かつては男性アナウンサーのサブという位置づけだったのに、今や〝局の顔〟・〝タレント〟として人気を集めている 「女子アナ」。
この女子アナブームの先駆けといって過言ではないのが、元NHKの
頼近 美津子 アナ
単に美人というだけてなく、気品溢れる雰囲気と親しみやすい語り口で、私にとっても憧れの女性だったのですが・・・今日は彼女の一周忌にあたります。
アメリカ生まれで日系二世を父に持つ彼女はミドルネームに〝キャサリーン〟を持ち、英語はペラペラ。 幼少期には世界的指揮者・小沢征爾氏の師・斎藤秀雄氏にチェロ奏者の道を勧められるほどの才女だったとか。
1978年に東京外大を卒業後、約600人の応募者の中からたった一人だけNHKに女性アナウンサーとして採用、そして入社2年目で永六輔司会の 『ばらえてぃ テレビファソラシド』 に異例の大抜擢。
英語と音楽に堪能な美人アナとして大注目を浴び、1980年度から始まった同局初の早朝ニュース番組 『ニュースワイド』 で初代女性キャスターに。
視聴率は30%にまで達し、NHKの顔と言ってもいいほどの人気ぶり。
しかし異例の扱いは(おそらく)局内の先輩・同僚から大変な嫉妬を買ったのでしょう・・・彼女は翌年4月にフジテレビに同局初の女性正社員として電撃移籍を果たしました。
これが、〝人気局アナの転籍・フリー転進〟のハシリだったと思います。
(※ちなみに徳光アナがフリーになったのは1989年。)
年収が一挙に4倍になったそうですが、この移籍はそれ以上に彼女の人生を大きく変えることになります。
『小川宏ショー』 のキャスターや、露木茂アナと組んでニュース番組を担当していましたが、同局の創業家御曹司の副社長・鹿内春雄氏に見染められて結婚・退社・・・当時は「玉の輿婚」 として大きな話題になりました。
彼女は2人の子宝に恵まれたものの、結婚生活は思わぬ形で終止符を打つことに。
結婚から僅か4年後に、ご主人の春雄氏が42歳で病死。
鹿内家の遺産相続・社内抗争に巻き込まれる形となり、それに嫌気したのか・・・彼女は2人の子供と共に渡米。
結果的に鹿内家と距離を置くことになった彼女は、帰国後に古巣NHKのドラマに出演したり、音楽関係の仕事をするようになったのですが・・・2007年に食道ガンが見つかります。
懸命の治療もむなしく、昨年5月17日に53歳の若さで天に召されました。
かつて日本中の人気者であった彼女の葬儀は、都内で僅か30名程の親族のみが参列してひっそりと執り行われたそうです。
もし彼女が、フジテレビに移籍しなかったら・・・そんな虚しい仮定がどうしても拭えません。
私にとって永遠のマドンナ・〝頼近〟美津子さんのご冥福を、心よりお祈り致します。