走るんです!

山が好き。
走るのが好き。
翔ぶのが好き。

もっともっと、観たことのない景色と、感じたことのない感動を求めてチャレンジを続けたい。

自身の備忘録として記録しており、更新は不定期で非公開です。

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抽選なしで本大会へ進める事が分かった時点で、7月はコースの試走をしながらレースの準備を進める事に決めた。


私は山に行く時はいつも単独だけれど、7月の試走では閣下と共に中央アルプスを歩いた。

選考会では各選手、様々なドラマがあったと思うけれど、個人的に最も衝撃的で嬉しいサプライズだったのは、閣下の選考会通過だった。

選考会の帰路で話をした時は、閣下自身がほぼ諦めムードだった事もあり、私はきっとダメなのだろうと思っていた。


私は内心、

(閣下、本当にお疲れ様でした)

と思っていたし、それと同時に頭の中で、

"大浜海岸に辿り着いたら、応援に来てくれた閣下の腕の中で喜ぶ"

というゴールシーンを描き、何ならゴールで待機中に情報難民になる事がほぼ確実な私の両親のサポートまで、厚かましくお願いしようと企んでいた。


そんな中で知らされた閣下の選考会通過の知らせに、私は驚くと同時に歓喜した。

閣下自身も、

「俺が一番驚いた」

と、その時の事を話している。

確かに知らせを聞いた時はとても驚いたけれど、落ち着いてよくよく考えてみると、閣下の選考会通過は、それほど驚くべき事ではなかった様に思う。

閣下は選考会の2日とも、比較的早いタイムでゴールしていたし、他の審査項目でミスがなければ、十分に選考会を通過可能な内容だったはずだ。

おそらく、閣下は自分を過大評価する事のない慎み深い御人柄なので、選考会における自身の評価が低過ぎたのだろうと思う。


私は心の中で

(ごめんなさい、閣下。みくびってました。)

と謝罪しつつ、妄想の世界で繰り広げられるゴールシーンを、

"先に大浜海岸に辿り着いて、仲間達と共に閣下のゴールを盛大に祝う"

という、今大会最大のクライマックスシーンに書き換える事で自分の罪悪感を誤魔化しつつ、ぽかぽかと暖かくて心地の良い気分を楽しんだ。


選考会を通過して抽選なしと分かった後、閣下から

「本番までの過ごし方を相談させて欲しい」

と持ちかけられ、私は勿論、二つ返事で快諾した。


閣下と一緒にアルプスを歩いていると、それがとても不思議な事に感じられた。

出会った頃の閣下は、"鉄橋を叩いても渡れない"くらいの高所恐怖症で、そんな人がアルプスの山々を越えていく大会に出るなんて想像も出来なかった。

随分前から何かに憑かれた様に頻繁に山に入る様になり、それがTJARを意識したものである事は薄々分かっていたけれど、本当にこんな日が来るとは、正直思わなかった。

私は、脳内の回想シーンと目の前の現実を重ね合わせながら、年齢では随分年上の閣下の姿を、逞しく育った我が子を見るように感慨深く眺めた。



試走は中央アルプスの他、南アルプス、北アルプスと全ての山岳区間に足を運んだ。

本大会では疲労が蓄積して思考力が低下した中で進まなければならないだろうし、ガスって視界が悪かったり、暗くて道が分かりにくい中を進むことも当然ある。

私は常に自分の視界に本大会を見据えたフィルターをかけて、一つ一つの景色を注意深く記憶しながら歩き、走った。


試走をしていると、同じ時期に試走をしていた2年前の事を思い出した。

2年前、私は抽選で繰り上げ候補の1位に選出されており、辞退する選手が出た場合は、私に本大会出場の機会が回ってくる事になっていた。

それは殆ど有り得ない事だと分かっていたけれど、私はその僅かな可能性に備えてアルプスに足を運んだ。

当時、時折溢れ出そうになる涙をこらえながら歩いた道を、私はそこかしこに自分が落とした忘れ物を、一つ一つ拾いながら歩くような気持ちで辿った。

とても良い試走が出来たと思う。



試走を終えた後は、調整に入った。

調整方法はそれぞれだと思うけれど、私は新しい事は何もせず、極力普段通り過ごす事を心がけた。

平日のトレーニング量は徐々に落とし、週末は北アルプスで標高3000mに身体を慣らしつつ、立山山麓のパラグライダースクールでのんびり過ごした。


スクールで過ごす時間はとても居心地が良くて、とてもリラックス出来る。

私がここまで来れたのは、このスクールでパラグライダーをやっていたおかげだ。

ここに自分の居場所があったから、私は山に戻れたし、もう一度走り出すことが出来た。

だから、私はスクールの人達にとても感謝している。


私がTJARに出場する事を知ったスクールの人達は、予想外に喜んでくれた。

口々に激励の言葉をかけてくれて、更にパラグライダーを模った大きな応援用のバナーまで作ってくれていた。

パラグライダーの大会でもないTJAR出場を喜んでもらえる事だけでも意外だったので、バナーを見た時は本当に驚いた。

私はバナーを見た時、物凄く感動して殆ど泣きそうになったのだけど、それを全力で堪えた結果おかしなリアクションになってしまい、逆に申し訳ない気持ちになった。

来世では、もっと素直に喜べる愛嬌と、感じの良いリアクションの出来る社交性を兼ね備えて生まれて来たいと思う。


リアクションには失敗したけれど、私は本当に嬉しかった。

今までTJARを目標にして来て、誰かの為になんて考えた事は一度もなかったから、それを、誰かが喜んでくれて、応援してくれるなんて、想像もしていなかった。


自分の目標は、他の誰かの為のものではなく、自分自身の為のもの。

TJARに限った話ではなく、"目標"はそういう物だとずっと思っていたし、そうやって来た。

今でも、その考えは変わらない。

きっと私は、どれだけ沢山の人に応援してもらっても、「誰かの為に」なんて高尚な気持ちにはなれない人間なのだと思う。


でも、それで良いと思う。

私を応援してくれる人達は、私が頑張る事を応援し、喜んでくれるのだと、私は勝手に解釈している。


だから、私はただひたすら、自分の為に頑張る。

頑張って、頑張って、全てが終わったら

「一生懸命、頑張りました」

と胸を張って報告したい。

そして、応援してくれた人達と、一緒に喜びを分かち合いたいと思う。

その為になら、私はどれだけ苦しくても頑張れると思う。







本大会まで残すところ10日ばかりになった今日、大会出場選手が確定して出場選手のリストが公式HPに掲載された。

私は選手の名前が並んだだけの至って簡素なそのページを、何度も何度も読み返し、自分の名前を確認する度にホッとし、そして静かに胸を熱くした。


私のゼッケン番号は9番。

学生時代にフィールドホッケーに親しんだ私としては、エースストライカーの象徴でもあるその番号をつける事を、少し誇らしく思ったり、いやいや自分なんかが、と気恥ずかしく思ったりしている。

実際はただの年齢順なので、誰もそんな事を思ったり、投影したりはしないのだけど、そんな他愛の無い思考をめぐらす事すら、今は楽しい。

ベッドで横になっていても、ワクワクし過ぎて思わず駆け出したくなったけれど、それをぐっと我慢してストレッチをした。


調整に入ってトレーニング量を落としている事もあり、身体を動かし足りなくてウズウズする。

もっと、もっと頑張らなきゃ、という気持ちが溢れてきて、じっとしていると爆発しそうになる。

でも、今はそれをしっかり溜め込んで、本番で爆発させようと思う。



残された時間は調整を進めながら、ギアのチェック、選定や、行動計画に使う。

レースのシミュレーションは様々な状況を想定しながら、ギリギリまで繰り返すつもりだ。


体調は悪くない。

質・量ともに今までで最高のトレーニングをして来た自信があるし、後は体調管理に気をつけて過ごせば良い状態でレースに臨めると思う。

最高の状態で本番を迎え、そして、全てをぶつけたい。



大丈夫。


きっと出来る。


本大会のスタートは、8月7日の日曜日。


私達は、日付変更と同時に日本海を旅立ち、アルプスの山々を越えて、太平洋を目指す。
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本大会出場前には、実行委員会から親族への電話連絡がある。

親族が大会の内容をしっかり理解した上で同意をしているのか、それを確認するのが目的だ。

実行委員会から、選手本人が事前に十分な説明をしておく様に連絡があり、私は実家に電話をした。


電話には、母が出た。

選考会を通過して本大会へ進む事を伝えると、

「おめでとう」

とお祝いの言葉が返って来たけれど、どことなく、その言葉には暗い響きがあった。

私は実行委員会から電話が来る事を話し、TJARがどんな大会なのか、改めて説明した。


大会側のサポートは無く、何があっても全て自己完結で対応しなければならない事。

長時間に渡る山のレースで、相応のリスクがあるという事。

レース中に何かが起きたとしても、その結果は全て選手の責任であるという事。


前回大会での事例もまじえて、どんな事が起こりうるのかを説明した。

母は黙って聞いていたけれど、私が説明を終えて同意書のサインをお願いすると、言葉少なに了承してくれた。


「凄いね」

「何だか大変そうだね」

と、どこかぼんやりとした母の言葉には、その事を他人事のように感じようとしている雰囲気があった。



数日後、実行委員会からメールが来た。

内容は、

「リスクについて、理解できていない」

「必ずOKする様に、では説明できていない」

「お母様は、何もわかっていない」

というもので、それは、はっきりと苦言だった。

私は、自分が薄々感じていた最悪の予感が的中した事を確信した。

母は、私の話を聞いて表面上は了承しながら、考える事を止め、理解する事を放棄し、ただやり過ごそうとしていたのだと思う。

実行委員会からのメールは、それで出場させないという事はないけれど、しっかりと話し合って理解を得てからサインをもらうように、と言う内容だった。


大会中に最悪な事が起きた場合、親族が大会について十分に理解してなければ、社会的なレベルでの大きな問題になる可能性がある。

大会側がそれを懸念して念を押すのは当然の事であり、寧ろ温情が過ぎるくらいの対応だと思う。

私は、自身の対応が至らなかった事を申し訳なく思った。



私が実家に電話をすると、電話に出た母は堰を切ったように一気呵成に話し始めた。

「大会主催者から電話が来た」

「ちゃんとOKだと伝えた」

「レース、頑張って」

その不自然に明るい声が不安を打ち消す為の反動である事は明白で、私は胸が締め付けられる様に苦しく、哀しくなった。


私は母の勢いをやんわりと遮り、実行委員会からのメールの内容を伝えた。

母の勢いは一気にトーンダウンし、長い沈黙が続いた後、実行委員との電話でのやりとりを静かに話し出した。

母は、いざ実行委員から大会の説明を聞くと急に不安になり、矢継ぎ早にあれこれと質問を繰り返したらしい。

それでは、実行委員が「説明できていない」と言う印象を持って当然だ。

私がどれだけ
「リスクのある大会で、全て自己責任だ」
と説明しても、
「自分の子供が、そんな大層な事をするはずがない」
「そうは言っても大会だから」
という、期待にも似た甘い考えが母の中にはあったらしい。

不安をぶつける相手は、実行委員ではなく私にして欲しかったというのが私の本音ではあったけれど、それも母が私の邪魔をしないようにと考えた結果だと思うと、責める事は出来なかった。


母は、ぽつりぽつりと、本音を漏らし始めた。

「大会になんて、出て欲しくない」

「全て自己責任なんて、そんなの酷すぎる」

それが母の本音である事は、ずっと以前から分かっていた。

分かっていたからこそ、私はそこに触れる事を避け、ずっと遠ざけてきた。

それを解決しようとすれば、こちらも絶対に引き下がれないから、必ず衝突する。

現に、過去に何度もそうなりかけて、その度にお互い気まずい思いを繰り返し、自然とそれをタブーとして来たのだ。


でも、もう避けようが無いところまで来た。

やっと、ここまで来たんだ。

とことん話し合って、しっかり理解してもらおうと腹を決めた。


私と母は、三歩進んでは二歩下がる様な会話を、日付が変わるまで続けた。

インターネットもない田舎暮らしで、登山も、スポーツも縁遠い生活をしている両親には、山岳スポーツや、ましてTJARの事を話しても、なかなか理解が進まない様だった。

少し考えて見れば、それは当然の事だ。

「TJARの事を知っている」という人どころか、大会参加を希望する人を含めたとしても、そのリスクや責任、大会の本質を本当に理解できている人がどれだけいるかというと、かなりの割合で怪しいと思う。

それを私の両親の様な人間に理解させようとしたら、それが簡単な事でないのは、少し考えれば分かるはずだった。

私は、自分の考えの甘さを後悔した。



話し合いは、日を変えて繰り返した。

親族の同意確認の為に設けられた期限を過ぎてしまい、大会側には私が両親の承諾を得るのを待ってもらう形になり、多大な迷惑をかける事になった。

本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだったし、思わぬところで大会出場への道が閉ざされそうになっている現状にストレスを募らせた。

大会の要綱に記載されている内容を全て読み聞かせたり、テレビ放送された2012年のTJARのDVDを購入して見せたりもした。

両親は両親で、身近にいる山に詳しい人に、TJARがどんな大会なのか話を聞いて回ったりしながら、少しずつ大会について理解したらしい。

そこまで来て、両親はやっと私が口に出している「本気でやっている」という言葉を、真に理解できた様だった。


両親は、同意書にサインをしてくれた。

私はそこまで漕ぎ着けるのに疲労困憊でクタクタになっていたけれど、両親は両親で、不安を抱えながら、同時に息子の足を引っ張っているという罪悪感をも感じている様で、すっかり憔悴していた。

やはり、もっと早い段階から話し合いを重ねておくべきだったと、深く反省した。


それでも、何とか大会に出場できるところまで漕ぎ着ける事が出来たことに、ホッとした。


あと少しだ。

今までずっと、その為に頑張り続けて来たんだ。



大会出場の為の手続きが終わって一段落した後、私は両親に、ゴール地点の大浜海岸に応援に来て欲しいと伝えた。

本大会に出る事になったらそうしようと、ずっと前から考えていた。

その場での返答は保留されたけれど、後日、両親から二人揃って応援に行くと連絡が来た。



必ず無事にレースを終えなければならない。

そして、当然、完走するつもりだ。
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私は、運が悪い。

ビンゴやクジ引きで景品を貰ったこともないし、賭け事で勝った事もない。

空港で預けた荷物が出てくるのは決まって最後の方だし、街中を走っているとしょっちゅう赤信号に捕まるし、雨が上がったと思って外に走りに出ると夕立に遭う。

その程度の事は、世の中の殆どの人が同じ経験をしているのかも知れないけれど、それでも、私がいわゆる"持っている"人間でない事は確かだと思う。



世の中はかなりの割合で、その「運」に左右されていると思う。

スポーツの世界では、「運も実力のうち」という言葉は良く聞くし、事実、不確定要素の多い球技系のスポーツなどでは、運は勝負を分ける重要な要素の一つでもある。

私は学生時代にフィールドホッケーをやっていて、当時も何度か運で苦い経験をした記憶がある。


でも、それで自分の不運を嘆いた事はない。

勝負事で負けた時、「運が悪かった」と口にするのは、自分の実力不足を棚に上げた言い訳でしかないからだ。

不運を嘆くよりも、「実力を磨いて勝ちきろう」と考える方が建設的だし、正しい。

それは、スポーツの世界なら当たり前の事だと思う。



でも、世の中には完全に「運」のみで結果が左右されるものも存在する。

抽選が、まさにそうだ。


当然、自称 "運の無い私" は、抽選を苦手にしている。

論理的に考えれば、「運」も所詮は確率なので、ハズレが続けば続くほど、その後は当たりを引く可能性が高まることになる。

得意も苦手もないだろう、という話になるけれど、不思議な事に現実はそうは行かない。


抽選に関していえば、私は前回大会のTJAR以降、幾つかの大会で抽選に臨んだものの、その悉くで落選した。

数字でその確率を弾き出せば、かなり希少な数字になる。


勿論、たかがレースに出れなかっただけで、命に別状はない。

世の中には、本当に不幸な人が沢山いるはずだし、そういう人から見たら、

「その程度の事で不幸面すんなよ」

と腹が立つと思う。

五体満足でスポーツをし、仕事をし、実家が震災に見舞われても家族全員無事だった私は、世の中全体で見たら、とても幸運な人間なのかも知れない。


でも、前回大会以降の私は、そんな風に考える事は出来なかった。

自分のおかれている状況が極めて不条理に思えて、いつも激しく苛立っていた。


頑張ろう、頑張ろうと思っても、レースにエントリーしようとすると抽選で落選する。

その度に、私は2016年のTJARの抽選で落選する自分を想像し、何度も心を挫かれそうになった。

「お前なんて、どれだけ頑張ってもムダなんだよ」

と、嘲笑されている様に感じた。



選考会の翌々日、「選考会通過」の連絡をメールで受けた私は、一瞬喜んだものの、その直後から酷く暗い気持ちになった。

前回大会の優勝者とマーシャル1名が確定で、残りの出場枠は28。

選考会通過者が20名だった為、前回完走者9名を合わせた29名で、28の枠を抽選で決めるとメールに記載されていた。


落選するのは、29人中の1人だけ。


これが他人事だったら、まず大丈夫だろうと少しは安心出来たかも知れない。

でも、事が自分自身の話となると、私は

(自分が落選するに違いない)

と、殆ど確信めいたものを感じていた。

前回大会での落選も、これまでの2年間も、全てはその最悪な結末に向けた、手の込んだ長い長い伏線に思えた。


憂鬱だった。

頭の中では、前回の抽選で落選した時の記憶がヘビーローテーションで流れ続けた。



前回大会で落選した後、私に

「次はきっと大丈夫だよ。また頑張りなよ。」

と声を掛けてくれた人がいた。

その時、私は、

「ありがとう」

と言葉では返したものの、心の中では

「ふざけんな」

と毒づいていた。



どこにそんな保証がある?

何の根拠があってそんな事言うんだ?

頑張っても、頑張っても、『運が悪かった』ってだけでまた全てムダになるかも知れないのに、もっと頑張れっていうのか?

俺がどれだけ頑張ってきたか知らないくせに、責任を取るつもりも無いくせに、適当な事ばっかり言ってくれるなよ!


心の中で、そう叫んでいた。



周囲の人達は、私を慰め、元気づけようと、他にも色々な言葉をかけてくれたけれど、私は心の中でその悉くを論破して、激しく牙を剥いた。

どんどん嫌な奴になっていく自分が、憎くて仕方がなかった。


私は、そういう醜い自分を表に出さない様に必死に抑え、隠していたけれど、そうする事で、次第に自分に嘘をついている様な居心地の悪さと罪悪感を募らせていった。

人と笑顔で接していると、自分の顔に張り付いたその嘘の仮面を、ボロボロになるまで掻きむしってやりたい衝動にかられた。


自分の中に、徐々に濁った感情が泥の様に蓄積し、それが遂に抑えきれなくて爆発しそうになった時、私は全ての人と距離を置く事を決めた。


TJARを諦めるつもりも、走ることを止めるつもりも無かったから、独りでも走った。

走って、鍛えて、強くなろうとした。

でも、徐々に走れなくなって、頑張れなくなって、私は、走ることをやめた。



その頃の事は、あまり思い出したくない。

思い出したくないけれど、抽選になることを知った私は、その頃の事を思い出さずにはいられなかった。

再び落選したら、またその頃の自分に逆戻りしてしまう気がして、とても怖くなった。


抽選は4日後の7月2日に行われる事になっていた。

それまで不安に怯え続ける状態が続くのかと思うと、気が遠くなった。


しかし、私の不安は意外な形で解消された。

選考会を通過した選手の中から辞退する人が出たため、抽選なしで本大会に進める事になったのだ。



嬉しかった。


何らかの事情があって辞退した選手の事を考えると、それを手放しで喜ぶのは少し無神経過ぎたかも知れない。

それでも、私は殆ど叫び出さんばかりに喜んだ。


抽選がないと言うことは、出場権を得ている友人達と、そのまま本大会に進めると言う事でもある。

2年間、ずっと頭の中で思い描いていた願望が、あと少しで現実になろうとしている。

その事を思うと、この上なく暖かで、優しい幸福感に包まれた。



私は、暫く幸せいっぱいの夢見心地だったものの、時間が経って落ち着いてくると、再び不安になった。


このまま自分が、何事もなく上手く行くはずがない。

きっと、何か落とし穴があると思った。

眠って、目が覚めたら、全てなかった事になっているのではないかと酷く警戒した。


眠りに着くと、夢を見た。

夢の中で私は、

「鬼に捕まったらTJARの出場権を剥奪される」

というルールの鬼ごっこをしていた。

私は必死に逃げて、隠れて、それでも結局捕まって、その絶望の瞬間に目が覚めた。

現実に返って、私が本大会出場の権利を得たという事実を確認すると、心底ホッとした。


その後も地に足が着かないような、ふわふわとした半信半疑な状態が続いていたけれど、度々友人から届くお祝いのメッセージが、本当に本大会へ行けるのだという事実に少しずつ確信を持たせてくれた。

私は、静かに、ゆっくりとその喜びを噛み締めた。



(TJARに、出場できる)

ようやく現実に確信すると、一気に冷静になった。


本大会まで、後少ししかない。


出来る事を全てやり切って、万全の状態で本大会に臨みたいと思った。
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歩いて休んだためか、トイレで軽量化したためか、走り出すと足が軽く、緩やかな下りの続くロードを軽快に駆け下りていった。

ゆったりと九十九折を繰り返しながら徐々に標高を下げて行くと、段々と眼下の川が近づいて来る。

最後の九十九折が終わると左側に川を見下ろす形になり、斜面沿いにゆるく左に湾曲しているロードの先に赤い橋が見えて来た。

南アルプス林道の終点、戸台大橋だ。

戸台大橋は通常は一般車両が入れないようにゲートが設置されているけれど、その日は選考会がある為か、ゲートは上げっぱなしになっていた。

通り過ぎ様に受付のおばちゃんにペコリと頭を下げて

「お疲れ様です」

と挨拶すると、おばちゃんは拍手しながら見送ってくれた。


受付の先にはKトラックが1台停まっていて、その傍にはお婆ちゃんが1人立っていた。

お婆ちゃんは、

「お疲れ様です。あと少しです。頑張って下さい。」

と言いながら、深々と丁寧なお辞儀を繰り返した。

その、こちらが恐縮してしまう位に丁寧な応援に感動して、

「ありがとうございます。頑張ります!」

と応えると、こちらまで温かで優しい気持ちになれた。


頑張ります、と応えたものの、歌宿からの区間タイムで見ても、行動計画より少し早い。

仙流荘まで残り3km程度だったので、最後はクールダウンも兼ねてゆっくりジョグで行くことに決めた。


雨はすっかり上がり、空には全体的に雲が張っているものの、時折晴間が射して気温も高く感じられた。

風も殆ど無く、ゆっくり走っていても身体がじっとりと汗ばむ。

左手に流れるエメラルドグリーンの澄んだ川面を眺めながら走っていると、時折優しい風が吹き抜けて、汗ばんだ身体がヒヤリとするのが心地良かった。

とても気持ちが良くて、あと少しで終わってしまうのが少し残念に思えた。


遠くに仙流荘のオレンジ色の屋根が見えて来ると、何だかホッとした。

無事に下りてきて来たな、と言う思いと、後少しで、選考会を無事に終えられる、という安堵の気持ちだったかも知れない。


そこまでの内容に手応えを感じていた事からそう思えたのだろうけれど、まだ、ゴール後に筆記試験が残っていた。

そこで失敗したら全て水の泡なので、気を引き締め直す。

ぐぐぐとペースを落とし、深呼吸して心拍数を落ち着けると、頭の中で筆記試験の復習を始めた。


仙流荘まで残り1km程まで来たところで、後方から軽快な足音が聞こえてきた。

とっさに端に寄って道を譲ると、後方から走ってきた人が私に向かって、

「渡部さん!」

と声を掛けた。


大原さんだった。

北沢峠から走って下りてきたらしく、タンクトップに短パン姿で汗ビッショリだった。

にも関わらず、呆れる位に爽やかな印象を持ってしまうのだから不思議だ。

私は、大原さんの弾ける様な笑顔を見ながら、

(イケメンって得だな)

と思った。


大原さんは息を弾ませながら一言、二言、私に声を掛けてくれた。

「渡部さんなら、きっと大丈夫だと思います!」

「今度、渡部さんが抽選で落ちたら、私、暴動起こしますから!」

だいぶメチャクチャな事も言っていたけれど、凄く嬉しかった。

言ってる事は冗談であっても、その根底にある気持ちは本物だと、そう感じたのだと思う。


少しだけ話をした後、「並走するのは禁止されているから」と大原さんはペースを上げてゴールに向かって走って行った。

私は、大柄な大原さんの子供の様に無邪気に駆けていく背中を見送りながら、最後にもう一度、筆記試験の復習を頭の中で終えてからゴールに向かった。


        
仙流荘
[計画]09:30 [結果]08:09

ゴールに到着すると、スタッフの皆さんが拍手で迎えてくれた。

到着時間を告げられて、

「準備が整ったら筆記試験をするので声を掛けて下さい」

と言われた。


私は特に準備をする事もなかったので、時間を計る為のストップウォッチを設定して、すぐに試験用の紙を受け取った。

試験項目は全部で5問あり、制限時間は30分だ。

試験項目は、だいたい次の様な内容だった。

・ガスにまかれた時の対応
・低体温症
・道迷い
・高山病(?)の様な症状
・行動計画

どれも基本的な登山知識で答えられるものだけれど、"TJARの行動中ならどうするか"という想定で回答をする事になっている。

私は実際にTJARに出た場合にどう対応するかを想像して、答えを記入した。

何が満点回答かは分からないけれど、ほぼ一般的な登山と変わらない普通の回答をしたと思う。


一通り答えを書き終えても、まだ時間はたっぷり残っていた。

もっと何か書かないといけない様な気がして心配になったけれど、無理に書き足そうとするとやぶ蛇になりそうだったので、終わりにして用紙を提出した。



選考会が終わった。

「やっと肩の荷が下りた」

という安堵感と、

「本当にこれで良かったのかな」

という、ぼんやりとした不安感とが複雑に交錯した。

ついさっきまでは、押しなべてそれなりのパフォーマンスを示す事が出来た自信があったのに、考え出すとあれもこれもダメだったのではないかと思えて来る。

不安で、不安で、堪らなくなった。

誰かに、「大丈夫だよ」と言って欲しかった。


仙流荘の入浴可能時間が10時からだったので、それまではゴールで他の選手を迎えて過ごした。

顔見知りの選手達と選考会の出来についてあれこれ話をしていると、徐々に心が落ち着いていった。

選考会を終えて、安堵と不安を感じているのは、皆一緒だった。


暫く待っていると、閣下がゴールした。

失礼ながら、意外と早いゴールだ。

だいぶ疲れた様子だったけれど、どこか痛めたり、体調が悪いという事もなさそうで、ホッとした。

私は離れた所から閣下が筆記試験をするのを見守り、試験を終えた後で声を掛けた。

選考会の内容全般について色々話したと思うけれど、細かくは覚えていない。

でも、選考会と言う同じ経験を、閣下と共有して語り合う事が出来るのが嬉しかった。


10時になってお風呂に行くと、風呂場は選考会の選手達でごった返しており、なかなか異様な光景だった。

一般のお客さんもいたけれど、かなり面食らったのではないかと思う。

10時53分に循環バスが出るので、私はそそくさと入浴を済ませてバス乗り場に向かった。


殆どの人達は大会が用意したバスで駒ヶ根に向かうらしく、循環バスに乗って帰るのは閣下と私だけだった。



ゴール地点にいた顔見知りの人達に挨拶をして、バスに乗り込んで帰路についた。


選考会が、終わった。


結果は、次の日に発表になる予定だった。

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仙丈ヶ岳を後にして仙丈小屋に下る分岐に出た。

晴れた日は分岐から見下ろせる仙丈小屋の姿が、ガスに包まれていて全く見えない。

雲の中を進むような濃いガスの中をゆっくりと下って行くと、下っても、下っても、なかなか小屋が見えて来なかった。

道を間違えているはずはないのだけれど、なかなか小屋が見えて来ないと不安になる。

大分進んだところでガスの中から不意に仙丈小屋が現れると、ようやくホッとした。


小屋の窓ガラス越しに、電灯が点いているのが見える。

ルール上では、小屋の利用は04:00からなので、一応利用可だ。

時間に余裕があるので寄りたかったけれど、5時前に小屋の戸を叩くのは気がひけるし、休憩も補給も不要だったのでそのままスルーした。


小屋の前の分岐で、馬の背に向かう道へ進む。

水場の傍を通る下り道は、前日の雨の割には道に流れ込む水量が少ない。

岩がゴロゴロした下り道ではあったけれど、比較的歩きやすい道で問題はなかった。


馬の背ヒュッテと丹渓新道の分岐まで来ると、歩行区間が終わる。

時計を見ると、仙丈ヶ岳からここまでの区間を予定より30分早く進んでいて、更に計画から離れてしまった。

これ以上、計画から乖離するのは避けたい。

ここから先の丹渓新道はコースタイムの半分で見積もっていたので、ゆっくり進めば上手く計画に沿って行けるはずだと考えた。


丹渓新道の分岐まで来た時には雨、風がだいぶ弱まっていた。

標高が下がって吹きさらしの場所もほぼ皆無なので、注意する事があるとしたらロストするくらいだな、と思った。

丹渓新道は残雪期に仙丈ヶ岳を登った時、下山ルートとして使った事があるものの、夏道を通るのは初めてだ。

地図で見ても尾根沿いの一本道で、ロストし易い場所ではなさそうだったけれど、念には念を、と考えて慎重に進んだ。


丹渓新道に入ると、暫くはのっぺりとした尾根のアップダウンが続く。

途中、「応援に来た」という人とすれ違い、
「この先、足元が悪くなるから気をつけて」
とアドバイスを受けて、お礼を言って先へ進んだ。

進んでみると、確かにその先は何箇所か片側が切れた場所があり、足を踏み外して滑落したら助からないだろうな、という場所があった。

視界の悪い中だったら、結構危ない場所かも知れない。


徐々に標高を下げて樹林帯に入ると、一気に気温が上がり、蒸し暑くなった。

雨は上がっていたので、一旦ザックを下ろしてレインジャケットとレインパンツを脱いでザックにしまい、再び歩き出した。

樹林帯に入ると、丹渓新道はとても歩き易い道だった。

九十九折の下り道は適度にテクニカルで、傾斜も程々で如何にも走り易そうな道だ。

思い切り駆け下りたい衝動にかられたけれど、そこは自重して、濡れて滑り易くなっている石や木の根に注意を払いながら、ゆっくり歩いて下った。


順調に下っていくと、下方の木々の合間から舗装路が見えて来て、尾根を下りきって道路に出た。

南アルプス林道の途中にある、丹渓新道の登山口だ。

チェックポイントの歌宿は、そこから3~4kmほど下った所にあり、更にそこから15kmほど下るとゴールの仙流荘に到着する。

ここからは、全てロード区間だ。



時計を見るとロードに出た時点で、行動計画よりも1時間半以上早かった。

流石にちょっと早過ぎる。

行動計画に関しては、
「計画よりも早い分には問題ない」
と言う人もいたけれど、私はそうは考えていなかった。

行動計画の審査は、要項に記載されている通り、自分の力を正確に把握できているか、コースの状況を的確に予測できるかを審査する為のものであり、ブリーフィングでも口頭で
「出来るだけ計画に沿って行動してください」
という説明があった。

本大会を想定した場合、小屋や水場、露営地などを如何に繋いで進んでいくか、それを計画し、計画に沿って判断する能力が必要であり、選考会における行動計画は、その為の審査項目なのだと思う。

今回の選考会ではスピードも評価の対象とはなっていたけれど、計画を無視してスピードをアピールしても、それが評価されるとは思えなかった。

計画に余裕があるなら、余裕をもって進めば良い。

歌宿から仙流荘までの区間はしっかり走るペースで計画していたので、歌宿まではゆっくり歩いて力を溜める事にした。



大好物のトレイルミックスを食べながら、のんびりと歩いて歌宿へと向かった。

ロードに出るとガスはすっかり晴れていて、この2日間でやっと景色を楽しむ事が出来た。

南アルプス林道はゆったりとした傾斜で山の斜面を沿う様に作られており、谷側に目を向けると川を挟んだ対面には切立った鋸岳の稜線を眺める事が出来る。

雲の切れ間からは太陽の明るい陽射しが射し込んでおり、その穏やか過ぎる眺めと、つい先ほどまで冷たい風が吹き荒れていた仙丈ヶ岳の稜線との対照的な光景は、下界と山とが別世界である事を身に染みて感じさせるものだった。


歩いていると、度々登山客を乗せたバスが通った。

時間帯としては、これから南アルプスに登るのにちょうど良い時間なのかも知れない。

私が端に寄ってバスを見送ると、バスの乗客は珍しい生き物を見る様に私を眺めていた。


だいぶ歩いたところでトンネルが見えてきた。

トンネルの中には歩道が無く、そこでバスとすれ違うのは怖かったので、バスの気配を察知してトンネルの入り口でやり過ごし、ダッシュで一気に駆け抜けた。

トンネルを抜けると、すぐ先に歌宿が見える。

歌宿は仙流荘と北沢峠の間にあるバスの発着場で、公衆トイレが設置されている。

トイレの前でザックを下ろし、チェックを受ける前にトイレにいって用を済ませる事にした。

最後のロード区間を走る前にお腹を軽くしたかったし、トイレでゆっくり時間を使えば行動時間との差も少しは埋められる、という魂胆だ。

なるべく時間をかけて出せるだけ出そうと頑張ったけれど、和式の便所で排出の姿勢をキープするのに疲れてしまい、適当なところで切り上げた。


外に出ると、便所から出て来た私を3人の男性が少し離れた場所からじっと見つめていた。

(スタッフだな)

と思ってペコリと一礼し、トイレ脇の洗面台で手を洗ってから、ザックを持って到着の報告に行った。

近づいて見ると、望月さん、雨宮さん、石田さんだった。

大会などで何度かお目にかかった事はあるけれど、挨拶以上の会話をした事は無く、私が一方的に知っているだけで面識は無い。

(強烈なメンツだな)

と尻込みしながら、番号と名前を申告して到着の報告をした。


歌宿
[計画]08:00 [結果]06:41

石田さんが読み上げてくれた時間を行動予定表の到着時間欄に記入した。

予定では08:00到着だったので、やはりかなり早い。


「早いねぇ」

「ちょっと早過ぎるんですよね。。。」

「ダメだよ、時間調整しちゃ!」

「いや、計画通りです!計画通りに歩いて来たんですよ。ここからはちゃんと走って、1時間半で下まで行く計画ですから。」

「でも、それだと早過ぎるでしょ」

「そうなんですよね。。。でも、ここから歩くのは、あからさま過ぎるので。。。」

「大丈夫でしょ。実際、怪我とかしたらスピード落ちるんだし。後ろの方の人とか、凄い人いるよ。」

「そ、そうすかね。。。」

私がひたすら望月さんと雨宮さんの口撃を耐え忍ぶその姿を、石田さんは微笑みをたたえて優しく見守っていた。


そんなやりとりが暫く続いた後、最終的には、私が

「じゃあ、普通に行きます」

というと、

「そう、それが良い」

と満場一致で決まった。


「車に気をつけて」と見送ってくれる三人に手を振って応えて、再び走り出した。

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