ちだった。



若干のびてふやけたカップヌードルを少しずつ口に含み、入念に咀嚼しながら、これからのことを頭の中で思い浮かべた。

木曽殿山荘へ下りた時、眼前にそびえる空木岳のピークへと続く尾根を見上げると、そこには朽見さんの姿も、紺野さんの姿もなかった。

二人とも、自分が失速している間に、ずっとずっと先へ進んでいるのだろう。

私は、山の中にぽつんと一人取り残された様な、言いようの無い寂しさと心細さを感じた。


空木岳まで登れば、後は下るだけで、中央アルプスは終わる。

ロード区間は給水も食事も幾らでも可能だし、なんとでもなる。


でも、そこまで行けるだろうか。

木曽殿山荘から見上げた空木岳へ続く稜線は、とても急で長く、険しく見えた。


何とか前向きに考えようとしても、良いイメージはすぐに悪いイメージで塗りつぶされてしまい、考えれば考えるほど、不安ばかりが大きくなった。


途中で小屋に戻ってきたご主人が声を掛けてくれたけれど、すっかり憔悴していた私は曖昧な返事を繰り返すだけで、あまり感じの良い対応はしていなかったと思う。

追い込まれ、苦しい時、辛い時ほど、その人の本性が出る。

本当は笑顔で「ありがとうございます!」って元気一杯で言いたいのに、そんな少しのカラ元気すら出せなかった自分は、やっぱり器の小さいダメ人間だということだ。

人は、なかなか変われない。


カップヌードルを食べ終えても、身体は全く回復していないように感じたので、追加で牛乳を購入してちびちびと少しずつ口に含んで飲んだ。

足とケツがべったりと床に張り付いてしまった様に動かない。

不意に、『このままだとダメになる』という焦燥感に駆られて、牛乳を一気に飲み干して出発した。

まだ、一歩でも前に進んでいた方が、気持ち的にラクな気がした。



小屋を出て見上げた空木岳は、やはりとても高くて、遠く、脚がすくむような気がした。



色々考えるとダメになる。

まずは10歩。

息が乱れないスピードで、呼吸とリズムを合わせてしっかり動く。

それが出来たら、また10歩。


それを、何度か繰り返した。



疲れたら脚を止めて、来た道を振り返ってみる。

木曽殿山荘が小さくなっていて、なかなかの高度感だ。


大丈夫、進んでいる。



また10歩。

それを、黙々と繰り返した。

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