宇部の領主様 | 和み日記

和み日記

京都の手描き友禅職人、和彩彩きーこによる「和」な写真日記。

宇部の幕末史跡。。。かな。




幕末長州藩の三家老の一人、福原越後の屋敷跡






家老だから、普段は萩にいたのですが、領地の宇部にもお屋敷がありました。





和み日記-Image1913.jpg



公園になっています。



入口には3分の2サイズで復元した門があります。





立派な石垣があって、大きなお屋敷だったことがなんとなくわかります。





階段をのぼって、公園へ入ります。






和み日記-Image1914.jpg



人っ子一人いねぇ!(笑)




ひろーい公園です。




井戸の跡とか、小さい祠が残ってますが、側にはなんの立て札も説明もない。。。






幕府による第1次長州征伐のあと、西郷隆盛の要求により三家老である国司信濃・益田右衛門介と共に禁門の変、並びに長州征伐の責任を取る形で、元治元年(1864年)岩国の龍護寺で自害しました。



首は幕府に差し出されたとも言われてます(TДT)




つか、西郷さんの要求やったん?!
調べて知った。。。(^-^;





近くにはこんなものも。






和み日記-Image1912.jpg



維新館





後ろに説明がありました。




和み日記-Image1915.jpg




ここに、福原越後が学舎を作ったそうです。









地元民のくせに、知らなかったあせる





つか、ここ、初めて行ったし!(爆






出身中学の近くなんじゃけどな~。(笑)





ここら辺は今でも古くて大きいお家が多いようでした。


多分、江戸時代から道もあんまり変わってなさそう。


そういう土地は、歩いてても、なーんかウキウキします♪
。。。って。。歴史ヲタだけやろな(笑)






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