特 攻 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

飛行機に爆弾を搭載し、操縦士もろとも敵艦に突っ込んでいく特攻隊。


その名を後世に残すこととなる、海軍によって組織された〝神風特攻隊〟が初出撃を敢行したのは、69年前の今日・1944年10月21日のことだったそうです。


戦局が悪化の一途を辿り、軍事物資不足の中で攻撃精度を上げるために考え出されたという 特別攻撃 ・・・当初は一定の効果を上げてアメリカ軍を震撼たらしめました。


しかしやがては対抗策を考え出され、また飛行機の性能低下や操縦士の若年化に伴う技術不足も相まって、その殆どは目的を達せぬまま海に墜落していきました。


ところで日本軍が立案・実行した特攻隊は、『神風』 だけではなかったのです。


海軍では、体当たり専用の小型グライダー型人間爆弾 『桜花』、潜水艦から発進して敵艦に体当たりを目論む人間魚雷 『回天』 、体当たり用に改装されたモーターボート 『震洋』 、そして人間機雷 『伏龍』


また陸軍でも 『九九式襲撃機』 や、水上特攻兵器 『マルレ』


これらの特攻隊に関わりながら、奇跡的に生き残られた旧日本兵の皆さんの体験談をまとめた本を、今日はご紹介したいと思います。


 『特 攻 最後の証言』  (アスペクト・刊)


        ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草


具体的な中身についてはこの本を読んでいただくとして、私とほぼ同年代・戦後生まれである構成担当者の編集後記から、その抜粋を以下にまとめてみました。


           ◆     ◆     ◆     ◆


考えてみれば、戦後世代の言う「反戦」や「平和」とは、それぞれそこに至った経緯は異なるにしても、僕とさほど変わらないある種の思考停止状態を指すのではないか。

反戦・平和のお題目を唱えていれば、それで済んでしまう。
絶対的な結論がそこにあり、議論の余地も疑問の余地もない。

この疑問を持たないところが、おそらく一番の問題だと思う。


多くの戦争関連出版物を見ても、テレビを見ても、平和を訴えるパンフレットの類を見ても、「悲惨な戦争の・・・」式に、戦争には必ずその種の言葉が付加されている。

そんな言葉が何度も繰り返される効果は絶対的で、思考の停止をもたらす魔法の言葉になっていると僕は思う。


取材の過程で、僕はある人に出会った。
元海軍軍人で、戦後長くある戦争関連の資料館で館長を務めていた方だ。

その方は資料館を運営する自治体と考えが合わなくて抵抗を続けてきたが、結局そこを辞められ、今は違った形で活動を続けている。


その方の考えは、こうだ。


「戦争には良い面も悪い面もあるが、どちらかだけを強調したり教育したりするのは間違いだ。 


自分はあったことを正確に伝えて、どう判断するかは見る人自身が考えるに任せてきた。

それが本当の教育だと思う。」


          ◆     ◆     ◆     ◆


安倍政権になって以降、憲法改正論議が盛んになされています。


我が国には 「憲法9条があるから、日本は平和だった」 とか、「憲法9条を改正したら、日本は再軍国化する」 と主張する方もいらっしゃいます。


更には 「北朝鮮が攻めて来て死んだとしても、それは平和を守るための死なのだから、決して無駄死にではない。 人を殺すよりも自分が死んだ方がいい。」

と主張する〝文化人〟もいらっしゃるようですが・・・果たしてそれは正しいのでしょうか?


もし日本人が皆そう考えたとしたら、私は日本(人)が地球上から消滅してしまうと思うのですが。 


また外敵に殺されてもいいという方は、自分の子供や孫が目の前で同じ目に遭わされても平気なのでしょうか?


実際に命を懸けて国家のために戦った旧日本軍人の経験談を通じて、私たちは戦争をせずに国を護る方策を具体的に考えるべきだと思うのです。


同書の中で、1人の証言者はご自身の体験をこう語られています。

『〝人間魚雷〟の一言で、これこそアメリカの上陸を止める非常手段だと思いました。 聞いた全員が一様に喜びました。

我々は命を失わなければならないが、その代わりに千倍、何千倍の日本人が生き残る。

日本民族をこの地上に残すためには我々が死ぬしかない。
それが出来るなら命は惜しくないと、その瞬間に悟りました。

その夜、遅くまで将来の期待を語り合ったものです。

その時の気持ちは、今でも変わりません。』


私たちは、この気持ちを裏切ってはいないだろうか?・・・そんな自問自答をしつつ、この本を読んでいただけたら、と思います。



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