Yさんのお母様から涙声で電話をいただいたのは、病院でお会いしてから3週間後のこと。
自宅にご安置したYさんは、大変安らかなお顔をされておられました。
「この子が望んだ通りにしてあげてください。」
というお母様のお言葉を受け、私はYさんのご友人と連絡を取りながら準備を進めました。
3日後に行われた告別式は、Yさんのご要望に従い献花による無宗教葬形式。
Yさんのご人徳の賜物でしょう、200名を超えるご会葬者が最後のお別れにおいでになりました。
生前にどうしても弔辞を読んで欲しい・・・彼がそう希望されていた3人の方々が、順に弔辞を読まれます。
実は病院での打ち合わせの際、Yさんに
「もし3人の方に弔辞をお願いしたい・・・ということならば、直接Yさんからご本人に依頼されないと、辞退されてしまう可能性がありますょ。」
と私がお話したところ、その翌日から一人ずつ連絡を取って病室に呼び出しては、直談判で弔辞の依頼をされたとのこと。
「ホントは俺、弔辞読むなんてイヤだョ。
でもなぁ・・・お前に直接頼まれたら、断れないじゃないか!」
嗚咽に声を詰まらせながらの、心のこもったお別れの言葉の数々。
そして前もってご友人に編集をお願いしていたDVDで、在りし日のYさんの試合での活躍風景や仲間と楽しそうに騒いでいる宴会シーンが大型スクリーンに映し出されると、式場内のあちこちですすり泣く声が・・・。
献花が終わり、祭壇のお花を柩一杯に会葬者全員の手で手向けていただき、いよいよご出棺の時間となりました。
「それではここで、Y様ご本人からご会葬の皆様にお別れの言葉がございます。」
私のナレーションに 「えっ?」 と式場内がどよめく中、CDが回り始めます。
「皆様、今日は僕の葬儀に忙しい中おいでいただき、ありがとうございました。
今日、弔辞を読んでくださった3名の方は、私にとってかけがえのない方でした。
○○さん、△△さん、そして□□さん、無理なお願いをしてすみませんでした。」
3人の方が弔辞を読んでくれると信じ切ったYさんのメッセージは、楽しかった思い出やご家族・仕事仲間への感謝の言葉と続き・・・苦しい息の中、最後は、こう締めくくられていました。
「皆さん・・・どうか・・・ボクのことを・・・忘れないで下さい。
それでは・・・一足先に・・・行ってきます!」
苦しい呼吸の中、時間をかけて吹き込んだYさんの声をご友人が編集したものでした。
そして録音が終わった翌日・・・力尽きたように昏睡状態に陥ったYさんは、その後2度と意識を取り戻すことはなかったとか。
まさに、ラスト・メッセージだったのです。
「さよ~ならぁ!」 「ありがとう!」
多くのご友人が絶叫に近い惜別の声をかける中、まだ桜の蕾が硬い、肌寒いながらも晴天となった昼下がり・・・霊柩車は物悲しいクラクションの音と共に火葬場へと進んで行きました。
車列を見送りながら、
(Yさん、望んだ通りのお別れになりましたか? ご満足いただけましたか?)
と問いかける私。 しかしその答えを得ることは、残念ながら永遠にできません。
Yさん。
私は、病院のエレベーターのドアが閉まる瞬間に垣間見た貴方の笑顔と、そして最後の言葉を・・・決して忘れることはないでしょう。
どうか、安らかにお眠り下さい。