それまで夜10~11時台のテレビ番組といえばドラマやバラエティーが当たり前でしたが、この番組の登場によって、その流れは大きく変わりました。
『ニュースステーション』
久米宏氏がメインキャスターを務め、ニュースを読むだけでなくキャスターが個人的な意見を公共電波を使って述べるという従来になかったスタイルを確立した画期的報道番組がスタートしたのが、今から27年前の今日・1985年10月7日でした。
『ぴったし カンカン』以来の久米ファンだった私は、当日この新しいニュース番組に期待をかけてチャンネルを合わせたのですが、確かレポーターの自宅にカメラが入ったりして 「なんじゃ、こりゃ?」 という中途半端な企画に肩すかしを食らった記憶があります。
また偶然にも翌日、同じテレビ朝日の 『アフタヌーンショー』 で暴走族のヤラセ取材が発覚し、その報道をする羽目になるという散々なスタート。
しかしそれでも見続け、また視聴率も上昇したのは、ニュース番組とは思えぬ久米氏のコメントが柔軟かつ的確だったからでしょうか。
<スタート時の久米キャスター・・・若いっ!>
「中学生にも分かるニュース」というコンセプトから、積み木を積み上げて与野党の勢力を説明したり大きな人形を作ったり、従来になかったビジュアル重視の報道姿勢は、確かに理解しやすかったですネ。
また他の出演者も個性的でした。
ご存じエッちゃんこと小宮悦子さんと久米氏は息もピッタリでしたし、初代のコメンテイター・小林一喜氏も温和で安心してみていられました。
ただ番組継続中に亡くなられたことは、本当に残念でした。
もっとも、その後には結構危なっかしいコメンテイターもいましたけどネ。
またリポーターとして特に印象に残っているのは、公募に応じて合格しメガバンクの職を辞して登場した若林正人氏。
いかにも素人の危なっかしさを漂わせつつ、一生懸命食らいつく姿を応援したサラリーマンは多かったのではないでしょうか。
しかし最終的には久米氏と衝突し、番組を降板してしまいましたが・・・。
たびたび長期休養を取りつつも久米氏はキャスターを続け、2004年3月まで番組は続きました。
最終回のラストでは久米氏がコップに注がれたビールをイッキ飲み。
しかも番組終了を、その夜他局の番組でキャスターがコメントするという、まさに異例の扱いでした。
個人的には朝日新聞系列の主義・主張には全く同調できませんが、それは別としても政治家たちが積極的に出演して自らの声で主張をし、国民に政治を身近にしたことは同番組の功績として素直に評価しています。
そんな昔懐かしいニュースステーション、皆さんにはこの番組で何か思い出はありますか?
私が今でも忘れられないのは・・・1988年10月19日の放送。
あの近鉄-ロッテのダブルヘッダー第2試合の死闘を、ニュースを差し置いて生中継してくれたこと!